第4話 『サザンカ』2


 ─5月13日 10:30 ゲーム会場?─




「だって……、俺いつも通り動けてたし」


 亘はなおもそう続けた。

 シジマの表情や言葉に『嘘』という言葉を探して唇を震わせるも、求めたものは見当たらない。

 静かにシジマはうなづいた。


「そう、でしょうね」

「シジマだって、さっきのは現実じゃできないはずだろ?」


 この少女は氷のつぶてを空間に召喚してみせたのだ。

 こんなこと、現実でできるはずがない。

 だからここは間違いなくバーチャル世界なのだ。

 ──そうだろ? なぁ……。


「なぁ、シジマ」

『どうしたァ? ヒーローたちは怪人たちに恐れをなして降伏でもする気なのでしょうか? 街に身を潜めたまま……えー、もはや10分が経過しました』


 呼びかけようとして、伸びのある声に遮られる。

 どうやらこそこそと隠れている亘たちが気に入らないらしい。


 普段のゲームであればこんな挑発じみたセリフ、器用に聞き流せず飛び出していくところなのだけど。

 亘の体は固まったまま、ピクリとも動かなかった。

 実況のような声に続いて機械音の混じる声がヤジを飛ばす。


[つまんねー、なにしてんの][死ね][はやくザザ、しろよー][無駄金使わせやがって][今日はハズレかなぁ][俺はこういうのスキだよ〜? じわじわ追い詰めるカンジ][サザンカとかいう方は『わかって』なかったぽいし、そういうことじゃない?][ザ、ザザ……暇ー!][シジマちゃんだけでもザザ……出てこねえかな][ころしちゃえばいいのに][仕方ないよ、このまま待とう?][おーい、金返せー]


 それは観客たちの声だ。

 先ほどまでは勇気付けられていたりしたのだが。

 残虐な言葉はもちろん、単純に楽しむ声も、亘たちをフォローする声さえ不快だ。

 今はただ、亘の胸をかき乱すためにそこに存在していた。


 ゆっくりと震える息を吐き出す。

 乾いた喉に唾を下せば、張り付いた内皮を無理やりこじ開けて腹に落ちていった。


 シジマは沈黙している。

 だからやけにその音が耳に響いてすでに早い鼓動を急かした。


 これからどうすればいいのかなんて、わからない。考えたくない。

 静かになった外にはまだ、あの怪人がいるのだろうか。

 あの剣が、また振り下ろされるのだろうか。

 果たして今度は、躱せるのだろうか。


 そんなことを沈思していた時だ。

 ドリームスコープについた無線機が軽い音を立てたのは。


 ───ピッ。


 その音はシジマの方でも聞こえたのだろう。

 大袈裟に肩を跳ねさせるシジマ。

 向こうから響いてきたのはこんな声だ。


[二人とも、観客が退屈してる。早く怪人を片付けてくれ]

「⁈」


 それは澄んだ通りの良い声で、柔らかいのんびりとした特徴的な喋り方。

 亘の、恩人のそれだ。


「倉、木?」


 確認するように呟くと、無線機の向こうで明るい声が出迎えた。

 それはまるで、友達と電話で話すような自然なノリで。


[サザンカ! 走り出しは最高だったぞ。やっぱり見込み違いじゃあなかっ……]

「おいっこれどういうことだよ!」


 力任せにそう叫べば、言葉を呑むような音が聞こえる。

 亘は無線のマイクに向かって吐き捨てるように怒鳴りつけた。


[サザンカ?]

「聞いてねえぞ! 俺はヒロバスやるっていうから……」

[ああなるほど。シジマから聞いたのか]


 そんな慟哭に返されたのはやはり変わらずのんびりとした調子の声だ。

 どこか底知れない不気味さが胸を灼いた。


 総司郎は朗らかに笑う。


[楽しいだろう?]

「たの、」

[本当に、ヒーローになったみたいで]


 全てが凍りついた。

 金縛りにあったかのようだ。指一本動かなくなる。


[これは疑似体験だよ、君の今までやってきたものと同じさ]


 総司郎の清廉な笑顔が目に浮かぶ。

 毒気などかけらもない、澄んだそれは野山の清流や、朝のひやりとした空気を思わせる。


 ……そんな、表情のはず。

 綺麗な笑みのまま、亘の心臓に爪を立てゆっくりと引き裂いていく。


[より、リアリティを求めただけだ]


 変人だとは思っていたが。亘の考えは甘すぎるなんてものじゃなかった。

 のらりくらりつかみどころのない……飄々とした声に、悪寒が背筋をなぞった。

 亘ははくはくと空をんでいた唇を結び、苦し紛れに呻く。


「こんなの……! おかしいだろ」

[そこがいいんじゃないか]


 しかし相手は簡単にそう応えてみせた。

 体温が急降下して、寒い、寒い……。


[苦しみ惑い戦うその姿ヒーローを見せてくれ]


