第2話 『サザンカ』1


 ─5月13日 10:20 ゲーム会場?─




『そこは平和な街だ。……その筈だった』


 扉をくぐると、男の声が狭い通路に反響して響いた。

 マイクを通しているのだろう、伸びやかな聞き取りやすいその声はスポーツの中継なんかで聞くそれによく似ている。


 ぽつりぽつり明かりの灯る薄暗い長い通路。

 一足先を歩く係員の後ろをシジマと亘は歩いていく。


『その日の朝、街はざわついていた。何処かの誰かがこんな事を言い出したからだ。……「破滅が、訪れる」』


 どっかで聞いたことがあるようなないような、そんなありきたりな物語。

 どうやらこの男の声が読み上げているのは、今回のゲームの舞台設定らしい。ゲームを始める前に、どの大会でもこのように語られるから亘はすぐに合点がいった。


 簡単に説明してしまってもいいのだが、男はまるで物語のように抑揚をつけて大仰に話す。

 そういう派手な演出は大会なんかでは、よく見るどころか当たり前だった。

 単に盛り上げも勿論だが、それだけではない。


 前口上でストーリー性をつけることによって緊張感を高めたりなどの効果のほか、この長い口上にはたくさんのヒントが隠されていたりする。

 例えば『怪人たち』と表現するか、『怪人』一匹だけか『軍勢』か。それだけで敵の数の推測がつく。


 全くここだけでない話だが、そのほかにも様々な情報が拾える。

 熟練者たちはこの口上に聞き入るものが多い。

 その僅かなヒントを手繰り、戦略を立てることこそがこのゲーム攻略のカギとなる。


 だからこそ今、亘は耳を澄ませているのだ。

 長年このゲームの愛好家をやっている身としては、一言たりとも聞き逃すことなんてできない。


『そんなバカなと笑い飛ばすものがいた。本当だったらどうするんだと声を荒げるものがいた。あちらこちらでその両方が議論を交わし、……実に騒がしい朝だった』


 廊下を進むにつれ、熱気がむわり立ち込めて頬を撫でる。

 長い廊下の先、ガヤガヤと騒がしい賑わいが聞こえてきた。


「えぇー、小さいイベントって聞いてたんだけど……」


 入り口ロビーでら閑古鳥が大合唱していたものだから、小さなイベントなのだと思っていたが。

 それにしては聞こえるざわめきに厚みがありすぎる。

 ……どうやらこの先には大勢の人がいるとみた。


 隣をゆくシジマもそれを肯定した。


「……何度か、来たけれど。観てる人はいつもたくさんいたわ」

「へぇー! マジかー、そらテンション上がんねぇ」


 あの待合室は個別に作戦会議などをする為に設けられた場所なんだろう、おそらくだが。

 きっとこの先がゲーム会場となっていて、イベントのプレイヤーやネット中継を見る観客たちのディスプレイが浮かんでいるはずだ。


『そして、その時は来た──』


 進むたび、煙たいにおいが深く強くなっていく。

 その熱気に当てられてか、ひどく目が乾いた。

 どくどくうるさくなっていくざわめきと心音の代わりとばかりに、呼吸はだんだん浅く遠慮がちになる。


 賑わいが近づいてくる。

 呻きのような低い声から甲高い声で叫んでいるものまで様々だ。

