第3話 未来と現在が交錯する
「午前0時のスペースゼロ、今宵もあなたを時空の旅へ」ラジオからいつもの声が流れた。
かすかな足音ががだんだんと近付いてくる。見知らぬ女性が、恐ろしく殺気めいた形相で迫ってくる。
私はとっさに身を翻し、背を向けて走り出そうとする。だが必死に動かしているのに私の足は、宙に浮いたように、バタバタと空しく喘いでいるだけで一向に前に進まない。進むどころか反対に、後ろへ引き戻されていくようであった。
彼女の恐ろしげな顔が、どんどん迫ってくる。私は振り返りながらそれでも必死に足を動かそうとする。
ふと遠くに、かすかな灯がぼんやりと見えた。私はその光りに向かって走った。脅えきった恐怖心がすがるような思いで、よろめきながら走り続けた。暗闇の中をただひたすらに、闇雲にその光りに向かって足を動かせていた。
すると突然目の前が明るい光りに包まれた。立ちつくす私の耳にどこからか赤ん坊の泣き声が聞えてきた。その泣き声は大きな渦を巻くように私の頭の中をかき乱した。
ふと横を見ると先ほどの女性が、赤ん坊をあやしながら私を見て微笑んだ。「可愛いでしょう、ほらあなたそっくり」と言って私の顔に赤ん坊を押し付けてくる。
「何をする、私を誰だかわかっているのか」私は訳の分からないこの状況に怒りを発した。
すると彼女は「何を言っているの、あなたの子供じゃないの」「ほら、この人があなたのパパよ」彼女は私の言葉には気にもとめず赤ん坊とじゃれ合っている。
「冗談はよしてくれ、私には子供などいやしない人違いだ」と私は強い口調で言い放った。
「冗談?おかしなことをおっしゃるのねあなたは。あなたはれっきとしたこの子の父親なのよ。ほらご覧なさいよ、目も鼻も口もあなたそっくり」彼女は再び赤ん坊を我私の顔に近づけようとする。
「冗談じゃない、あなたもこの赤ん坊も私は知らない。この子の父親が僕だって?そんなこと信じられるわけがないだろう」その言葉に彼女の表情は一変して鋭い目付きで私に叫んだ。
「何を今更おっしゃるの、私はあなたの妻で、この子はあなたと私にできた愛の結晶よ。それをあなたは否定なさるの、信じたくないの」と激しい口調で私に喰ってかっかってきた。彼女はしばらく私を睨み付けたまま私の言葉を待っているようだった。
「私の言ってることは冗談でも嘘でもない、あなたもこの赤ん坊もここで初めて見た。私は結婚などしていないし彼女もいない。人違いに決まっている」と言うのが精一杯だった。
どうやらここは病院のようだった。細長く薄暗い廊下が続いているが、突き当りが見えない。その先は真っ暗で地獄への階段でも待ち受けているかのように、不気味な様相である。
薄ぼんやりとした待合室に、二人いや三人だけがいる。少しづつ平静さを取り戻した恒平は「ここは病院ですか」と言葉を発した。
「そうよ、3日前にこの子が生まれたところ、私たちが祝福をうけ、私たちに授かった記念の場所よ」彼女は気持ちよく眠っている赤ん坊を眺めながら静かに語った。
「ちょっと待ってください。さっきから何度も同じようなことを聞きますが、私はあなたの言ってることが全く理解できない」
「まだそんなことをおっしゃるの、よく私の顔をご覧なさい。私が嘘でもついているように見えますか。あなたが私を知らないなんて誰に聞いても笑われるのがおちだわ」
「もう何人もの友達がお祝いにこられたのよ。私うれしかったわ、みんなに祝福されて」そんな彼女を見ていると私が悪者のような罪悪感を覚えてくる。
しかしそんな思いより、私が彼女の夫であり、その赤ん坊の父親であるという最も不可解な状況にどう反論したら解決されるのか、私には答えが見つからなかった。
すると突然「坂下さん、坂下百合子さん、詰所までおこし下さい」というアナウンスが響きわたった。その声が流れ終えたと同時に、隣にいたはずの彼女の姿が消えてしまっていた。
「坂下百合子。百合子、坂下」「山本百合子!」私は思わず叫んだ。そんな馬鹿な、彼女とは半年前に別れたはずだ。今さら彼女が現れるはずがない。
過去の記憶がおぼろげながら思い出されてくる。しかしそれは昔の話だ。「嘘だ。彼女が私の妻だって?この赤ん坊が私の子供だって?嘘だ、嘘に決まっている。俺は悪夢でも見ているんだ!」
私は怯えきった声で叫び続けた。すると、置き去りにされた赤ん坊が大声で泣き叫んだ。赤ん坊の鳴き声と私の心の絶叫が大きな渦となって私の頭の中をかき乱した。
すると錯乱している私の頭の中に「午前0時のスペースゼロ、今宵はこのあたりで」という言葉が聞こえてきた。
目を開けると朝日がカーテン越しに明るさを増し始めていた。照らし出された光が、はっきりと部屋の中を映し出していた。その部屋には、いくつかのダンボール箱がまだ積み上げられたままだった。
「夢か」ぽつりと恒平はつぶやいた。あれから半年、平穏な毎日が続いた。新しい土地で、新しい職場の生活にも慣れてきた。百合子からの連絡も途絶えたままである。
月日が経つにつれ、彼女のことも次第に頭の中から離れていった。しかし全く忘れ去ったわけでもなかった。
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