 総司郎は平然と言ってのけてくすくすと喉を鳴らした。

 亘は歯噛みする。


「誰が……」

「サザンカ」


 そのとき、シジマが袖を引いた。

 見れば、暗い表情のシジマが俯いている。


「無駄よ、だって私たちは」


 震える指が、亘の袖を握りしめた。

 それは何かに耐えるようであり……。


 ──全てを諦めるようであった。


「この悪魔のペットだもの」


 憎々しげに部屋に落ちた言葉。

 亘はそれを舌で繰り返して確かめる。

 どう考えても、『人』を表す単語ではないはずだ。


「ペットって……」

「わかって、あなたはもう……」


 こいつのものなのよ。

 シジマはあの執事もメイドも言っていたセリフを舌にのせた。

 白い、ネックプレイメーカーを細い指がなぞる。


 次は何が来るのかと身構える亘の耳に高らかな笑い声が響いた。



[そうだぞサザンカ。【諦めろ】]



 そんな一言。


 たった一言で、ぞわり背筋が震えて。

 ビリビリと体中に刺々しい電流が走った。


「……!!!」


 胸がざわつく、思考回路が乱れる、今まで経験したことのないほどに。


 こんなの狂ってるのに【諦めろ】俺はヒロバスができるっていうから【諦めろ】ここにきた【諦めろ】んであって【諦めろ】こんな【諦めろ】馬鹿馬鹿しい【諦めろ】ことを【諦めろ】しに【諦めろ】き【諦めろ】【諦めろ】たわけ【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】じゃ……【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】【諦めろ】

 うるさいうるさいうるさい!!


 あまりの不快感に立っていることさえままならず亘はその場でふらふら膝を折った。

 ガンガンと頭が痛む。

 それと同時に、首のあたりに確かな熱を感じて。


「この、機械……?」

[そうだ。よくわかったな]


 赤いネックプレイメーカーに触れる。

 それの下にある薄い皮膚は、熱の他に僅かに痺れるような感覚があった。

 自分の押しているのか撫でているのかそれすらも把握できない。


 亘のそばでシジマが目を伏せた。


「……脊髄ってあるでしょう? ここに」

「シジマ?」


 ポツリ落とされた言葉に首を傾ける。

 シジマは屈んで亘の目線まで降りて来た。

 ひどく哀愁に満ちた表情だ。


「反射神経とかを司ってるやつ」

「あ、いや、知ってるけど……」


 要領を得ない質問に亘はのろのろと視線をあげた。

 いまはそれ関係ないだろ、……とは言えない。

 今までの流れからしてきっと関係のあることなんだろうと予想はつくが、正体は掴めないままだ。

 黙してシジマの言葉を待つ。


 シジマはゆっくりと跪いている亘の頬を撫でた。

 頬を通り過ぎその白い指は耳へ、首へ、メタリックな赤へと進む。

 冷たい指だ。思わず身が震えた。


「この機械はそこに信号を送るの。脳より早く、抗いようもないほど強く」

「なんだよそれ……」


 亘は呻くがシジマは休むことなく語り続ける。


 この機械は普通のゲームに使うものとは違う機能が備わっている。

 一つ一つに対応したマイクが存在し、そのマイクから送られた音声をそのまま『刺激』に変換して運動神経に巡らせるというもの。


 脳がどんなに抵抗しても、『反射』が優先される。

 つまり、装着している部分から下はこの機械の支配下。

 マイクを持つ『主人』のものだ。


「そしてそのマイクを持ってるのが、……この悪魔」

「そんな……」


 亘はシジマが語った全てを呑み込むどころか噛み砕くことさえできずに乾いた息を吐き出す。

 シジマは愁眉に顔を歪めて、ドリームメーカーに繋がる無線に視線をやった。

 だから、


「私たちはこの男に従ってしまうのよ」


 己の意思など、関係なく。


『お前は今日から倉木総司郎のものだ』

 昨日、あの執事の言っていた言葉が脳みそで溶ける。


 ──こういうことだったのか。

 そんなことに今更合点がいったところで、状況は変わらないし気持ちが落ち着く訳でもない。

 ──何も変わらない。絶体絶命の今が無常に突きつけられるだけだ。


[そういうことだ、サザンカ]

「……ッ⁈」


 耳元でのんびりとした声が鳴った。

 亘の体が大きく跳ねる。


[お前は確かに『俺のもの』で、『生き物』で、さらには『首輪』をつけてるんだから]


 間違いなく『ペット』だろう?

 だなんて。……そんな風に。

 何事もない、日常会話を愉しむかのような、無味無臭の軽やかな口調のまま、


 紡がれるのは死刑宣告にも似た、悪魔の呪文。


[なら、俺に従えサザンカ]


 決して抗うことのできない、【飼主の命令】。



[【今すぐ】、【ここを飛び出して】、【敵の元に戻れ】]



 ビクリと肩が跳ねて、また電流が体を回り出す。

 つう、と冷や汗が全身を伝うが、それが何になるというのだ。

 飼い主あくまの声には逆らえないのに。


 穏やかな声が命じる。


[【ヒーローらしく戦えサザンカ】]


 ふらふらと亘は立ち上がる。

 憐れむようにシジマがそれを視線で追った。


「ち、くしょ……」


 そんな言葉を舌にのせて吐き出すが、やはり意味は為さない。

 嫌だ嫌だと頭が無様に喚くのに、体は自然と踵を返していて。

 亘は曇天の広がる外へと飛び出していった。

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