 ──それがただの賑わいではなく、誰かの『悲鳴』だとわかった頃には、亘たちはまばゆい出口のアーチをくぐっていた。


「ではご健闘を」

「すっげ……」


 ぺこり腰を折って係員が後ろへ下がる。

 そのまま出口の向こうに立っていた別の係員に合流して姿をくらました。

 が、亘がそちらに視線をやることなんてなかった。


 たどり着いたそこは、とてもゲーム会場とは言い難い。

 ヒーロー・バースを遊ぶときはゲームの中での動きが現実に反映しないよう、簡単な拘束をする。

 だから、そこに広がっているのは傷を作らないため柔らかい素材でできた専用の拘束具を取り付けたベットの群れ。

 そのはずだ。少なくとも、亘の経験してきた大会ではそうだった。


 ──けれど……。


 目の前にあるのは雑に砕かれたコンクリートの瓦礫、火、煙、人、人、人。


 天井や壁はそこにはなく、この場所を囲うのは高温の空気と曇天の空だ。


 薄暗い曇天に飲み込まれて行く黒煙。

 そこにはいかにも『荒らされた街です』とでも言うような風景があった。

 ビル『だった』であろう建物の断片が無残に転がっており、道路や歩道を塞いでいる。

 ごうごうと燃え上がる火が街中をまるまる飲み込んでいく……そんな嘘八丁でも『会場』だなんて呼べない所に亘たちは立っていた。


 耳障りな雑踏と、途切れ途切れの絶叫が鮮明に聞こえる。

 逃げ惑う人々の足元には真っ赤な水たまりが転々としていて……。

 そこにに転がっているのは肉塊によく似たエフェクト。

 それらはまごう事なく行く人たちと同じ『人間の形』をしていた。


「え、なにココ」


 呆然と呟いた。

 でも、そんなうわごとのような言葉は結果として誰の耳に入るでもなく。

 宙ぶらりんに空気に溶けるだけだ。

 そんな亘への返答の代わりにか、悲鳴以外に耳に押し入る声があった。


[ザザ……ザ、れが、ザザ、今日のヒーロー?][なんかフツーなカンジ][頑張ってください!]「は?」[ザ……女の子のほう結構俺好ザザ……み][シジマちゃんザザ……ぶりじゃん]「え、ちょっと、」[片方すげーキョドッてんだけど]


 ノイズ混じりの『音声』。

 男女様々だが、逃げ惑う人々の緊縛したものではなく、どちらかと言えばのんびりと談笑をするような場違いなそれだ。


 聞こえた方向に目をやると、四角いエフェクトがずらり並んでいた。

 青白いディスプレイが空中に浮かんでおり、

 その画面の一つ一つからそのガヤのような声はきこえてくるのだ。

 音質がまちまちなのは先につながる機器の性能の差だろう。


 亘はこのディスプレイに覚えがある。

 もちろんそれは過去に参加したヒーロー・バースの大会の会場で。

 ゲームの最中、空中から選手ヒーローを見下ろす、



 ……観客たちだ。


[男のザザ……は、チャラめザザ……、ゃね?][ビビってんなァ][もしかして初心者?]「え、ええ?」[お気をつけて][あ、こっち見てるザザッ……ザ][死ぬなよ〜][期待してます][こーいう頭軽そーなやつ嫌いザ、ザザ……ねばいいのに]「なにこれ……」[女の子がんばー!][ひひひ][応援しとるで〜][ピッ……ザザ、超ウケる]


