第6話 シジマ4
─5月13日 11:50 ゲーム会場?─
サザンカが出ていった、湿った空間を見つめる。
生活感も生命感もどこにも感じられない無機質な部屋。
そこでシジマは小さく唇を噛んだ。
[シジマも【行け】]
「……わかって、いるわ」
耳元で鳴った男の声にシジマは震える声で応えた。
余計な間隔のない素直な肯定……。
当たり前だ。だってシジマには、何一つ抗う術などありはしないのだから。
「『ヒーローらしく戦え』、でしょう?」
抵抗なんて無駄なことをする気にはなれなかった。
無線機の向こうで悪魔が朗らかに笑う。
「話が早くてたすかる」
「……」
何も応えずシジマはゆっくりと歩みを進めた。
この狭い部屋から一歩足を踏み出したシジマを迎えるのは、閑散とした街だ。……死の匂いが溢れる街だ。
そんなことをぼんやりと考えてシジマはふらふらと歩き出す。
煙臭くてむわりとぬるい風がシジマの髪を揺らした。
そんな風に吹かれてシジマは目を閉じた。
だって何もする必要はないから。
この体はあの悪魔に忠実に従って、勝手に動いてくれるのだから。
ゆらり、ゆらり、思った通り音さえ立てずに体は街の奥へと歩いていく。
あてどもなく、魚の頭をつけたバケモノを探して。
ひび割れた道路や歩道にはひしゃげた車や気味の悪い死体の『映像』が道に点々としている。
シジマは顔をしかめた。
それがあまりにリアルだからだ。通常のゲームであれば、『死体がある』と認識はできるもののはっきりと視認することはできない。
でも、このゲームでは違う。
そんな配慮は一切なく、溢れた脳髄や肉のデコボコした割れ目でさえ鮮明に見えた。
触れれば体温の失せた肌の感触が、感じ取れるだろう。
気味の悪い現状を確認しながら歩いていたからだろう。
コツン、シジマの足が何かにつまづいた。
視線を下へ落とせば、まだ小さく未熟な脚部。
「女の、子?」
大きなコンクリートのかけらに押しつぶされたそれは、足の部分がようやく確認できる程度だ。
そこからわずかに覗くスカートと、転がったピンクの靴でそう判断した。
潰れた体こそ、コンクリートとアスファルトに挟まれて見えないが……。
すでに乾きかけて黒ずんだ水たまりの跡がはっきりとそこにはあった。。
その液体の残骸だけでさえも、シジマの胃液をわずかに逆流させた。
──このこもだれにもたすけてもらえなかったのね。
シジマは静かにその亡骸を見下ろす。
少女を潰す人工の平らな石を指で静かに撫でた。
欲しいものがあった。
シジマは、どうしてもそれが欲しかった。
何を引き換えても、手に入れたい。与えてほしいものだった。
こんな荒野に一人で立ちすくむシジマだったが……。
こんな訳のわからないゲームに興じなければならない今だったが。
求めていた『それ』はシジマの手に、確かに渡された。
間違いなく手渡されて、受け取った。
その結果としてあるのが、現状だった。
だからシジマはこの現状も、実は仕方がないと受け入れていた。諦めがついていたのだ。『それ』と引き換えだったのなら、と。
悪魔の脚にでさえも、甘んじて縋るような、あの頃よりは。
この阿鼻叫喚の世界の方が、ずっと。
──あそこも、ここも、どこも、おんなじ。
──どこでもじごくで、なにもかもがじごくだ。
──ただ、『あのじごく』にいるよりは……ずっとマシ。
暗闇の中、だだだだ無我夢中でガムシャラに手を伸ばして。
必死にもがいて泣き叫んで求めたもの。
掴んだのは、あの悪魔の指だったのだけど。
シジマは小さく息をついた。
その時だ───。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
明らかに正常ではない叫び声。
それが、サザンカのものだと理解するのに数秒を要した。
その声が聞こえた方向へとシジマは駆け出す。
少しだけ、少女の亡骸を振り向いたが、すぐに視線は前へと向いた。
あわれなサザンカを、放っておくわけにはいかない。
ビル郡の中に、ひらけた場所を見つけて。
映像たちのざわめきにも似た喝采の声を拾い、そちらに向かう。
ひしゃげた遊具に囲まれた公園。
その中心に、彼はいた。
「『俺が相手だ! かかってこいよ、バケモノどもォ!!』」
背中に深い傷を負って、血反吐とともにそのセリフを吐いてみせた。
そして、『フィッシャーゴート』の大群へと身を投げる。
──かわいそうに、にげられないんだ。
シジマは顔を歪めて、彼を憐憫した。
