第4話 トガミヤイチ 1


 ─5月12日 9:20 東京某所─




 弥一は無言で、総司郎はくつくつと喉を鳴らしながらその背中を見送った。


「……相変わらず口の悪い子だな」

「……」


 呑気な風にそう言って、覆うこともしない口元を開いて笑い続ける。

 上下する喉仏はしばらく止むことはなさそうだ。


「元気で大変よろしい」

「……」


 陰気なケの強いメイドの少女を『元気』と表現する事にはいささか違和感が残るのだが……。

 弥一は目を伏せて倉木のその言葉を黙殺した。

 総司郎は顎のあたりを撫でる。


「しかし、それにしても下衆呼ばわりとは……。なんだかなぁ」


 くすくすと笑いながらも小さく呟く。どうやらあまり気に入らない表現のようだ。


 弥一は完全に小さな背中が見えなくなったことを確認してから、口を開いた。


「間違いじゃねえだろ。……言い得て妙、ってやつだ」

「弥一まで言うのか!」


 それはメイドの少女と似たり寄ったり。決して主人に向けるべきでない砕けた口調……。


 しかし総司郎はそんなことよりも、自分の腹心から出たその肯定にわずかに瞠目した。

 まぁそれも一瞬程度のもの。次の瞬間には飄々とした元の笑顔に戻る。

 弥一の知る限り、彼はいつでもそうだ。

 笑ったり憂いたり。怒ったり……はあまりないか。

 しかし、まあそう言った表情が山の天気のようにコロコロと変わるのが常だ


 そう……思っていたのだけど。

 今日の総司郎は珍しくそのままその柳眉な表情を曇らせたではないか。


「そんなに非道い事はしてないぞ、俺は」


 そう思案顔になる総司郎に弥一は少々驚いた。

 なんだ、そんな今更な事を気にしていたのか。なんてため息をつきながら。


「どうだか。鏡でも見ればわかるんじゃねえの」


 半端呆れたように弥一が和装の男に返したのは、皮肉とも取れる要領を得ない返事だ。


 だからこそ、なんだろうか。

 総司郎の方もわざとらしい真剣な表情を作ってみせて間の抜けた応えを投げるのだった。


「鏡なら支度をするとき見たぞ? 思い出してみても何もわからん」

「……なら一生お前にはわかんねえよ」


 素っ気なく言った弥一が息をついて、総司郎が穏やかに笑う。


「それは残念だ」

「……どうせ向こうはわかられたくもないだろうし、それでいいと思うぜ」




 しばらくそんな会話を当て所なく続けていれば、扉の奥からまた小刻みの靴音が聞こえ始めた。


「ほら、そろそろ行くぞ」

「……、めんどくせえ」


 弥一は顔をくしゃくしゃにして倦怠感を訴える。

 もちろん総司郎はそんなものに耳を貸す気は毛頭ないのでそちらに視線もくれない。

 チッチッチと指で拍子をとって、彼を嗜める。


「弥一。文句は言わずに、口内に収め噛み砕くのがよきバトラーだ」

「あーはいはい。……めんどくさくて死にそうだ。執事なんか性に合わねえって何度も何度も俺は、」

「……言ったそばから。お前も大概あまのじゃくだな」


 呆れたようにそう言葉を切って、総司郎は開いたままの扉に目をやった。

 その奥で大きくなってきた足音に弥一もふっと口をつぐむ。

 ややあって戸口から現れたエプロンドレスの少女。


「只今戻りまし、た……っと」


 彼女が抱えているのは大ぶりなスーツケースやら重そうな書類の束などだ。


 和夢はいつもの無表情で何にもない風にしているが、落とさないようにと神経を使っているのだろう、動きがどこかぎこちない。

 確かにその細腕にはこの荷物は不釣り合いだ。


 長身の影が小さく短息した。彼にしては珍しく気を利かせて横から腕を伸ばし、和夢からそれらを取り上げる。

 和夢はどこかホッと息を漏らして、素直に彼にそれらを預けた。


 そして、いた手を腹のあたりで組んで、総司郎に並ぶ。


「じゃあ行こうか」


 総司郎が笑みを浮かべる。

 それは朝の光と相まって、澄み切った印象を受けさせた。


「明日にはゲームが始まる。手短に済ませるぞ」


 カッカッと下駄の軽やかな音が響いた。

 それに二つの影が添うように続いていく。

 背の低い小柄な一つは音も立てずにひっそりと。

 背の高い大柄な一つはあくびを一つ漏らしながら。

 ただ、だだ、その後には足音だけが残されていく。

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