第3話 シジマ3


 ─5月13日 10:25 ゲーム会場?─




 ──なんなのよ、このひとっ!

 戸惑った頭では答えは出ない。

 確かな焦燥と一握りほどの苛立ちで、思考はかき回されていた。


「ダイジョーブダイジョーブ! こういうのはッ! 先制攻撃に限ん、のー!」


 そんなことをのたまいて、魚のようなバケモノに拳を叩き込む『そいつ』。

 それは今朝方あったばかりの男で、『あの悪魔』の新たなる手先だ。

 何と無謀なことか、バケモノの群れに体を躍らせて獲物も持たずに立ち回っているのだ。


 あったその時から頭の弱そうなやつだと思っていたが。

 なんてそんなことを言っている場合ではない。


「あの、あのあの、えっと、サザンカ!」


 そう声をあげて、一度こちらに引き戻そうとするのだけど。

 この新人はどうにもこちらの話を聞かないのだ。


「ねえ、ちょっと……」


 どんどん小さくなる声だ。

 そんなものがサザンカに届くはずもなく。

 ごうごうと燃え盛る火と、もうすでに死体のほか人間の映像は無くなった街の風景に呑まれてきえた。


 そうこうしている間に、サザンカのちょうど後ろ。

 死角に立ったバケモノがサザンカに向けて剣を振り上げた。


 ──……あ、しんじゃう。

 瞬間的に赤い光景が頭をよぎり、シジマは思わず息を呑んだ。


 しかし、それが降り降ろされたのはサザンカが真横の敵に目をつけて構えた時で。

 運のいいことに剣はサザンカの体から逸れ、空を掻く。


 まさに、危機一髪といったところか。


 シジマは胸をなでおろしつつも、焦燥にかられる。

 ここで立ち竦んだまま叫んでいたって何も変わらない。


 ──どうにかして とめなきゃ!

