第2話After kiss

九月十四日 火曜日


 ‥‥解せん。

 文化祭の振り替え休日も明け、登校してきた俺は教室に入ってからも、頭を悩ませ続けていた。あれから頭の中をぐるぐると回り続けている疑念はただ一つ。あのキスはいったい何だったのだろう、だ。

 一晩寝てよくよく考えてみると、ゲームと言うのは口実で、どうも赤沢は意図的にキスしてきたように思う。あんなインチキゲーム、その気になれば勝つのも負けるのも自在だからな。だが、そこから先がわからない。あいつはどういうつもりでキスしてきたのだろう。本当に好意を寄せてのキスだったのか、それとも単にからかっただけなのか。あるいはただの気まぐれだろうか。なんだかどれもありそうなだけに考えれば考えるほどわからなくなる。まったく、突飛な行動とるのはいつものことだが、今回のは特にたちが悪い。

「あ、村崎君、おはようございます」

 柔らかな声が、俺を思考の渦から現実へと引き戻す。見れば教室に入ってきた青山さんが、天使の微笑みをこちらに向けていた。

「お、おはよう、青山さん」

 ぎこちなく挨拶を返しながらも、内心ドキドキしていた。赤沢なんかのことを考えてる最中に突然声をかけられたもんだから、なんとなく後ろめたい。

 青山あおやま美玖みくさんは、赤沢と人気を二分するうちの学校きっての美人である。彼女はけばけばしい赤沢とは違う正統派の美人で、つい先月も地元タウン誌の読者モデルに選ばれたことで、学校の内外から注目を集めている。優し気な笑みを浮かべた美貌は化粧気がなくても人目を引くし、華奢な身体つきは可憐さをうかがわせる。肌は白く長い黒髪は艶やかで、おまけに性格までよい。穏やかで人当たりの良い性格は男女共に受けがよく、上級生からも羨望の眼差しを受けている。とは言え一部では、ぶってるだの猫被ってるなど陰口を叩いている連中もいるが、そんなやっかみは彼女にとって無礼千万、迷惑千万、不届き千万と言うやつである。もちろん彼女と付き合いたいと思う男子は多く、実は俺もその一人なんだが、高根の花は静かに咲き誇るもので、交際の申し込みはすべてやんわりと断られていると聞く。

 その天使、青山さんと、ザ・凡人である俺との距離は、文化祭の実行委員を務めることで少しは縮まったと思う。当初誰もやりたがらなかったクラスの実行委員にお祭り好きな赤沢が立候補したのは驚かなかったが、その赤沢の指名で俺と青山さんが選ばれたのは完全に想定外だった。とは言え、この時ばかりは赤沢に感謝だ。あいつは絶対俺に面倒な仕事を押しつけるつもりで選んだに違いないが、それでも青山さんと一緒にいれるのはありがたい。おかげで夏休み中も一緒に作業する機会が増え、こうやって朝の挨拶を交わすくらいには親しくなれた。

「模擬店大盛況でしたね、これも村崎君が頑張ってくれたおかげです」

「いやいや、人気一位をとれたのは青山さんのおかげだよ、こちらこそありがとう」

 優し気な笑みを向けられ舞い上がってしまうが、別に謙遜してるつもりはない。うちのクラスが開いた模擬店『甘味処 幸せ団子』は、教室を喫茶店替わりに、料理が得意な女子達が作成した団子と飲み物を提供すると言う何の変哲もない店だったが、赤沢と青山さんと言う強力な二枚看板が浴衣姿で給仕してくれたおかげで男子生徒が殺到。文化祭史上空前の売り上げを計上し、当然人気投票でも一位を獲得するに至ったのだ。

 むろん、裏方に徹していた俺も楽ではなかった。なにしろ壮絶なじゃんけん大会の末、最後の実行委員に選ばれた山吹やまぶきはとんだ役立たずで、女子にいいところを見せようと格好つけはするが、建設的な意見は何一つ言わない。おかげで企画、運営はほぼ俺一人で取り仕切ることとなってしまった。これは俺の良い所だと思うが、理由はどうあれやると決めた以上手は抜かない。食材、資材の手配から、メニューの価格設定、模擬店のレイアウト作成。更にはクラスメイトの役割分担の草案をまとめ、損益分岐点まで計算し、目標売上まで打ち立てた。もっとも想定外の客の入りのため、途中食材の追加に二度も奔走したので、うまくいったとは言い難いが。

