第7話 『サザンカ』4


 ─5月13日 12:09 ゲーム会場?─




 亘は息を詰まらせた。


「え、……あ」


 自分の周りを囲った氷の箱。

 それは分厚く頑丈そうで、どこまでも澄んだ氷壁でつくられている。


 その先に見えるのは、あまりに絶望的な惨状。


「……シジマ?」


 亘の声が鳴った。その呆けたような声が本当に自分のものかどうか、わからなくなる。


「なあ……、おいシジマ」


 もう一度繰り返す。

 喉を鳴らすだけであちこちの傷が悲鳴をあげたが、亘はその壁に駆け寄った。


「シジマ、っ……。シジマっ、てば!」


 何度も名前を繰り返して氷の壁を勢いよく叩く。

 しかし、壁が頑丈なせいか、亘が弱っているせいか、冷たいそれはビクともしない。


「シジマ……おい、なあシジマ」


 氷の鋭い槍を一面に生やした公園の隅。呼ばれた彼女はピクリとも動かない。

 太い氷の槍に背から胸を貫かれて、それっきりだ。


 周りには同じく様々な場所を貫かれて動きを止めた怪人たち。

 タッグを組んだ少女ばかりを見る亘は全く気にも留めなかったが。

 亘に助けられた人々の『映像』は消えており、いた痕跡すら残っていない。


 亘はひんやりと冷たい壁に縋った。


「シジ、マ。返事、しろって。……してくれよ頼むから」


 痛みでもともと潤んでいた目から、水が溢れる。

 しかし、それは彼女を思ってのものではない。


 悲しいとか、そんなことを思える状況ではなかった。

 それ以前に、訳がわからない。ただ混乱して涙が溢れる。

 恐ろしくて、身が震える。


 次第に冷静になった頭に『死』という文字が浮かぶから、尚更だ。


 ああ、それなのに運命は残酷だ。

 亘に追い打ちをかけるようにずん、と大きな音が響いた。


 ──そっか、……そういえばそうだった。

 亘はぼんやり頭の隅で思い出す。

 ──だめ、なんだ。

 冷たい氷が、血の抜けた体から体温を盗み取っていく。

 亘は歯噛みした。


 ──そうだ。

 ──だめなんだ。……。


 重々しい音がもう一度響いて。

 氷の華に彩られた公園に『その影』が現れた。


 魚の頭に大柄な体。それは今までの『フィッシャーゴート』の姿に酷似している。

 しかし、甘んずることなかれ、


 身にまとっているのは安っぽい鎧のそれだが、下に詰められたものはこれまでの奴らとは比じゃない硬い体躯だ。

 手にぶら下げているのもさらに大きなやいば。それは周りの氷灯りを反射して艶やかに光っている。


 そう、『フィッシャーゴート』はこの『カイザーフィッシュ』に統治された軍団なのだ。

 下っ端を一掃すれば、ボスが出てくる。

 これがお決まりの展開。


 今までのものとは一回りほどの大きさをもつその影は、腕を大きくふるって槍をかき分け、氷の箱の前で足を止めた。


 亘の目線よりずっと高いところから見下ろされる。

 ぎょろりと目を回したその奇怪なバケモノは壁に拳を打ち込み。


 いともたやすく分厚い氷を打ち砕いた。


 当然のようにガラスとともに吹き飛ばされる亘の体。

 それを追って『カイザーフィッシュ』は地を蹴った。


 一瞬で詰まる距離。

 亘が地面に落ちる前に、膝が叩き込まれる。


 宙を舞って亘は呻きをあげた。

 ガラガラと硬い音を立てながら氷の槍の海に無造作に叩きつけられる。

 起き上がろうと足掻くが、温度の失せた地面に背中が吸い付いてなかなか離れない。


 こんな時、意識が遠のいて痛みを感じなくなってしまえばいいのだけど。

 確かアドレナリンとかいうホルモンが、それを引き起こしてくれるはず。

 でも今は、頭はぼやぼやしてきているのにずっと痛みだけはハッキリと体を抉ってくる。


 いつまで経ったって消えやしない。

 いつまで経ったって地獄のままだ。


『カイザーフィッシュ』かこちらへ歩いてくる。

 思い振動が地面を揺らし、亘の傷を抉った。

 すぐ真上に、大きな魚の頭がある。


 ──なんで、こんなことになってるんだっけか。


 太く平たい足か持ち上がった。その後に続く衝撃をよけなきゃ……頭はそう叫ぶのに。

 今度のばかりはあの男も亘に賛同して【避けろ】と言ってくれることだろう。

 なのに、今度は別の理由で体が言うことを聞かない。


 重すぎる衝撃を否応なく受け止めて真っ赤な飛沫が散った。

 死んでもおかしくない、でもヒーローに死は赦されない。

 普段の何十倍にも頑丈になった体はこれに耐えてみせた。


 それを見咎めて『カイザーフィッシュ』はもう一度足を持ち上げる。

 もう一度、もう一度、もう一度、もう一度。


 ざわざわとうるさい周りの声は観客たちのものだろうか。上手く聞き取れない羅列が頭のそばで鳴っている。

 亘のその姿を喜ぶようであったり、憐れむようであったり。

 その視線は、不快だった。


 亘は顔を歪めた。


 ──……こんなのは、ダメだ。


『ヒーロー・バース』を愛し続けた男が、血反吐まじりに息を吐き出す。

 ダメだ、こんなのはダメだと。

 違うのだと、これじゃないのだと。

 ──おれが、ほしかったのは……、



 視界の真ん中で高々と持ち上げられた足が映る。

 これが最後だと言わんばかりに、『カイザーフィッシュ』は頭に狙いを定めたようだ。


 大きな足が落ちてくる。



 あ、──────死ぬ……。

 


 それを見て亘がそう思ったのと同時に、ワアッとどれが誰ともわからない割れんばかりの歓声が溢れた。

 


 薄れゆく意識の中で聞いたのは、そんなひどく耳触りな嗤い声と拍手。

 その中でも一際大きく笑い声をあげる、覚えのある あの男の声だった……。

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