第5話 ノリナミワタル5


 ─5月12日 20:30 倉木邸内─




 俺の心をこんなにも簡単に鷲掴みにする言葉が他にあるだろうか。

 いやない。そうハッキリと言い切れる。


 それほどまでに、その言葉は俺の思考回路を灼き切った。


「君にヒーローになって貰いたい!」


 真摯な鈍色がこちらを捉えている。


 亘は彼の急な申し出に、頭が追いつかずたじろいだ。

 もう一度、脳内で再生して反復するがやっぱり理解ができない。


「え……、な、に、それ」

「言葉の通りさ、俺のヒーローになって欲しい」


 ドクン、心臓が音を立てる。

 血液に熱が乗って身体中を駆け回る、そんな感覚を覚えながら。

 亘は呆然とその人を見つめた。


 空五倍子の袖が揺れる。

 それと同時に亘の方へと節ばった手が伸ばされた。



「俺を助けてくれないか、ヒーロー」



 どくどくと心臓が耳の奥で鳴いている。

 体が 浮いてるんだか 沈んでるんだか わからない、そんな奇妙な感覚に脚が震えた。

 口の中に、唾液が集まる。


「どういうこと、ですか……?」


 口内に蓄積した固唾を呑み込んで、亘は揺動する口を開いた。


 亘はおそるおそると言った様子でゆっくりと息を吐き出す。それが思った以上に熱を持っていて。

 亘のそんな様子に総司郎はどこか困ったような表情になった。


「ああ、そんな堅くなることはないぞ。今日から生活を共にする家族じゃないか」

「かぞ、く?」

「歳だって大して変わらないんだから。敬語じゃなくていい、楽にしてくれ」


 家族、という言葉に疑問を抱きつつも、そのあとに続いたセリフにも亘は少なからず驚いた、


「え? 歳、近いんスか?」


 ──4つか5つぐらい上だと思ってたんだけど……、そこまで離れてないのかな。

 総司郎は大きく首を縦に降る。


「ああ、7つぐらいしか離れてない」

「それ近いって言わねっすよ……」


 いや、人生平均80年だと思えば近い方かもしれないが。

 ──予想よりちょっと離れてたぐらいだし。なんだかなぁ……。

 その振れ幅も微々たるものとはいえ、上回ったのも事実だ。

 どこか複雑な感情で亘は苦い顔になる。

 だけどそんなことは知らない総司郎はニコニコと笑った。


「だから、気にしないで楽にしてくれていいぞサザンカ」


 その男はまた意味のわからない単語で亘を呼ぶ。

 気にしなくていいならそれが一番いいのだけど。


「えーと、じゃあ倉木サン?」

「別に名前で呼んでくれて構わないぞ?」

「……いや、デモ歳上ナンデ」

「遠慮なんていらないんだがなあ……」


 ブンブンと頭を振ってその申し出を拒否する。

 総司郎は目を瞬かせて首をひねった。


 和夢の時は最初はなから下の名で呼んだのにどうして彼は違うのかって?

 理由は簡単、そうしたいと思わなかったからだ。


 和夢は女の子だ。対してこの恩人は男だ。

 ただそれだけの理由。

 もちろん亘は、別に幼女愛好ロリコンのケがあるわけではないが。

 亘はただ、女の子全般に根回しを怠らない男なのだ。

 だっていつどんなところで運命と出会うかわからないんだから。

 まぁ、目の前の恩人にそんなこと言えるはずもないけれど。


「い、いいじゃん、そんなこと別にさぁ。それよりも……、」

「……、まあそう、だな、うん」


 明後日の方を見ながらそう切り出すと総司郎は思案顔で頷いた。

 少々難色を示してはいたが言葉の硬さがなくなったこということで妥協したのだろう。

 にこりと笑み、ひょろりとした体を大きく張って総司郎は応えた。


「なんでも聞いてくれサザンカ」


 さて、何から質問するべきか。

 ヒーローとは何か、自分を助けた理由、支払った金の問題、今後の身の振り方、何か要求があるのか、助けるとは一体……?