 その模擬店の成功も、青山さんのおかげと言う言葉に嘘はないが、本当に貢献したのは赤沢かもしれない。確かに集客の点では青山さんと赤沢は甲乙つけがたい存在だが、接客の面では違った。赤沢はとにかくほとんどのお客さんに愛想よく声掛けして雰囲気を良くするだけでなく、長く居座ろうとする客を「どこそこの展示がどんな風か見てきてほしいなぁ」とか言って言葉巧みに追い払い、回転率まで上げてくれる。その追い払われた客にしても、展示を見た後また客として戻ってくるから大したもんだ。おまけに赤沢が活動的なおかげで青山さんのお淑やかな接客も映え、まさに相乗効果をなしていた。正直あいつを褒めるのは癪に障るが、こと接客に関しては素直にすごいと思う。こればかりは手放しに称賛する他ない。

 その忙しくも楽しかった文化祭も終わってしまい、またただのクラスメイトに戻るのかと思いきや、こうやって声をかけてくれるところを見ると、俺にもチャンスがあるのでは、などとか細い期待を抱いてしまう。

「あら、村崎君がクラスをまとめてくれたからお店は成功したんですよ。縁の下の力持ちって感じで頼もしかったですわ」

「いやー、そういってもらえると嬉しいなぁ」

 たとえこれがお世辞にしても、好きな子に褒められるってのは気分がいいもんだ。やれやれ、文化祭を頑張って本当によかった。しかし手放しに喜べないのは、赤沢とのことがあるからだ。こうやって青山さんとの会話を続けながらも、心のどこかでキスのことが引っ掛かる。このままじゃ気になって仕方ない。だがいくら考えたところで、何か答えが出るわけでもないだろう。ならば直接本人に問いただすしかないか。


 赤沢と二人きりになる機会は、放課後まで待たねばならなかった。授業が終わってさっさと帰ろうとするところを捕まえて、人目につかないところに呼び込んだのだが、何の用事かまるで心当たりがないといった顔をしている。幾分不安を覚えながらも、俺はキスの理由を聞き出すべく切り出した。

「‥‥お前、どういうつもりなんだ?」

「あら、何のことかしら?」

「何って、その‥‥、ほら‥、あの時の‥‥」

「その、ほら、あの時の、何かな~?」

 くそぅ、いい度胸してるぜ。絶対こいつわかってるはずなのに、俺に言わせる気なんだな。

「‥‥キスのことだよ」

 渋々ながらに口にすると、してやったりとばかりに笑みを浮かべる。

「なぁに、もう一度したくなったの?」

「ちげえよ、その‥‥、なんだ、どういうつもりなのかと‥‥」

「も~、歯切れ悪いわね~。男の子なんだから、もう少しはっきり言ったら?」

 腰に手を当てて、ちょっとむっとした口調で赤沢が詰め寄る。そんな風に距離を縮められると、否応なくキスの時のことを思い出し、鼓動が早まってしまう。そんな胸の内を読んだかのように、赤沢はクラスの男子に「小悪魔めいた」と言わせる、いたずらっぽい表情を浮かべる。

「じゃ、面白いこと教えてあげよっか。実はね~、青山さん、最近好きな人ができたの」

 なにっ、青山さんに好きな人が!

 話をすり替えられたことより、衝撃の事実に驚きを隠せなかった。ふと今朝話した時の青山さんの笑顔がよみがえってきて、どうしようもない嫉妬の念に駆られる。あの笑顔が誰かのものになるなんて、そんな‥‥

「その相手ってのがね~、実は同じクラスの男子なんだけど~」

 なんだと、うちのクラスの男子か!

「これが全然冴えない奴なのよね~。成績も運動神経も並程度で、取り立てて特徴がなくて~」

 いったい誰なんだ、その羨ましい奴は!

