後編 欲しいものだったから

第1話 ノリナミワタル6


 ─5月13日 10:08 ゲーム会場─




 会場は決して賑わってはいるわけではなかった。

 ゲーム会場といえばどこかわいわいしているイメージだが、全くそれに反していて。

 椅子と机が置かれただけの簡素な待合室には亘たち以外の影はない。

 総司郎の言っていた通り、『ちょっとした』内々うちうちでやるイベントなのだろう。


 静閑なビル街の隙間にぽっかり空いた自動ドア。

 ガラス張りのそこが動いて亘たちを飲み込んだのは数十分ばかり前のことだ。

 係員にこの待合室へと通されて、もうすでに簡単な日程やゲームの説明は聴き終わっていた。

 ……ほとんど知っていることだったから退屈で軽く聞き流しているだけだったのだけど。


 亘は係員に渡されたドリームスコープを装着し、それと対になる「Neckplaymaker ネックプレイメーカー」という名の装置を首にカチリと嵌めた。

 プレイヤーの細かな意思を広い取って、キャラクターに反映させる。

 ヒロバスの人気の根源とも言えるその重要な役目を担っているのがこの装置だ。


 今朝総司郎が持ってきた亘用のその機械。

 それは色や種類が様々で、─さすがカネモチ。と少々笑みが引きつった。

 しかしそんな皮肉とは裏腹に、亘は悩みに悩み……。ようやく今選び終えたところだ。

 亘の目元と首を彩るのは赤と黒のメタリックなデザインの機械。

 姿鏡に映った自分のその姿に満足したのか、亘はホクホクと笑みをこぼした。


 待合室には亘ともう一人の影があった。

 頭のてっぺんが亘の肩にも届かない、小柄な少女だ。

 色素の薄い髪をギリギリ肩まで伸ばして碌な装飾もなく流している。

 見目は和夢ほどではないにせよ、幼さがあまる。

 しかし、なかなか整った綺麗な顔立ちだ。


 亘は胸の内で口笛を吹く。

 ──おっしゃ、ヒロインゲット!

 これからヒーローの名を名乗ることになるのだし必要だとは思っていたのだ。

 しかし相手がいない為、諦めていたのだが。

 美人ちゃんが近くにいるのなら話は別! 初出演でバディなんて、これはチャンスだ。


 そそくさと早歩きでそちらへと足を運ぶ。

 椅子に座る俯き気味の少女の前に屈み、亘は気さくな笑顔を浮かべて覗き込んだ。


「えーっと、シジマちゃん? だっけ」

「ひっ、……あ。そ、そうよ」


 少女、シジマは突然視界に入って来た亘に驚いて大袈裟に体を跳ねさせた。

 ここに来るまでも怯えたように身を縮こめていたり、どうやら人見知りの激しい子のようだ。


 その道中で彼女のハンドルネームを総司郎から教えられたから呼んでみたのだけど。

 亘はハンドルネームにちゃん付けも変だなあと思い直す。

 ──せっかくなんだし自然な流れで呼び捨てして、一気に距離感縮める作戦でいこう。

 亘はへらへらと軽い笑み少女に向けた。


「今日はよろしくねえ。実は俺さぁヒロバス久々なのよ。だからシジマ、リード頼んでいーい?」

「わたしが?」

「うんそーそー、頼りにしてるよぉ」


 シジマの目が小さく見開かれる。

 ヒーローポジションを譲る気はないのだけど、初対面の女子に華を持たせる亘なりの気遣いだったのだが。

 シジマは怯えたようにかぶりを振った。


「……む、無理よ」


 綺麗な顔が悲しげに歪む。


「私は、一人で手一杯だもの」


 ふむふむと亘は首を縦に振って亘は不安そうなシジマを眺めていた。

 びくびくとした態度も、変に緊張して固くなる表情も、なんと言うか庇護欲を掻き立てる。

 ──守ってあげたくなっちゃう気弱系ヒロインかぁ……、なかなか理想的?

