第5話 ノリナミワタル2


─5月12日 17:56 東京某所─




「アナタは……」


 粳場がそう呟いた。

 拘束されたままの体勢で亘がのろのろ顔をあげれば、事務所の出入り口に立つ人影が見えた。


「悪いな、取り込み中に」


 服装から異質な男だ。

 空五倍子色のゆったりとした質の良さげな着物と羽織を纏った姿は時代劇の登場人物のようで。


 極道の親玉かっ?! などと勘ぐったりもしたが、それにしては穏やかでやんわりとした印象をもつ目だ。品のある仕草と相まってきっと虫も殺せないんじゃないかとすら思うほどだ。


 そんな奴が何でこんなところに? 自分は差し置いて亘はぼんやりと考える。


 突如現れたその男に驚いて、誰もが体を固める中。

 誰より早く動いたのは、粳場だ。

 それまでの剣呑な雰囲気を綺麗さっぱり収めてぺこりと体を折った。


「いえいえ、いつもご贔屓にありがとうございます。……今日はどういったご用件で?」

「大したことではないんだ。少し話したいことがあってな、いつもの彼と『商談』をしに来たのだけど」


 粳場にそう返してあたりをきょろきょろとあたりを見渡す和服男。

 何かを探しているのだろうか?

 その様子に粳場が眉尻を下げて頰を掻いた。


「申し訳ありません。今担当の者は出払っておりまして」

「それは残念だ。……いや、しかし考えてみれば連絡もろくにしていなかったぞ。いつもここにいるとばかり思っていたからなぁ」


 少し落胆したように、でもゆっくりとした口調で呑気にそう言って眉を寄せる和服の男。

 ……仮にも『商談』をしに来たと言うならば、それは致命的なミスだろう。


 横にいる執事らしき男が何か言いたげにそいつを睨んだ。しかし彼は睨むだけだった。結局一本に結ばれた口が開くことはない。

 でも、その視線にいさめられてだろう。彼は少々申し訳なさげに会釈をした。


「わかったわかった、そんなに睨むな弥一。……急に押しかけてすまん、不躾が過ぎた」

「いいえ、いつも先生にはお世話になっておりますので」


 慣れたようにそう返す粳場の背中の後ろで、亘はぼんやりとそのやり取りを眺めていた。


 先生と呼ばれた男の後ろに控える二人。その姿に亘は思わず顔をしかめた。

『センセイ』とやらに対して、こちらは執事とメイドのような格好ナリをしているではないか。

 和服の男に執事とメイド。……どうにも変な組み合わせだ。

 和洋折衷、そんな四字熟語が頭をかすめた。


 珍妙なセンセイは、顎のあたりに手を添えて考えるような姿勢をとる。


「さて、それでなんだが……」

「?」

「……彼が、目についてな」


 センセイがこちらに視線をくれる。

 亘も彼を見ていたので、自然と目が合った。

 何故か心臓が大きく跳ね、肩が痙攣のように大きく揺れる。


 そのセンセイに倣ってか、続けざまに粳場も冷たい視線を寄越した。


「先生がお気になさることではございません。先生がいらっしゃるとわかってさえいれば こんな見苦しいものは早急に片付けておいたのですが、……おい、今すぐそいつを奥へ」