「ほんっとまじめなだけが取り柄なのに、とある実行委員で一緒になって好きになっちゃったみたいなのよ」

 って、おい、まさかそれって‥‥

「でもね~、あたし男のことであの子に負けたくないのよね。だから先にその子に唾つけちゃおっかな~って‥‥」

 って‥‥、おい

「だってほら、あの子が好きな人とあたしが先に付き合っちゃったら面白くない?」

「‥‥お前なぁ」

 堪らずあげた声は、驚きよりも呆れてのものだった。じゃ、何か。こいつは当てつけのためにあんなことをしたのか?意外にもがっかりした気持ちが込み上げてくるが、青山さんの気持ちを信じがたい気持ちと相まって、どう反応していいかわからなくなる。すると赤沢は、悪戯成功とばかりに満面の笑みを浮かべる。

「な~んちゃって」

「‥‥へ?」

 なんちゃって?‥‥ってことは、今の話はウソ?つまり俺は‥‥からかわれたわけか?

「あはは、ねぇ、今本気にしたでしょ。わ、すごい、今顔真っ赤だよ」

 ようやく事態を理解して、俺はがっくりうなだれてしまう。くそぅ、そりゃそんなことあるわきゃねえけど、思わず本気にしたじゃねえか。笑い転げる赤沢は実に楽しげだが、なんだか次第に腹が立ってきた。馬鹿正直に信じた俺も俺だが、こいつもこいつだ。

「てめぇ‥‥、地獄へ落ちやがれ」

 恨みを込めてファックサインを突きつけると、赤沢はにやにや笑いながらポケットに手を伸ばす。

「ほほ~、いいのかな~、あたしにそんな口きいて」

 と言って取り出したスマホの画面には、何やら男女がキスしている画像が‥‥、って、これ、赤沢と俺じゃねえか!

「な、なんじゃこりゃ~!」

「すごいでしょ、高感度カメラの機能で、暗闇でもばっちり」

「驚いてるのはそこじゃねえ。何だこの写真は!」

「何って、村崎のあたしの初キス記念よ」

「ど、どっから撮ったんだ、こんなもん。って、いや、ちょっと待て。そもそも誰がこれを‥‥」

「そこは企業秘密ってやつよ」

「ふざけんな、消せ!」

「や~よ。って言うかわかってる?あたしがこれを皆に見せたら、結構な数の男の子を敵に回すわよ~。そ・れ・に、こ~んな写真が出回っちゃったら、彼女とか作りにくいかもね~」

 今度こそ俺は本当に呆れた。一体何を考えてるんだ、こいつは?

 だが、状況を理解するにつれ、こいつの言う通り結構まずい立場にいることがわかる。何しろ赤沢のことだ。面白半分に今の写真を友達に見せるくらいはやりかねん。そうなると学校中に拡散されるまで、大した時間はかからないだろう。そして赤沢に告白した男子はもちろん、赤沢ファンの妬みや嫉みを買うことになりかねない。それだけでも厄介だが、本当に怖いのは女子の間でも出回ることだ。彼女云々うんぬんはさておいても、青山さんの目に触れるのだけは何としても避けたい。

「‥‥お前、いったい何が目的だ」

 自分で言っておいてなんだが、なんかこのセリフ、どこかで聞いたような。ああ、そうだ。この間見たテレビドラマだ。目的不明の犯罪者から犯行予告の電話がかかってきた時、主人公の刑事が同じこと言ったんだよな。今ならその主人公の気持ちがよくわかるわ。

「そ~ね~‥‥、う~ん‥‥、そだ。ほら、この間駅前にできたスイーツのお店があったでしょ。あそこのパフェが食べたいな~」

 明らかに今思いついたような要求を犯人が突き付けてきた。

「そうそう、それと見たい映画があったの。週末に公開のやつで~‥‥」

「‥‥それを奢れと?」

「話が早くて助かるわ。じゃ、今度の日曜日にデートね」

 勝手な約束を取り付けて、赤沢はにっこりと笑みを残すと、そのまますたすたと歩み去ってしまう。キスの時に同じく、またもやその後ろ姿を見送りながら、俺は心の内で呟いていた。

 ‥‥誰だ、あいつを小悪魔とか言った奴は。思いっきり大悪魔じゃねえか。

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