第10話 ノリナミワタル7
─5月13日 13:22 ゲーム会場─
恐る恐る瞼を開ける。
すると、今まで死闘を繰り広げていたビル街の姿は跡形もなく……、
そこは真っ白い無機質な部屋だった。
どこを見ても白、白、白。
壁はもちろん、床も天井も真っ白。白だらけ。もはや白しか見えない。
そんな部屋。
端からでも三歩歩けば壁に行き当たってしまうほどの広さしかないそこ。
そこに亘はいた。
先ほどまでの橋の見えない高いビルの聳える街は?
氷の柱の生えた閑静な公園は?
亘の脳漿を散りばめた大地は?
どこにもない。
亘はまるでもともとそこにいたかのように、真っ白な床に膝をついていた。
ぐるりとあたりを見渡す。
そこには亘とその腕の中のシジマ、後ろに立った執事の男以外に目立ったものはない。
壁に取り付けられたカメラとスピーカーぐらいか。
煙の、血の、くぐもったような臭いが立ち込めていたはず。
なのに、今はそれどころか無臭と名付けて相違ないほどに無臭で。
真っ白な世界は殺風景にも過ぎる。
思わずぎゅっとシジマの体を抱き寄せる。
すると、
「え」
暖かかった。
確かに温もりを感じたのだ。つい先程まで冷たかった筈なのに。
ぎょっとして見下ろせば、少女は静かに寝息を立てている。
「え、あれ? ……シジマ?」
どこを見ても傷なんかない。会場へ来た時のままの少女だ。
思わず亘はその体をゆする。
「シジマ……? シジマ。シジマッ!」
「サザンカ、あんま揺らすな。今は少しの刺激で脳震盪起こす」
「……ッ!」
そう、執事に咎められて弾かれたように身を離した。
サッと冷めた心臓を抑えてシジマを伺えば、規則正しい呼吸を繰り返してる。
ちょっと揺らしただけで脳震盪? それってものすごくマズイ状況なんじゃ……。
亘の胸が焦燥に呑まれる。そんな時、
バタンと音がして、白服の男たちが亘の真後ろの扉を開けて入って来た。
何事かと構える亘を片手で制して、執事はそいつら向きなおる。
そして軽く会釈をした。
「こいつのこと頼みます」
「受け賜わりました」
単調にそう返して、白服の男は亘の方へと足を進める。
そして亘の腕の中からシジマを取り上げてそのまま踵を返した。
担架に横たわるシジマが運ばれてく……。
その姿を何もすることができないまま、ぼんやりと見送った。
「大丈夫だ、医者んとこ運ぶだけだから」
「ぁ、えっと」
簡単にそう言って息をつく。
それでも不安げに見上げる亘を一瞥して、執事は面倒くさそうな顔になる。
そして仕方ないと諦めたのか、倦怠感の溢れる表情で深くため息をついた。
「あの様子じゃ目は覚まさねえかもな……、でも死んだりはしてねえよ」
「ほん、とに?」
「ああ」
はっきりとした肯定。
それにほっと胸をなでおろす。死んだりはしてない。まずはその事実だけで嬉しかった。
そんな亘の耳にノイズ混じりの音が響く。
ディスプレイもカメラも、もう浮いていない真っ白なこの部屋だ。
だから今度聞こえたのは部屋に取り付けられたスピーカーから流れるざわめきだ。
[あー、惜しいなぁ……あのままでもよかったのに][まあ死人出るとザザ……がにヤバイからさ][仕方ないザザ、かなあ][ボコられ具合には満足かな、俺は][ザザ、に死んでもよくね?][ボロってたし][いやまだいける][イヤイヤイヤイヤ][あいつまだボーとしてるし][ザ、反応面白かったザザ……よね][あははは、こっちみとるで]
ゲームの途中、ずっと聞こえていた観客たちの声だ。
ゲームは終わったというのにまだカメラが繋がっているのか、亘を嘲笑っている。
少女ひとり、守れなかった男を。
ヒーローになど、なれなかった男を揶揄している。
[死んだ方が面白かったのに]と、まるで物語を評論するかのように。
とてつもない吐き気がせり上がってくる。
なんだ、ここは。気持ち悪い。
人形の首をもいだり、虫の足を引きちぎる、そんな子供の残酷さ。
それをまっすぐ自分に向けられたような、薄気味悪い寒気が体を痙攣させる。
今すぐに殴りかかってふざけるなと怒鳴りつけてやりたいところだが。
彼らがいるところは、この部屋でも、カメラの取り付けられた壁の向こうでもない。
ギリッと奥歯が鳴る。
亘はただ、この嘲笑の視線にさられていることしかできないのだ。
たまらず下を向く。……その時だ。
亘の体に影がかかった。
「……!」
ハッとして見上げると、カメラを遮るように立つ黒い執事服の裾が見えた。
大きな彼の体の影にに亘の痩せぎすな体などすっぽりと収まってしまう。
まっすぐ前を向いた彼の表情は見えない。
でもその背中はまるで。
「……悪かったな」
「え」
ポツリ落とされたセリフは誰に向けられたものか。亘は目を瞬かせる。
執事は言葉を続けた。
「これからも厳しいとは思うが耐えてくれ」
ゆっくりとこちらを顧みた執事がこちらを見ている。
と、言うことを踏まえると言葉を向けたのはサザンカに、で間違いないらしい。
体がわずかに強張る。
「お前に残された道はそれだけだ」
断言のような、その宣言。
─そうか、これでおわりじゃないんだ。
だってこれは始まり。なにせ亘はヒーローになったばかりなのだから。
「すっぱり諦めて、精々死なねえように頭回すこったな」
「……」
ブツ、小さな機械音が響いて、撮影の終わりを告げる。
同時に真っ白な部屋の中の電灯が失せて、薄暗い景色に変わった。
亘を守るように立っていた執事は短息して姿勢を緩める。
今度は首だけではなくしっかりと全身で亘を向いて、口を開いた。
「救世主なんざ、ここにはいねえよ」
それは、他にないほど胸を刺すどうしようもない事実だった。
亘はハッと目を見開く。
ヒーローは、ここにいない。
それが意味する事を亘は何より理解していた。
少女を抱きとめていた手を見る。
わずかに残された温もりが、亘を責めていた。
どうして、なにもできないんだと。
執事が亘を見下ろしている。
自分を助けてくれた彼でさえ、彼の目でさえ亘には断罪の叱責のように感じた。
俺は……、なにをしてるんだ?
漠然とした不安に呑まれて胸がざわつく。
そんな震える肩を支えてくれる人はいない。
好奇の目を遮ってくれている、彼も先ほどの言葉通り、救世主ではありえないのだ。
──だから。
彼を救ってくれるヒーローはどこにもいなかった。
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