 人数こそ多くないものの、軽く見て30はあるだろうか。

 やはり最初に倉木が言っていた通り内々うちうちのイベントなのだろう。


 しかし、それにしては妙だ。

 口々に好き勝手なことを話す彼らの顔はディスプレイに映っていない。

 この人数ならおそらく顔見知りを集めただけだろうし、映っていてもいいと思うのだけど。


 ───ああ、でもそんなことはどうでもいい。


「いやいやいやいや、わっけわかんねーし。いつの間にこんなとこに?」


 キャラクターはまだ作ってない。スキルだって選んでない。

 だと言うのに目の前に広がるのはバーチャル世界のそれだ。

 この荒廃した街に立つのは間違いなく亘本人の姿で、横にいるのも待合室で話した時と寸分変わらぬシジマ。


 今まで幾度もゲームの大会に出場した。しかしどんなに大きな賞金を掲げる大会でもこんな演出、見たことがない。


『街に現れた悪の手先『フィッシャゴート』! 闇の怪人どもの群れに次々と蹂躙される街の人々! ああこのままではこの街は滅ぼされてしまう!』


 その声につられて街にもう一度目を戻せば、こちらも老若男女問わず入り乱れて当てもなく走り回っている。

 ただただ、その異形の影から逃れんがために。

 通路まで聞こえて来た悲鳴の正体はこれらしい。

 逃げ惑う人々を大振りな剣を手に追いかけ回す『フィッシャーゴート』と呼ばれた怪物。


 シルエットだけなら、筋骨隆々な巨漢と言ったところだが、彼らは違う。

 全身が鱗に覆われていて、本来頭がついているところにあるのは魚のそれだ。

 鋭い爪を持つ手には反りの深い剣を握っていて、体は古臭い鎧で包んでいる。

 そんな、バケモノ。


 それに追われる、人の群れ。


 唖然として立ち尽くす亘のことなど差し置いて、解説の男が高らかに宣言する。


『さあ! そこでヒーローの登場だァー!!』


 パッと上からライトが照りつけた。それが並んだ二人を荒廃した街の中で映し出した。

 宙に浮いたカメラのエフェクトが、こちらにレンズを向けている。


 同じく宙に浮いたディスプレイからワァと歓声が溢れた。


「ははっ」


 掠れて乾いた笑いだった。

 困惑と興奮で自然と引き気味に口元がにやける。

 ひやりと冷たい汗が頬を伝うのに、体の芯は熱くて熱くて仕方がない。


 そんなサザンカの視界の端で。

 足を縺れさせて転んだのは少年の姿をした『映像』だ。

 ハッとして目を向ければ、涙ぐみながらも立ち上がろうと必死に上体を持ち上げる少年の姿があった。

 ……もちろん、その背後に迫るバケモノの姿も。


 幼子にも容赦無く鋭い刃を向ける『フィッシャーゴート』。

 ああ、このままでは少年は……。

 ここで助けに行くのがヒーロー。亘も大好きなおきまりの展開だ。


 でも、亘はまだ状況が整理できていない。

 頭がこんがらがって木偶のように立ち尽くすことしかできない。


『彼らは果たして街を救うことができるのかー? それとも呆気なく悪に屈してしまうのか!! 街の運命や如何いかにぃ!』


 だって言うのに、熱のこもった独特の抑揚を持つ声がそんな風に背中を押すから……。


 亘の体は意思より早く動いていた。


「……ぁ」


 小さな感嘆を背中に聞きながら、亘は落ちてくる刃を横殴りに振り払った。

 呆気なく鱗まみれの手から離れからからと地面に転がる獲物。

 亘はニヤリと笑みを深くした。



「……っと、『助けにきたぜ? 覚悟しろバケモノども』ってか?」



 在り来たりだけど、それだけに当たり障りの無いセリフと共に。


 亘の行動にシジマが驚愕したように息を飲む。


「えっ、あ……ちょっ!」

『おーと! 開始早々飛び出して行きました! ……あれはえーと』


 実況がしばし言い淀む。

 何か紙擦れのような音と沈黙の後、男は高らかにそのヒーローの名を呼んだ。


『初出場のヒーロー サザンカ!!』


 声に煽られて、半秒あとにまた大きく歓声が鳴る。

 自分のためだけに奏でられた合唱に、僅かに切り離せなかった糸がぷつり途切れた。


 ありがとう、空気だけ吐いて後ろで尻餅をついたままの少年が亘を見上げている。

 その言葉だけで嬉しいものだ。……バーチャルの幻影とはわかっていても。

 しかし、亘には構ってる暇などない。

 怪物は目の前にいるんだからやっとゲームができるんだから


 振り向きもせず軽く手を振って応えただけで、亘は駆け出した。

 体は軽い。なんてたってゲーム世界である。今の亘たちは本来の肉体では遠く及ばない身体能力を有している。

 亘はバーチャル世界に吹く人工の風よりも早く駆けて、怪人たちの中に飛び込んだ。


 たじろいで一斉に無温の目をギョロリと向けてくる同じ頭のバケモノたち。

 その魚ヅラに拳を叩き込む。


Mr.出雲ミスターイズモ氏提供の新メンバー! これは期待ができそうだァ!』


 通常の十倍にも百倍にもなった今の身体能力で放たれた思い拳は、鈍い音と共に巨体を吹き飛ばした。

 派手に体をくの字に曲げて、空中を滑空する。そして、砂埃と灰を巻き上げて地面に叩きつけられた。

 仲間の負傷に少々驚いていたようだが、怪人たちは即座に身構える。


 ──そうそう、期待してくれていいんだぜ?