「ほら行くぞ」

「……ッ!!」


 粳場が命じれば強面の男たちの手に力がこもる。

 再び奥の扉へと引きずられようとする体。

 よもや抵抗などする気もない。亘はそのまま太い腕たちに身をまかせた。


 男の一人が奥の戸のドアノブに手をかける……。


 その時。

 亘や男たちにのやりとりに、また水を差したのはセンセイだった。


「まあまあ待ってくれ。彼も怯えているし、こちらも急ぎってわけじゃない」

「しかし、」

「……それに」


 渋る粳場にセンセイは穏やかな笑顔を向けた。

 ぐっと少し身を引いた粳場。


 柔らかなセンセイのどこに粳場をそうさせる要素があったのか、亘には理解できなかった。

 だって亘には見えなかったのだ。

 その奥に何か爛々とした光を湛えた鈍色の目が。



「俺は彼に少し興味が湧いた」



 センセイの言葉に粳場が眉をひそめる。


「……と、言いますと?」

「彼についていくつか質問をしていいだろうか」


 どこか楽しげにセンセイが目を輝かせた。

 強面の男たちも怪訝そうにそんなセンセイを見ている。


 粳場はふぅと息をついて肩をすくめた。


「……。あなたの悪い癖だ。すぐに余計なことを知りたがる」

「自覚しているさ」

「職業柄でしょうが、あまり為にならない癖だと忠告しておきましょう」


 粳場がすっと目を鋭くする。

 しかし、その皮肉めいたセリフには応えず、センセイは亘の方を指差した。


「彼はどうしてここへ? 金がどうのと聞こえたんだが」

「……はあ。いえ、大したことではないのです。理由など、きっと倉木先生のお察しの通りかと」


 諦めたように粳場がセンセイに語ったのは、大まかにまとめてこんなことだ。


 それは亘が、二年前に親の名義で大手の金融企業で少々都合をつけてもらったことに始まる。

 それで味をしめたのか、次は……またその次はと亘は借りる金額を増やして行った。


 そんなことを続けていれば、窓口で貸付を断られるようになるのも時間の問題だ。


 案の定、僅か半年でその時は訪れてしまう。

 そうなった時に亘はどうしたか。

 この失敗で「同じところで借りすぎるとダメ」だと学んだ。

 たったそれだけを学んだだけだというのに、亘が次にした行動は正に匠の技と呼べるものだった。


 色々な金貸し屋をハシゴして、名前を変え、年齢を偽り、あの手この手で金を掻き集めたのだ。


 しかし、悲しきかな。亘はその後のことを一切考えていなかった。いや、考えてはいたけれど楽観的に捉え過ぎていた。

 あちこちで借り入れた金。その額が手に負えないほどぶくぶくに膨らんだのだ。


「そいつをウチの管理する金融で一括にして請け負った訳です。しかしいつまで経っても 一銭も寄越さないもんで こうして強行手段にでたのですよ」

「なるほどなぁ」


 亘がこの闇金融に関わった理由はそれだ。こちらの方が利子が普通の金融より安く済むから。

 滞納すると怖い黒服に追われること以外は殊の外条件がよかった。


 こんな闇企業がそんなホワイトなことをするから、被害者ヅラして騙されたのだと警察に駆け込んでなあなあにする事もできやしない。


 センセイがすぅっと目を細くする。


「幾らだい?」

「利子もつけて数千万と少々」


 そう言って粳場は持っていた亘の借用書をひらりとセンセイの前に掲げた。

 はほう、と感嘆してセンセイはその額に目を見張る。

 一般人の、こんな若い男に貸す値段ではないからだろう。

 溜め込んだ利子を差し引いたって借用書に並ぶのはとんでもない数字だ。

 センセイは目をしばたかせた。


「今の話じゃ、彼自身の問題で……。よくある両親から遺されたとか そういうものではないと感じたが?」

「はい、もちろん全額こいつの借金ですよ」


 にこやかにそれを肯定する粳場。

 センセイの方は眉を寄せながら亘の方をまじまじと伺う。

 話題が話題だ。少し居心地が悪くて亘はつい目をそらした。


「この若さでこんなに借りれるものなのか? 法に触れるぞこれは」

「そうなんですよ、我々も始めはひどく驚いたものです。どうにもバカな契約書にサインをしたらしくて」


 芝居掛かった口調で粳場は息をついた。

 実を言えば亘が実際借りた額はこの半分にも満たない。

 そのほとんどが不当な利子や自分のものではない借金の額なのだ。


 ここで預かってもらうようになり、だいぶ良くなったのだけど……。

 それでも手に負えないことに変わりはないのだ。


「それは、大変だったなぁ……」

「同情することはありませんよ。よく確認もせずサインする方が悪い、自業自得です」


 憐れみに満ちた視線が、亘にのしかかりもはや諦めた亘の胸の中をかき乱した。

 聴くに耐えない自分の経緯を思い出すと、居た堪れない気持ちになる。


 そんな亘をちらりとも振り返らずに粳場は眉を下げてまるで人の良さげな笑みを浮かべる。

 低い声が、紡ぐ。


「若いからっといってウチも手を抜く気はありませんしね。ちょうど同じ年頃の臓器が入り用だったもので」

「!!!」


 粳場のその言葉を呑みこんで消化までにしばらくかかり。理解した後、亘は驚愕した。

 ──そんなまさか!

 ──……じゃあ初めからそのつもりで?


 通りで条件がよすぎるわけである。

 しかし当の本人、亘の目の前でそんな発言をしたというのに、粳場は平然としている。

 どうせもう抵抗なんてできないだろうとタカを括っているわけだ。


 ぎりっと奥歯が鳴った。

 そうとも、実際亘には何にもできやしない。体が自由ならまだ一発ぐらい食らわせてやることもできたかもしれないが。


 ……暴れたって亘の拘束は解けないんだから。今亘に何ができるというのだろう。

 タカを括るのも当然だ。


 粳場は余裕のある様子でこちらに目配せをした。


「ちょっとしたゲーム遊び如きで ここまで落ちぶれてくれる奴がいて助かったよ」

「────ッ!!!」


 ─畜生め。

 頭の中でそう毒づくも言葉にはならない。……できない。

 亘にだって自覚はあったのだ。自分がどれだけ愚かなことをしていたか。


 ──それでも俺は。

 亘は歯噛みする。すると口内には鉄臭い味が広がった。


 ──漫画とかドラマなら、ここでこのカネモチそうな奴が助けてくれるんだけど。

 ──そんな都合のいいことねえよなぁ。

 あまりに馬鹿げた考えに亘は自嘲した。


 もはや無様に喚いて足掻く気も起きない。

 それは酷く面倒なことに思えたから。強い倦怠感が身体中の筋肉を弛緩させた。

 それに、きっと亘はここでくたばった方がいいのだ。……これ以上落ちぶれずに済むから。


 ───あーあ、どうせ死ぬなら最後にもう一回ゲームやりたかったなぁ。

 だなんて思ったりするぐらいには、亘は来るところまで来てしまっている。


 こんな状況でも亘の頭に浮かぶのは、大好きなゲームの画面だけだった。そのほかの事など脳裏を掠めもしない。

 借金漬けになってまでも、続けたかったゲーム。死にものぐるいでのめり込んだ、それ。


 亘の中にあるのは、それだけだった。













「……ゲーム?」

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