 問わねばならないことが多すぎて、亘の出来の悪い頭は悲鳴をあげる。


 だから、亘は考えるのをやめて頭を渦巻くごちゃごちゃの全てを切り落とした。

 その中でふるい落とせないものを手に取るぐらい、誰にでもできる事だ。どんな馬鹿だってできる。

 亘にだってできる。


 胸に残ったひとつは亘にとって、何よりも。

 何よりも大事なこと。


「それってもしかして俺にヒロバスやれって言ってる?」


 ゲーム馬鹿もここまで来るともう嘲笑すら湧いてこない。

 そんなもの送るためにつかう表情筋の労力を思えばその僅かなもの渋って諦める方が有意義だとさえ言える。


 しかし、総司郎は朗らかな笑みを崩すことなくその質問に縦にかぶりを振った。


「そういうことになるな」


 あっさりとそう返される。

 すると亘は即座にもう一度口を開いた。


「俺がヒロバスやると倉木サンは助かんの?」

「とっても」

「九千万払う価値があるぐらい?」

「それは君の活躍によるな」


 矢継ぎ早にかけられた質問にテンポよく返事をして、総司郎は目を細くした。

 きらり輝く鈍色に囚われて、亘は眉間にしわを寄せた。


「もう一回聞くけど、なんで助けたの?」


 加えて亘は先ほどの質問をあえてもう一度繰り返す。

 あの答えでは全く納得できなかったのだ。

 しかし総司郎が返したのは今度も前回と同じセリフだ。


「君と趣味が合うと思ったから」

「話せる友達いねーのかよ」

「いるさ! いるけれど何より君と話したかったんだ」


 総司郎は明るくそう言った。

 話の流れからして亘は『話し相手』として選ばれたのだろう。

 それは何となくわかったが、その相手に他でもない亘を指名したその理由は?

 亘は首を傾けるばかりだ。


 そんな亘に総司郎は細かな首肯を繰り返しながら応えた。


「俺たちは似た者同士だと思ってね」

「なにそれ、全然似てねーと思うんだけど……」


 似たところなんて見当たらない。

 金とか社会的地位的にはもちろん、性格面でも重なる部分は一つだって思い浮かばない始末だ。


 ……さっきからどうにも意図をつかませない回答ばかりである。彼は亘の質問にきちん答える気があるのだろうか。

 ──いや、何処と無く天然ぽいけどさ。

 亘はため息を吐いた。


「……覚えとけよ。もし期待はずれで、そん時金返せとか言われても ビタ一文も返せないからな」

「あはははは、それはそれで困るなぁ」


 そんなカッコ良くもない宣言に、からからと笑い声を立てた総司郎。

 彼はふと自らの胸に手を当てた。

 瞳を伏せて、一つ一つの音を確かめるように穏やかに言葉を吐き出す。


「でも、きっと期待を裏切られることはないさ。そう信じてる」

「……」


 そんな、一切の根拠もないことを当たり前のように言って総司郎は瞼をあげた。

 鈍色の中に、亘の姿が映っていて。

 対面の自分と目が合った。


 ああ、なにか掴めそうな気がしてる。


「そっか、うん……」


 ヒーロー、舌の上に乗せてその単語をつぶやいてみる。

 馴染んだ言葉だ。繰り返し口にした言葉だ。

 自分がなれるだろうか。わからない。

 でも、なんにせよ……。


「それでなんだが、君には、」

「じゃあ、何でもいいや」

「……!」


 亘はからりと笑った。

 僅かに総司郎の目が見開かれる。

 何の気なしに和夢の方も確認すると、無表情が少しだけ崩れて主と同じく瞠目していた。


 二人がそんな反応をするものだから、亘はくすくすと喉を鳴らした。


「それで? 俺はいつヒロバスやれんの?」

「あ、えっと、」

「近いうちにやりたいなー、明日でも明後日でも……あ、今からでも全然いいよ?」


 冗談交じりにそんなことを言って、まるでおもちゃを買ってもらった少年のようにはしゃいでみせる。

 その様子に二人は唖然とするばかりだ。


 ヒーローになってくれなどと訳のわからない頼みごとをしたはず。

 おそらく猜疑にかられて。もしくは恐怖して、断られると予想していたのだろう。

 しかし亘はあっけらかんと受け入れた。


 ──いやー、人生生きてみるもんだね!