彼もシジマと同じ、あの男の呪縛から逃れられない
シジマが短息して、強く念じれば氷の
無数の礫が生み出す細かな
シジマが前へ腕を掲げれば、その氷刃たちは真っ直ぐに『フィッシャーゴート』へ向けて降り注いだ。
少しでも数を減らす為、頭や心臓を狙って
数匹に被弾しただけであとは無残に地に突き刺さった。
もっとたくさん召喚して、雨のように降らせることができたなら。鱗に覆われた皮膚はズタズタに引き裂かれて肉塊に変えることができる。
そのぐらいシジマには容易い事の筈だった。
でも、そうするには真ん中で暴れまわる男が幾分邪魔なのだ。
いくら知り合ったばかりの男とはいえ、見知った顔を巻き込むのは憚られる。
しかも、その男は今血みどろになりながら戦っているのだから。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
悲痛な叫びが耳を焼く。
武器を持たないサザンカの攻撃はそのまま体への衝撃に変わる。
それは想像を絶する痛みだろう。
背中を斜めに走った傷はぱっくりと口を開けて大量の血を吐いているのだから。
その痛みが動きを鈍らせて、うまく躱し切れていない。サザンカの体は時間が過ぎればすぎるほど生傷を増やしていく。
まさに泣きっ面に蜂だ。
揺らぐ足で必死に体を支えて、動き回る彼の心境を思うだけでゾッとしない。
だと言うのに、この場に溢れるのは好奇の言葉たちだ。
[頑張るねえザザ……][いつまで保つと思う?][なかなかいい感じ][五分とモタナイでしょー][コイツ回復アイテムザザ……ザ、ねえの?][久々に死人出るかもなこれは][意外と勝っちゃうかも?][アリエナイ][無理でしょ][ザザ……絶対ない][天地神明に賭けてザザ……ありえない][どんだけだ][笑うしかねえな]
世間話をするかのような、軽い会話が公園の周りに浮かんだディスプレイから響く。
シジマが静かに掌に爪を立てた。
下衆どもの会話から目をそらして、シジマは指先に集中する。
また、温度を下げた空気が氷を生成し始めた。
どんなに不快だって、耳を塞いでうずくまっていたら次に
シジマはまっすぐに敵を捉えた。
指先に力を込めた、その時。
派手に動き回るサザンカがシジマはの方角の敵へと向かって行って。
一瞬だけ、その表情を垣間見ることができた。
──あ、たすけてってめだ。
すぐに汗に濡れた髪に遮られてしまったが、シジマは見てしまった。
見えてしまった。
彼のその目に、覚えがある。
彼の濡れた瞳が『それ』を求めて叫んでいる。
張り上げた、声よりも確かにシジマはその叫びを聞き取ることができた。
サザンカの、救済を乞う意思を。
だって全くそっくりおんなじものを見たことがあったから。
それは……在りし日に、鏡に映った自分がこちらを見ていた時。
あの頃のシジマは彼と同じものを求めていた。
助けて『欲しかった』。誰でもいいから。なんでもいいから。どんな形だって構わないから。
そんな、過去の自分と折り重なった、サザンカの目。
同情だなんて、馬鹿みたいだ。でも。
でももしも……。
あの頃の自分を助けたのが、あの悪魔などではなく。
───本物の『ヒーロー』だったら?
幼稚な妄想だ。シジマは自嘲する。
そんな影はどこにもない。それを一番知っているくせに。
これを思ったのが今じゃなかったら、そう笑い飛ばしていただろう。
目の前に広がる光景はあまりに無残で、その中心で踊る自分と同じ
実に、痛ましい。
──もうおわりにしたいし、いいか。
シジマもサザンカも同じ悪魔に救い巣食われたもの同士。
ボロ雑巾のようにドロドロになって戦うその男との
そして空気は……────凍りつく。
ぎょっと目を剥いて、こちらを振り返る魚ヅラ。
その真ん中に大きな氷壁を立てた。
これを作るだけでも相当の体力が要るほどの分厚い壁。
澄んだ透明の向こうで、サザンカがぼんやりとこちらを見つめた。
これで、邪魔な障害物はいなくなった。
シジマのは上へと腕を掲げる。
すると、天空に大ぶりな
広範囲に広がった鋭い刃。
どうでもいい、どうでもよかった。
そう、思えてしまったから。シジマは静かに笑みを浮かべる。
身構えた『フィッシャーゴート』の群れを一瞥して。
シジマは腕を振り下ろした。
その鋭い牙はシジマの細い身体さえも貫いて────……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます