エピローグ

ナシモトカズム4


 ─5月13日 15:15 ゲーム会場─




 ──本当に趣味の悪いゲームだ。

 そう和夢はしみじみと思った。


 あんな風に無理やり戦わされて。

 観客に気に入られないと『大根役者め』と罵られる。

 ついでにこの観客の多くがよろこぶ演出とは、今回の『サザンカ』のようにボロクソに叩かれて死にそうな姿。ネズミが猫を噛むように抗う姿。命乞いのような脆弱なそれ。

 つまり『死に損ない』が好きなのだ。


 和夢は肩をすくめた。

 今日の『サザンカ』はあの観客たちから見ればまあ及第点、と言ったところか。

 弥一がでしゃばったがために、邪魔されてしまったが、あちらはまだまだ叩き足りないようだったし。


 和夢は腕時計に目をやって、そろそろ頃合いだと顔を上げる。

 和夢が今立っているのは真っ白な空間。

 その白い部屋の中央で、項垂れるそいつに声をかける。


「おい、帰るよ『サザンカ』」

「……」


 くるり『サザンカ』はこちらを向いた。

 しかし、振り向いたそいつは腰を浮かす気は無いようで、冷たい床に沈めたままだ。

 和夢は舌打ちをする。めんどくせ、ぼそりと呟いた声は、殺風景な部屋によく響いた。


『サザンカ』がようやく口を開く。


「シジマ、は?」


 どうやらあの偏屈な雌猫の容態が気になるらしい。

 まぁ、ゲームの中では結構グロテスクな有様だったから、気にもなるか。

 しかしだからと言って、ここに居座られても困るのだ。


 コツコツと和夢の靴が軽い音で鳴いて、『サザンカ』の隣まで和夢を運んだ。

 和夢は『サザンカ』の腕を無造作に掴む。


「自分の体見てみてわかんないの、怪我なんて一つもないでしょ」


 ため息まじりに体を引けば、ゆらゆら幽鬼のように立ち上がった男。

 その様子に昨日の底なしの軽さは垣間見得ない。


「あいつも、……シジマもそうだよ。結局は所詮ゲームなんだから」


 そう簡単に死人を出してやっていけるほど褒められた事業ではないし。

 つまり違法なのだ。密かにこそこそとやらなきゃいけないってのに、おいそれ死人なんか出せない。


 大体、参加させられる人間だって無限な訳じゃない。むしろ貴重な人材だ。

 どんなに酷い目を見ても秘密を護っていてもらわなきゃならないのだから。

 総司郎だってあの首輪、ペットたちにネックなんたらとか言うやつを四六時中外さないように【命令】して秘密を護っている。


 ほかのスポンサーたちもそうだ。

 各自のやり方でこそこそと愉しんでいる。


 結局はみんなお遊びなのだから。

 ルールを守らなきゃ、愉しめない。


「でも、シジマは……」

「起きなかったって?」


 服の袖を掴んで引きずるように歩き出せば、『サザンカ』もそれについてくる。

 和夢はそちらになど見向きもせず彼を引き連れて先を急いだ。


「生きてるよ。でも、……あいつは『自分は死んだ』って思っちゃったんだろうね」


 人間の体とはかくも不思議なものだ。

 病は気からなんて言葉があるくらいだ。自分が病気だ、と思えば病気になる。

 怪我をしたと思えばその部分が痛む。

 ……死んだと思えば死ぬのだ。


 実際に目隠しをして「血液の8%がなくなるだけで人は死ぬ」という事実を告げる。

 そのあと首に小さな傷をつけ、そこに人肌ぐらいのお湯をかけるだけなんて殺し方も存在する。


 思うだけで人は死ぬ、それほどまでに脆弱な生き物なのだ。


「だから体じゃなくて、精神が死んだんだ」

「……」


 あいつは死んだ。体が生きていただけでも儲けものだ。

 ……いや、完全に死にきれないのは割を食っただけかもしれない。


「また生きてるって思い出せば、そのうち目も覚めるんじゃないの」

「……そっか」


 適当にそうあしらって建物を出る。

 車や雑踏が行き交いする道路はあまりにも通常通りのリズムを持っている。

 ……一人の男が、こんな目にあっているとも知らずに。


 サザンカは今、ネックプレイメーカーを着用したままだが、【取るな】と命令はされていない。

 今ならば、この雑踏に飛び込んで逃げうせる事も不可能な訳じゃない。

 そうさせないために和夢がいるのだけど。


 ──弥一の方が適任だと思うんだよなぁ。