 ──俺にもようやくツキが回ってきたのかも……、あ。これフラグってヤツじゃね?

 くだらない思考に自分のことながら一人胸の奥で笑い声立てる。


 総司郎が戸惑って崩れた表情で亘を見入った。


「も、もういいのかい? サザンカ」

「何が?」

「ほら、いろいろあるだろう? 他に聞きたいことはないのか?」

「そんなこと言われてもなぁー……」


 亘はあとのことは大して気にならなかった。

 それはなるようになる、という投げやりで前向きな発想ではなく。

 それよりはどんなに足掻いてもなるようにしかならないという経験談からの結論だった。


 しかし、総司郎が不思議そうなにこちらを伺う。

 その視線が居た堪れないから、亘はお愛想ばかりに思いついたことをそのまま質問にして投げかけた。


「てかさっきからのそのサザンカって何さ」


 急にそんな風に呼ぶから、一瞬誰を呼んでいるのか考えてしまった。

 サザンカ、とは亘のことで間違いはないだろうが。なんの説明もなしにそう呼ばれても反応できないし、しっくりこない。


「──と、それは……、」


 色濃く残る残る絶句のあと、総司郎は小さく咳払いをして平静を装った。

 まだ色を残す驚愕を取り繕う曖昧に笑んだ顔。


 なんだろう、これは少し気分がいいかもしれない。

 強面たちの前でも微笑を崩さなかった男が自分の一言でこうにも大仰に反応するのは言っちゃあ悪いが少々、……面白い。


 恩人に向けるにしては不遜すぎることを思っていると、総司郎はこんなことを言った。


「君の他にも俺を支援してくれるヒーローたちがいるんだがな?」

「俺の他にも?」

「そう、これからの君にとってはヒーロー仲間になる」

「戦隊ものみてー」


 赤だとか青だとか色の振り分けもするのだろうか。

 ──赤がいいなぁ……。

 ──なんか主人公っぽいし、かっこいい。

 そんな子供じみた想像をして含み笑う。頭の中では登場シーンにでも使うのカッコいいポーズなんかを思い浮かべていた。

 実は口元の緩みが表に出ていて、変にニヤついた顔になっているのだけど、亘本人には知るすべもない。


 総司郎は得意げに笑った。


「その、九人目だから……サザンカなんだ」


 あ、今の無し。人数多すぎるわ。

 戦隊モノなんてできるはずもない。五人でいいんだどなぁ。亘は意気消沈といった風に息をついた。


 大体どういう理屈なんだろうか。九いう数字と『サザンカ』という名の接点が全く見つからない。


「9番目だとサザンカなの?」

「9番目だからこそサザンカなんだ」


 亘の質問に総司郎は流れるように答えを返した。

 含みのありそうな名前だが亘には皆目検討もつかなかった。


 もしかしたら亘の知らないところで何か関係しているのかもしれない。

 山茶花なんて亘は図鑑でだって見たことないのだから。

 例えばほら、花弁が9枚とか、9月に咲く花だとか。


 総司郎が亘の肩を叩く。


「と、言うわけで今日から君はサザンカだ。よろしくなサザンカ」

「なんか腑に落ちないんだよなぁ……」


 亘がそう呟くと相手は苦笑いを浮かべた。


「呑み込めないようならハンドルネームだとでも思ってくれ」

「あ、一気に腑に落ちたわ」


 ヒーロー・バースの中で使う偽名というならなら馴染みがある。ハンドルネーム、その名が胸にストンと落ちた。

 オフ会なんかでは本名で呼ぶ人の方が少ないことを亘は経験上知っていた。

 ──いちいちハンネ考えんの面倒いからいっか。


 サザンカ。そう脳で繰り返して、呼称にあまり頓着も執着もしない亘はひとりうんうんと頷いた。


「総司郎様」

「ん? なんだ?」


