第9話 『サザンカ』5


 ─5月13日 12:30 ゲーム会場?─


 あ、れ?

 なんで、俺は


 亘の頭を駆け巡るその疑問に答えてくれる声はない。

 ただ、空中に表示された赤い文字だけがその答えを示していたのだが……。

 下から上に斬りあげる斬撃を身を反らせて躱し、次の攻撃に気を張り巡らせる亘にそれを読んでいるいとまがあるだろうか。


[コル・レニオス]

[ゲームの中で一度だけ生き返ることができる。但し一度に限る]


 簡単な二行だ。

 能力の説明ならもう少し盛大に表示すればいいものを、簡潔にそう書かれているだけ。

 ただそれだけだと言うのに亘の精神は一点にのみ集中して赤い文字なんて目に入らなかった。


 故に、ずっと疑問のまま。


「っ……!!」


 キラリ光る一閃が目の前を走り抜ける。

 その後に続く素早い連撃。

 銀色の切っ先が喉元をかすめて亘はひゅっと息を鳴らした。


 ─さっき死んだはずだ、俺は死んだはずなのに、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。こんなのありえないだろ。


『カイザーフィッシュ』が口から水の激流を吐く。

 紙一重で首を寝かせて難を逃れたが、この至近距離はまずい。

 亘は大きく後ろに飛び退いた。


『死んだ人間が生き返るなんてありえない』

 亘の知る常識ではそれが当たり前なのだけど。

 ありえないことが多すぎて、このくらいはありえてしまうのかもしれない、だなんて。

 亘の頭ももうどうかしてきてしまってるようだ。


 灰色の空が亘を見下みおろしている。

 不快な歓声も亘を見下みくだしている。


 ああ逃げ出してしまいたい。

 早く踵を返してどこかへと消え去ってしまいたい。

 だって言うのに体は言うことを聞かない。なぜならまだ【命令】がうるさく鳴り響いているから。

【戦え】【戦え】、あの呑気な声が朗らかに繰り返す。


 亘はギリリと奥歯を鳴らした。


 ぐらつく視界、程よい間合いまで詰めてきた『カイザーフィッシュ』が斬りかかる。

 亘はぐっと身構えた。


 巨体に似合わない素早い動き。……瞬時に躱しきれないと悟った。

 ──カウンターかませば、何とか?

 せめて一矢いっしぐくらいは報いたいものだ。


 ぐっと身構えて、その時を待つ。

 鼓動の音がどこか遠く感じて、亘は感覚を研ぎ澄ませた。


 ──そして、亘の視界は黒に覆われる。


 風をはらんでぶわり大きく揺れる上質な黒。

 装飾のないシンプルすぎるデザインは、もう片方である少女のものとよく似ている。

 広い背中と大きな図体は、気品のある衣装には合致しない。


 その黒に、殆ど吐息のような声が漏れる。


「あ、んた……は」


 それは見覚えのある執事服だ。

 確か、あの日亘の腕を引き上げた影で、今日も車の運転席で見た。


 きっちり着込まれた訳ではないそれが風に揺れて煽られる。

 その光景がどこかスローモーションのようにゆっくりとして見えた。


 唐突に眼前に立ったその人が、『カイザーフィッシュ』の獲物を受け止めている。

 正面からつかを掴み込んで、それが降ろされるのを阻んでいるのだ。


「シ、……ツジさん?」

「災難だったな、『サザンカ』」

「なんで、ここに」


 ポカンと虚をつかれて突然間に入って来たその人を見つめる。

 亘の問いに執事は広い肩をすくめて応えた。


「飼い主サマの気まぐれ、でな」


 言いながら柄を掴んだままの手にギリリと力を込める。


 何かを感じ取ったのか飛び退くように距離を取る『カイザーフィッシュ』。

『カイザーフィッシュ』が引く気を見せると、あっさりと柄から手を離し、執事は怪人に逃亡を許す。


 そして、気だるげな様子で頭を掻いた。

 少し離れたところからじろり温度のない目が執事を睨み、両者の間にひんやりとした風が流れる。

 そのどちらでもないのに、亘はぐっと唾を飲み下した。


 どちらが動くかもわからない。

 しかし、執事の方はあまりに自然な体勢で立っていて、さらに動く気もないようだ。

 魚を睨め付けながらもその機微を観察している。


 ──それにしびれを切らしたのは『カイザーフィッシュ』の方だ。


 重い音とともに魚の怪人が地を蹴った。

 弾丸のように迫る『カイザーフィッシュ』。


「あ……」


 亘の口から小さな吐息が漏れる。

 それは、目の前で揺れていた黒が、一際大きく揺らいだからだ。


 大きく拳を振りかぶる、その姿。


 次の瞬間目に映ったのは、無残にひしゃげた魚の顔。そこに打ち込まれた力強い一撃。


 間抜けな破裂音だ。パンっと気の抜けるようなそれが耳に響く。

 その音と同じく、風船のように爆ぜる『カイザーフィッシュ』の頭部。

 

 ぽっかりと綺麗に首から上が吹き飛んだ鱗まみれの体。数秒遅れて頭を失ったそれがぐらり傾いた。

 流石『フィッシャーゴート』を束ねる首領だけあって、やっぱり決して軽くない音を立てて地面に叩きつけられる。


 ベタベタと肉のカケラが地面に散って、氷だらけの公園を汚した。


 亘はその全てを唖然として見つめていた。


 あんまりにあっさりと肉塊に変わった『カイザーフィッシュ』。

 普通のゲームの中でも初回の中ボス程度、とはいえ亘を今の今まで絶望の淵へと追いやっていた怪人だ。

 それにしてはあっけなさすぎる、しっくりこない最期だ。


[[YOU WIN ‼︎]]

 デカデカと空中に表示された華々しい文字。

 それは亘が今まで見てきたヒーロー・バースのものとそっくりそのまま同じだ。


 ──勝っ、た……のか?


 それを理解すると同時に亘の体からどっと力が抜けて、立っていることも難しくなる。

 疲れていた、もう地面でもなんでもいいから寝転がりたい。そんな気分だ。

 でも、亘はへたり込みそうになる体を必死に二本の足で支えて立っていた。

 何もない気がしなかったから。また、絶望が来るのだと疑わなかったからだ。


 次は何が来るのかと身構えて、あたりを探っていると、ふと、地面へと視線が映る。

 そこにあったのはつい先ほど、亘が『死んだ』あたりの土だ。

 脳髄の花びらが、紅い血液の上に白く散っている。

 自分の頭に思わず手がいくが、髪の感触以外に伝わるものはない。


 ──……なんで、生きてんだろ。


 特殊能力スキルとはいえ、ここは『現実』のはず。

 亘の知る世界では蘇るなど不可能だし、あり得ない。……ならばやはりここはバーチャル?

 いやそれならばあの激痛はなんだ?

 虚像とはとても思えない、地獄のような痛みを数刻前に味わっていたのは亘自身だ。


 じゃあ、なぜ亘は今死んでいないのか。


 その単語が頭をよぎった時、亘の体に電流が走る。

 ──死ぬ? ……ああッ、と言えば!


「シジマ‼︎」


 名を呼びながら彼女を探せば、氷の消えた地面に横たわる銀灰の髪を見つけた。

 助けてくれた執事服など目もくれず、亘は彼女に駆け寄っその体を抱き上げる。


「シジマ、シジマ‼︎」


 冷たい体だ。

 それは決して氷に囲まれていたからという訳ではないだろう。

 血の気の失せた肌と、ピクリとも動かない胸がそう言っている。


「おい! 目え覚ませって、なあ!」


 背中から胸にかけて大きな穴が空いていて、紅い肉が、白い骨や脂肪が、その穴からこぼれ落ちていく。

 見ることさえ憚れる光景に亘は顔を歪めた。


 ──病院、病院! まだだいじょうぶ、なはず。

 ──胸に穴空いたぐらい今のイリョーギジュツならなんとかできる。……できるかな? ……。できるできるできるッ!

 馬鹿馬鹿しい他力本願が頭を巡って。

 しかしそれを信じることしか亘にはできることはないのだ。


「落ち着けサザンカ。大丈夫だから」

「なにが、大丈夫なんだよ! ひと、人が死んでんだぞ!!!」


 後ろに立つ男の平静になにか違和感を感じたが、亘はそう食い下がり、シジマに視線を落とした。


 亘の愛したゲームでは、こんなこと起きないはずなのに。

 亘の愛したヒーローは、こんな少女ひとり軽々と救ってみせるのに。


『ヒーローは絶対負けない──!!』

 そう、謳っていたヒーローならば。


 目の前が歪んで揺れた。

 亘は乱暴に袖でぬぐいとる。しかし、視界は歪んだままだ。

 再び拭うが、なにも起きない。


 歪んだ視界は、涙や生理的現象ではなく……、ひどく機械的なノイズのせいだと気づくのにたいした時間はかからなかった。

 じりじりと、目の前の景色がノイズに呑まれていく。


「チッ、やっぱり来たか。今度はなんだよ……!」


 毒づいて、亘はシジマを隠すように身で覆った。

 ざわざわとテレビの砂嵐のようにノイズがひどくなって、血塗れの公園が見えなくなる。

 強い閃光が眼前で揺れて、亘は思わず目を瞑った。

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