 シジマの中の良心がそう叫びをあげるから。

 小さな体躯で魚ヅラたちの隙間を器用にかいくぐって必死に手を伸ばした。

 そうしてようやく、暴れまわるそいつの服の裾を掴む。


「……もうっ、ダメよ止まって!」

「行くぜッ……、うぉっ⁈」


 急にオーバーに後ろに仰け反ってそのまま倒れこむ男。

 少々こちらに気を向けさせたかっただけで、軽く引いたはずなのだが。


 ああ、しまった。シジマははっと気づく。

 自分が今は現実の何倍もの力を有しているのを忘れていた。


 しかし、ならば。

 シジマは思い直しサザンカの腕を引いた。

 今のシジマならば労することなく重いものを扱うことができるのだ。

 だからもちろん、突然のことに驚いて声も出ない男の体を引きずることなど、造作もなかった。


『なんだなんだァ! ヒーロー・シジマがサザンカを連れて敵前逃亡だー!』


 不愉快な実況男の声など無視してシジマは駆け出した。

 気味の悪い死体の映像を飛び越えて、同じくデータの塊で作られた倒壊済みのビルの中へと。


「ちょ、ちょ、シジマ! 何すんだよ!」

「こっち!」

「え、オイ! 『フィッシャーゴート』どうすんだよ! おいって……」


 ようやく抵抗らしい抵抗をしてくる男だったが、やはりまだ本来の力は出せないままなのだろう。

 ──いまのうちに、

 シジマは軽くいなして、力任せにその身を建物に引きずり込んだ。


 そのまま奥まで引き連れて行くつもりだったのだけど。

 ポロポロのビルの中の一室。

 デスクなど事務的な用品が無残に転がるその場所に来たところでサザンカがシジマの手を振りほどいた。


 振り返ればどこか苛立ったようなサザンカの姿があった。

 二人の視線が交差する。


「シジマっ、なんなんだよ。いきなりッ」

「あ、ああッあなた何考えてるのッ!!」


 遮るようにフシマは半端怒鳴り声になりながら叫んだ。

 サザンカは眉を寄せて相好を歪める。


「はあ?」

「あんな無茶苦茶に突っ込んでいったら体がもたないでしょう!」

「いや、でも……」

「し、死んだらどうするのよッ!」


 あのバケモノどもはギラギラ光る獲物を携えているというのに、無闇に突っ込むなんて自殺行為以外の何だというのか。

 しかし、シジマがそう言うとポカンと口を開けて固まるサザンカ。


「は、死ぬって」

「あ、あんなバケモノに素手でなんて! ぶ、武器も持ってないくせに!」

「あ、いや……なんも渡されてなかったから……」


 サザンカは勢いに呑まれてか軽い口を閉じ言い淀む。

 一方こんな叱るようなことを言っていてもシジマはシジマだ。

 怯えたように肩を縮めながらも力一杯声を張り上げているだけだ。

 低い身長も相まってハタから見たら無理難題を喚き散らす少女にしかみえない。


「ならもう少し考えればいいでしょう!」


 言っていることがどんなにまともで、言われているサザンカがどんなに無謀な事をしていても。

 それは幼い叫びのようにしか響かない。


「殺されてたっておかしくなかったのよっ!」


 だからだろう、サザンカは口を噤んでしまって。

 奇妙な沈黙が訪れる。


「え、ああ。あのね、」


 しばし戸惑って、やがて何かに合点がいったのか……。あーと頭を抱えたサザンカ。

 もう一度こちらを見たときには、苦笑いを浮かべていた。

 サザンカが話し始めたのはあろうことか、こんなことだ。


「これゲームだからさぁ、死なないっていうか、たとえゲームオーバーしてもさ実際の体は大丈夫なのよ。わかる?」

「⁈」


 ──……なにをいっているんだろう?

 シジマは一瞬、意味を理解するのをあぐねた。

 この男は何と言った?

 ──ゲームオーバーしても、からだはだいじょうぶ?