 亘はそんな不純なことを考えて、だらしなく唇を緩めた。


「あ、もしかしてヒロバス歴浅め? いつから始めたのー?」


 初心者だったらこんな風になってしまっても仕方ない。

 亘自身、初めて大会に出場した時はこんな感じだった。

 シジマが小さな口を遠慮がちに開いて応える。


「え、と。三年、ぐらい」

「え! 結構長いじゃん!」

「ひっ」


 ヒーロー・バースが発売されたのは五年前の春だ。三年間プレイしてきたなら大分早くから始めたことになる。


 亘の驚いた声に大きく身を引いたシジマ。

 そんなに大きく怒鳴ったつもりではなかったんだけど、怖がらせてしまったのなら、こらはまずいぞ。

 これからに大きく関わるからだ。


「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだよー」

「い、いえこちらこそ……あの、えっとごめんなさい」


 軽く笑った亘だったが、シジマは胸の前でキュッと結ばれた両手を中心に身を縮める。

 亘は頰を掻いてどうにか巻き返そうと言葉を探した。


「ええっと、……俺もねぇー。だいたいそのぐらいから始めたんだ」

「はぁ……」


 強引に話を切り替えて亘はシジマの手を取った。

 ひゅっと息を呑んで固まる小さな体。


「最初はホントでっけえ怪物とか怖かったんだけど、やり始めたらやめらんなくなってさぁ」


 そう話す言葉にだんだんと熱がこもってくる。喉だけでなく胸までもを焦がすその熱を確かめるように、亘は一度深く息を吸った。


「いやぁ、楽しいよね! ヒロバス。何かこうホントにヒーローになったみたいでさ!」


 興奮気味にそう言ってシジマを見上げる。

 独特のヘラリと軽い笑みは買ってもらったオモチャを自慢する子供のようだ。


 ばちくりと瞼を開閉して、亘の言葉に不思議そうな顔をする少女。

 そんなシジマがふぅ、と息をついて亘に返したのはこんな事。


「私は、あんまり……好きじゃないわ」

「え」


 三年もやってるのに? 亘は目を瞬かせた。


 少女の首に巻かれた機械は、白一色でまとめられたシンプルなデザインものだ。

 真ん中にチャームが一つぶら下がっているが、装飾なんてそれぐらいのもの。

 そのなだらかな表面を、細い指がなぞる。


「ごめんなさい。私は、あなたのこと……守ってあげられないの」


 その指も、機械を巻きつけた細い首も、色がほとんど同じでどこが境目なのかわからなくなる。


『守る』だなんて……。


 流石の亘だって、こんなか弱い少女に守ってもらおうなどと考えてはいない。むしろどちらかと言えば逆だ。ヒロイン候補を助けてあげたいのはこっちの方である。


 ──なんかオーバーな子だなぁ。アニメとかの不思議ちゃんキャラになりきってる系かな?

 いやいや、亘は脳内に過ぎったその感想を一瞬で蹴り飛ばした。

 シジマはきっと、ゲームの中のことに感情移入をし過ぎてしまうくらい、純粋な心の持ち主なだけだ。

 まあ、何事にも真剣になるのはいいことだ。


 亘だってヒーロー・バースと現実の区別が付いているかと聞かれたら言葉に詰まる。

 それぐらいに重症である事は自覚していた。

 ……人のことを言えた義理ではない。


「そんな怖がんなくて大丈夫だよぉー、流石に俺も初めはビビってたけどさあ。慣れだよ慣れ! そのうち楽しくなるって!」

「そう、かしら」

「そうそう、絶対そう!」


 いつ、運命が現れるかわからない。

 だからどんな女の子にでも等しく種を蒔き、時を待つのが亘の信条──。

 だからこの時も、亘が持っていたのは純度100%の下心のみだった。


「一緒に頑張ろうぜっ、シジマ!」

「……」


 亘は少女を元気付けるようにニッと口角を持ち上げてシジマの小さな肩を叩いた。

 シジマは歪めたままの顔で亘を見つめた。

 ドリームスコープ越しの銀灰色の目はまだ不安に揺れている。


 しかし、奇しくもこの少女こそが亘の『運命』となるのだ。

 今の亘に知るすべはないことだけれども。


「次の方ー。中にお入りください」

「お、きたきたっ。……、じゃあ行こっか」


 そんな声に呼ばれて待ってましたとばかりに亘は立ち上がった。

 ……しかし、シジマは椅子に体を縫い付けたままだ。

 おっとと、と勢いあまってバランスを崩しながらも亘は体に急ブレーキをかけ、シジマを顧みる。


「シジマ? どうかした?」

「……なんでもない」


 声をかければシジマはそう曖昧に答えてゆっくりと腰を上げた。

 すこし俯いたまま目を伏せて唇を噛む。


「きっと、あの男に騙されてここにいるのね」


 小さくそう呟いたが、本当に言葉というよりは吐息のようなそれで。

 亘は聞き取ることができないまま、首を傾けるしかないのだった。

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