 いくら和夢でも大の男一人を完全に拘束できるほどの力。ゲームは差し置いて、現実ではない。

 ──まぁ、でも。


 和夢の後ろをゆらゆらとついてくる『サザンカ』を一度だけ振り返る。

 ──腑抜けてるみたいだし、いいのかもね。


 気が抜け出て行ってしまったようになる『サザンカ』は、今朝大はしゃぎで家を出て行った男ではなかった。

 どろりとした目をぶら下げて、俯き気味に歩くその姿は、真夏の番組でよく見る幽霊そのもの。


 和夢はため息をついた。


「別になんかいうつもりもないけどさ」

「……」

「お前はこんなことになるとか思ってなかっただろうし、そもそも嵌めたのはあのクズでしょ? だから別に」


 和夢はそこで言葉を切った。

 初回だからこそ、こんなんで落ち込むなと言う方が無理な話だ。

 しばし言葉を探して、彼女は彼女なりの励ましの言葉を選んだ。


「……お前が殺したわけじゃないよ」


 その言葉に『サザンカ』の肩が大きく跳ねる。

 こちらを見上げる目は凍りついて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどの亀裂が走っていた。


 どうやら和夢の告げたそれは最悪の選択だったようだ。

 ああ、追い打ちをかけてしまったか。

 今更そんなことに気づいたところでもう遅い。

 吐いた言葉はもう腹には治らないのだ。


 ──まぁ、いづれんだし、どうでもいいか。


 建物の外に位置する駐車場まで来ると、普通車の大群の中、つるり黒光りする高級車が目に入る。

 そして、その黒塗りの車の前で執事と話していた和服の男が、こちらに気づいたのか大きく手を振った。


「おお、和夢。こっちだこっち」


 にこやかにそう言って、手招きをする。


 ──わかってるっつの。

 全く余計なお世話である。

 あんな悪目立ちする外車に乗っておいて分からないとでも思っているんだろうか。

 胸の内で舌打ちしつつも、和夢はすっと背筋を伸ばしてそちらへと向かう。


 自分の感情と仕事は別物だ。


 和夢たちが近くまで来ると、総司郎は和夢をすり抜けて、『サザンカ』の方へ駆け寄っていく。


「やあサザンカ。お疲れ様、最後までよく頑張ってくれた」

「……」


 そうしてかけたのは労いのようなそれだ。

 この状況でよくそんな言葉をかけられたものだと逆に感心する。


『サザンカ』の方は俯いたまま、何も答えない。

 きっと腹の底が煮えくり返って声も出ないのだろう。

 真実はどうあれ、和夢はそう解釈をした。


 総司郎が眉尻を下げる。


「どうした、元気がないな」


 元気も何もあってたまるか。

 どうしてこう、この男の言うことはズレているのか。

 溢れそうになるため息をかみ殺す。


『サザンカ』が答えないと悟ったのか、総司郎は次に和夢に目を向けてくる。

 彼はどうしたんだ、そう問う視線。

 そのキラキラと重苦しい視線に負けて和夢口を開いた。


「……『サザンカ』はシジマのことが気がかりのようです」

「ああ! なるほど。……ふふ、サザンカは仲間思いなんだな」


 納得したのか柔らかく笑んだ総司郎が、『サザンカ』に賛辞を送った。

 それは子供や犬や猫を褒めるような、確実に見下ろすそれだ。


 和夢はそれが不快でたまらないのだけど。『サザンカ』の方は黙ったまま、耐えている。

 いや、何も耳に入っていないのかもしれない。

 力の抜けた目は駐車場のコンクリートを映すばかりだ。


「大丈夫だサザンカ。彼女も俺の家族の一人……全力をもって治療にあたるつもりだ」


『サザンカ』の肩に手を置いて、緩やかに微笑む。そのシジマの現状の、核である男。


「また働いてもらわなきゃならないしなぁ」

「!!」


 その男の吐き出したセリフに、ようやく反応らしい反応を見せた『サザンカ』。


 そう、どうせ目を覚ましたらまたこの地獄が待っているのだ。

 ……いっそ体も死んでしまった方がよっぽど救われただろうに。

 中途半端に死んで、哀れなことだ。


 そんな風に和夢がシジマへと思いを馳せていると、総司郎が思い出したようにこんなことを言った。


「で、サザンカ。お前はどうする?」

「……?」