 シジマが固まってサザンカを見上げると、サザンカは何を思ったか曖昧な笑みを浮かべる。


「バーチャルなんだし痛覚もないワケ。攻撃されてもHP減るだけで痛くないの。だから大丈夫、ね?」

「……」


 シジマは目を瞬かせて、呆然と茶色の髪が風に遊ばれているのを眺めていた。


 そんなシジマを見て、サザンカはふいにシジマの色素の薄い髪をかき回す。

 そして、少々哀れみの色さえ混ぜて、駄々をこねる幼子をいなすように優しくこう言うのだ。


「まぁ、結構映像リアルだからさあ。そういう勘違いしちゃうのもわかるよ? だからそんな落ち込まないでよ」

「……」


 ──このひとは、なにをいっているんだろう。

 頭を首ごとかき回す手に預けて放心する。

 ガクガクと好き勝手回される首が痛い。

 ああ、そういえばこの男はあの悪魔に騙されてここにいるのだったか。

 ぼんやりと頭の隅で思い出す。


 なんてあわれな。

 なんておろかな。


 でもならば、仕方のないことなのかもしれない。

 シジマは小さく息を吐いた。


「……手、貸して」


 ポツリ呟いた言葉はやけに部屋に響いた。

 ひと段落ついたと踏んだのだのか、すでに身を翻そうとしていたサザンカがきょとんとした様子でこちらを見つめる。


「?」

「いいから」

「今度はなにさ……。俺早くゲームしたいんだけど」


 眉をひそめて頭を掻きながら、不満の意をシジマに送るその男。

 シジマは繰り返す。


「いいから」


 念を推すようにそう言えば、仕方ないなあとでも言うようにため息をついて、渋々サザンカは腕を預けてくる。

 シジマはそれを片手で受け取って、もう片方を宙へとかざした。


 その時、空気が動いた。


 ふわり、手元に冷気が渦を巻いて集まりだす。

 ぼんやりと指の先が青白い光を放ち、集まった空気を束ねて行く。

 やがてそれはひとつの形を成した。

 氷柱つららのような……、小さな氷片ひょうへん

 シジマの片手に収まるほどの、小さなカケラだ。


「ああ、シジマは氷属性なの?」

「……」


 話がつかめないといった風に訝しげに手元に視線をやるサザンカ。


 そう、彼の言うその通りだ。

 大気中に氷を出現させ、自由に扱う。

 それが、この世界でシジマに赦された、──力だった。


 きっと『特殊能力スキル』のことは知っているのだろう。

 大分慣れたように戦っていたし、……きっとゲームのことはシジマよりもっと詳しいのだ。

 でも、


 シジマはそちらを気にすることもなく、光を失ってなお手元に浮かんだ氷の針を握り込む。

 そして一瞬さえ迷わずにそれをサザンカの手に突き刺した。


「いっ……! おいイキナリ何すんだッ、……よ?」


 バッと引かれた手に振り払われて、シジマはその衝撃でバランスを崩し床に尻餅をついた。

 同時にひどく荒くなった声があがる。

 それに、シジマは身を萎縮させた。

 でも尻すぼみになる語尾。

 恐る恐るそちらに視線をやれば、瞠目したサザンカがいた。


「あ、れ?」


 サザンカは不思議そうに手を見下ろしている。

 小さくぱくりと裂けた傷口から滴る赤い液体も、データの羅列とは思えないほど精密で、


「いた、い?」


 そう、きっと痛みさえ感じてしまうであろうほどにリアルな偶像だった。

 偶像であるはずだった。


「は、え? なんで……? いたいはずないのに……」

「サザンカ」


 困惑した表情で痛みに浸っていたサザンカ。

 呼びかければ見開かれた目がこちらを見下ろした。

 シジマは震える声で、それでも目の前の人を落ち着かせるようにゆっくりと言葉を吐き出した。


「ねえ、今までこのゲームをする前に、何をしてた?」

「え、いや、ふつーにキャラクター作ったりして、」

「……他には?」


 静寂の銀灰で、サザンカをまっすぐに映した。

 サザンカはシジマの言葉に藁の糸ほどの希望を見出そうと躍起になって、必死に言われるままの事実を応える。


「体が動いて周りのもん壊さないようにバンドつけてベットに……」

「今日、そんなことした?」

「し、なかったけど」


 しかし、残念なことにシジマはその藁の糸さえ垂らしてやることはできないのだ。

 ──ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

 シジマの頭の中で鳴る声は、彼に何の許しを乞うものか。


 その希望になれないこと?

 もっと早くに伝えてやれなかったこと?

 それとも……あの悪魔に、


「嘘だろ、いやジョーダンにしちゃあ笑えねえよ? だから、やめようぜ? シャレになんないよこんなの……」


 シジマは応えないまま、サザンカが取り乱すそのさまを眺めていた。

 瞳の銀灰に憐憫の色を灯しながら。


「でもこんなの! こんなのってっ……」


 シジマが応えないことで、状況を理解し始めたのだろう。サザンカは取り乱した風にそう言って、でも否定を諦めたように言葉を切った。

 でも、「おかしいだろ!」、そんな言葉が先に繋がることがわかる。


 序盤の立ち回りは見事と賞賛するに値する戦舞だった。

 きっとあのバケモノと戦ったのは初めてじゃないんだろう。あれ以外のバケモノでも、華麗に踊ってくれるはずだ。

 しかし、どんなに『ヒーロー・バースこのゲーム』に慣れていようと、関係ない。



 ……これは。

 このゲームはバーチャル世界で遊ぶゲームいままでのものとは一線を画す。


 完全に、安全な、データなどではないのだ。

 決して映像ではない、シジマは痛ましげに眉を寄せる。

 ──傷口それサザンカ自身わたしたちも。



「ここはね、そういうこと」


 シジマは自嘲しわらった。

 そこにあるのは『諦め』と、『絶望』のふたつだけ。

 サザンカは息を呑む。


 ボコボコの断面を覗かす、ボロボロなコンクリートの建物。

 その一室で、シジマは震える声を響かせた。



「タチの悪い……、悪夢よ」

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