 会話の切れ目を察してか、ずっと後ろに控えて沈黙を守っていた和夢が一歩前に出た。

 総司郎に続いて亘もそちらへと視線を投げる。


「そろそろ夕餉の支度がありますので、わたくしはここで」

「もうそんな時間か」


 壁にかけられた大きな時計は夕飯時にはまだ早い位置を指している。

 でもきっと用意を始めるには良い頃合いなのだろう。


 ──夕飯、かぁ……。

 ──そういえば朝からなんも食べてなかったなぁ。

 それを自覚すると同時にぐーと腹が切ない音で鳴いた。

 二人の視線が集まる。


「なに、お前腹減ってんの?」

「……、正直めちゃくちゃ」


 なんだか情けなくて赤くなった顔を和夢からそらした。

 はぁ、と呆れた様子でため息をつくメイドの少女。

 その横でくすくすと総司郎が笑った。


「料理かぁ。まともなもん食うのも久しぶりかもー」


 しかもこんな大きな家のディナーだ。

 きっと美味しいものがたくさん出るに決まってる。

 想像して口内に唾液を貯めていると、和夢がぼそりとつぶやいた。


「まあ最期の晩餐だと思って味わって食べるといいよ」

「?」


 わけのわからないセリフと共に亘の方に足を勧めてくる和夢。

 そして、目の前で足を止めた。


 怪訝に思って見つめるとスカートのポケットから何かを取り出し、こちらに差し出してくる。


「ん」

「なぁに和夢ちゃん、ラブレター?」

「バカかよ」


 冷たく言い放ち早く受け取れと持ち上がった手が催促する。

 亘は素直にそれに従い、侮蔑の視線を浴びながらも腹のあたりで手のひらを広げて受け皿を作った。

 その手にぼとり落とされた固い感触……。

 古ぼけた重厚な鍵だ。


「部屋のカギ。そこに番号書いてあるから」

「あ、ホントだ」

「こっちの廊下の突き当たり。……悪いけど自分で探して」


 ボクも忙しいの。

 それだけ言い終えると、和夢は颯爽と亘を通り過ぎ何処かへと足早に消えた。


 その様子をぽかんと見つめて。

 すっと手の中に視線を落とすと、カギにシンプルなキーホルダーが付いていた。

 そこにに09とナンバーが確認できた。


 ──サザンカだから9、だっけか。

 どうやらそれになぞらえた番号の部屋が割り振られたらしい。


 なるほどなぁとひとりごちて和夢の背中を追って傾けていた体を元に戻し倉木に向き直る。

 すると総司郎がどこか遠くを見上げた。


「明日のゲームか楽しみだなあ……」

「お、なに? さっそくなんかあるの?」


 亘はニヤリと笑みを作ってみせる。

 亘のその様子に同じく含みのある笑みを返して総司郎が頷いた。


「ああ! サザンカ、ちょっとしたイベントがあってな……。登録も済んでるんだ、タッグ戦なんだが」


 そこまで言って不自然に言葉を切る。

 亘が何事かとそちらを伺うと、総司郎はぷっと吹き出した。


「ははは、そうっ! さっき君に先読みされてしまったんだった」

「なんだよ、もったいぶるなって」

「ふはははっ」


 双方でゲラゲラと笑い声を立てて、その様子はまるで旧知の友人同士のようだ。

 誰かがこれを見ていたとしたら、二人が今日会ったばかりの全くの他人であることを信じられないのではないか。


 今日、和装の奇人と知り合ったこの日から。

 ……亘の人生は変貌の一途を辿ることになる。

 借金地獄から一転、三食昼寝ヒロバス付きの順風満帆人生。

 その花道の幕開けである。


「明日は頼んだぞ? サザンカ」

「はっ。なにそれサイッコー」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る