 亘はニヤリほくそ笑んだ。

 イズモとかいう名に覚えはなかったが、この口ぶりではおそらく総司郎のことだろう。

 恩人の名を背負って戦うなら恥はかけないな……。なんて気取ったことを考えた。


 気を取り直し亘へと向かってくる怪人たち。

 そのうちの一体が、奇妙に反ったつるぎを振り上げた。


 ゴオッと唸って振り下ろされるそれを亘は体をひねってかわす。

 ──ああ、これだよこれ。

 亘は続けざまの剣撃も軽快なステップで次々と避けた。


 屈む、飛ぶ、回る、よじる、そんな動作を流れるように造作もなく繰り返すだけ。

 それだけで、不思議と軌道から逸れて大ぶりな攻撃は明後日の方向へと飛来した。


 その様子が面白くないのだろう。

 苛立ったようにグオンと呻いて『フィッシャーゴート』は剣を高々と振り上げる。

 街を覆う火炎の光を反射して鈍くきらめいた刀身。


 それはやっぱり亘に届くことはなく、地面に傷をつけるだけで終わった。

 しかし亘はその一撃をちらり横目で捉える。

 ……と、同時に音もなく持ち上がる口角。


 地表にとどまる剣の奇妙な反りに亘は無造作に足を乗せる。

 少し高くなった目線。急な重量に怪人はたじろいで、一瞬だけ動きが止まる。

 その隙を狙って、サザンカは大きく飛び上がった。

 曲芸師を思わせる高度の高い跳躍と、回転。


「おらよっ、と」


 亘はがら空きになった頭を、サッカーボールよろしく蹴り飛ばした。


 あまりに軽すぎる動作。

 それはまるで初めからそこが空くのを狙っていたかのようで、手慣れた簡単な動きだった。


 僅かに走る戦慄。

 緊張を高めるモンスターたちと、ざわついていた声を中途半端に呑む観客。


『初登場』と最初に言われたことと、困惑した様子を見て、きっと彼らは亘のことを初心者だと想定していたのだろう。

 でも、亘は『知っていた』。

 この怪人たちは事を。


 亘は実際このバケモノとはがあるのだ。

 他の大会でも、市販のゲームの中でも。

 それほどの定番キャラだった。きっとこのイベントは本当に初心者に向けられたものだったのだろう。


 数秒舞い降りた無音。

 怪人たちですら固まって亘を見ている。

 効果音しか響かない、聞こえない、その世界で。

 口を開いたのはシジマだ。


「あ、の! さサザンカ! ……ちょっと待っ……」

「ダイジョーブダイジョーブ! こういうのはッ! 先制攻撃に限ん、のー!」


 言いながら拳を振り下ろせば、吹き飛ぶ生臭い生物。

 確かな手応えが腕に伝わって、ビリビリと身体中を快感の電流が駆け抜けた。


 瞬間、頰をギリギリを通り過ぎる鉄の塊

 まさに皮一枚のところに突き出した銀色。

 後ろを見ずに裏拳を振るえば、固い感触が後方へと飛ぶ。

 ──あっぶね。

 どうやらいい気になって注意散漫な背後を、怪人に取られてしまっていたようだ。


 すぅっと冷える頭。

 温度をを小刻みに高温低温に切り替える変える心臓だった。

 でも、リズムだけは変わらず早鐘を打ち続けている。

 ……この緊張感がたまらない。


 緩んだ気を引き締めて全身の神経を研ぎ澄ませ構えた亘。

 それを取り囲むように、『フィッシャーゴート』たちは円を描いた。


「はっ、なかなかいー演出じゃねぇの」


 強気に笑って相手の動きを伺う。


 じりじりと詰められていく距離。

 亘は彼らをよく知っている。

 ある一定のところまできたら……、一斉に飛びかかってくるはずだ。


 さすがにその全てを捌き切れる気はしないが。

 ヤジ混じりにこちらに声を飛ばすディスプレイたちも、亘を勇気付けるようだから、

 多少のHPはくれてやってもいいかもしれない。


 その時を、測る。

 気配を、探る。

 亘はカッと目を見開いた。


 ──ここ、……だッ!


「行くぜッ……、うぉっ⁈」


 意気揚々と拳を握りこんだ亘だったが。

 突如ガクンと膝が折れて、上体が後ろへと傾いた。



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