『サザンカ』も首を捻ったが、和夢もその言葉の意図の掴めない。

 訝しんで眉間にしわを寄せた。


「ワンステージ体験してみてどうだった?」

「は、ぁ?」


 出てきたのはそんなセリフ。

 問うてどうする、そんなこと。「最悪」その一言に尽きると言うのに。

 総司郎は朗らかな様子で『サザンカ』に語りかける。


「楽しめたかと聞いているんだ。それとも楽しくなかったか? こんなゲームは嫌いか? ……胸糞悪い、そう思ってるんじゃないか?」


 少々興奮しているのか、早口にまくし立てた。

『サザンカ』は総司郎のその詰問に戸惑っているようだ。瞬きを繰り返して、総司郎を見ている。


 そして、次にその男が吐いた言葉に、『サザンカ』だけでなく和夢も瞠目することになるのだった。


「今なら、これっきりにしてもいい」

「⁈」


 和夢は思わず総司郎を見つめたまま固まった。

 この男は、何を言っている?

 馬鹿馬鹿しい。そんなもの、敢えて選択するまでもない。

 そんな選択肢を与えられたら、応えなんて決まり切っているのに。

 そして、その答えは総司郎に何の利益も生み出さない。


 総司郎は優しい声音で『サザンカ』を撫でた。


「やめるなら、それはそれでいいんだぞ? お前の好きにするといい」

「……」


 和夢はこの男の悪癖、「いつもの道楽」には長く付き合ってきた。

 その全てを和夢は理解した事などないし、突発性の発作のようなものだと半端諦めてきた。


 でも、これは……。

 こんなことをしてなにになる?

 この男の値段はいくらだったか。目を剥くような額ではなかったか?

 発作状態の総司郎でも出すのを少々渋るほどの。


 ドブに捨てるようなものだ。

 命は金に換えられないとか言う美麗美句は和夢の中に存在しない。

 愛だって命だって交渉が成立すれば引き換えられる。


 和夢はだからこそ理解できない。

『サザンカ』を無償で助けるだなんて。言っちゃ悪いが、この男に九千万もの価値があるとは思えなかった。


「……失礼ながら、総司郎様。それはあまりにも、」

「やるよ」


 総司郎の頭に冷や水をぶっかけようと口を開いた和夢だったが、また口をつぐむことになる。

 そう応えたのが『サザンカ』だったからだ。


「え」

「おまえならそういうと思ってた」


 言葉を呑む和夢とは反対に総司郎はからからと笑ってみせた。

『サザンカ』は俯いたままで、その表情は伺えない。


 でも和夢は、どこか泣いているように見えた。

 ……ただ、そう見えただけなのだけど。


 そこに立っているのは、昨日の軽薄そうな男……ノリナミ、何と言ったか? とりあえずその男などではなく。

 悪魔に飼われる哀れなペット。観客たちの嗜虐心を満たすための玩具。


 正真正銘の『サザンカ』。その人なのだと思った。


 ──ああ、やっぱりこいつも……、


「これからもよろしくな、サザンカ」

「……」


 そう言って肩を叩いて、サザンカを車へと誘う。

 サザンカは【命令】された訳でもないのに素直にそれに従い、後部座席に体をしまい込んだ。

 総司郎がこちらに呼びかける。


「和夢もほら、帰るぞ」

「え……あ、失礼しました」


 慌てて頭を下げて車のドアへと向かう。

 和夢は助手席に座り込んで、どろり粘っこい空気に身を沈める。


 ──狂ってる。

 ──どいつもこいつも、どうしようもないほど。


 本当に和服の主人あるじは目利きだと思う。

 拾ってくる奴ら。この男の飼う『ペット』たちはみんなそう。

 狂ってる。

 ……確かにこの男に狂わされたものもいるのだろうけど。


 類は友を呼ぶ。まさにその言葉の通り。

 奴らは持っているのだ。総司郎に拾われる前から。

 首輪をつけられて飼い慣らされる前から。


 ──狂気の片鱗を。


 動き出した車が向かうのは、そいつらの巣窟だ。

 きっとその一人に和夢も数えられているのだろう。

 彼に見初められて、ここにいるのだからきっと。


 まともであるはずがないのだ。





 きっと、彼の愛するゲームが崇拝する虚像だって。



 ──ヒーローだって……。

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