赤沢久美子のゲーム

nameless権兵衛

第1話 Game

九月十二日 日曜日


「ねぇ村崎、ゲームしない?」

 いつもと同じ調子で赤沢あかざわ久美子くみこが切り出してきたのは、模擬店で使った資材を教室に置きに行った帰りのこと。高校に入って初めての文化祭は盛況のうちに幕を閉じ、あとは後夜祭を残すのみ。赤々と燃えるキャンプファイヤーが校庭を照らすのを、二階の廊下から眺めている時だった。

「‥‥ゲーム?」

 正直俺は悪い予感がした。こういうわけのわからないことを言い出した時の赤沢は危険だ。それは中学の同じクラスで知り合ってから今日までに得た経験則。何しろこいつときたら、ことあるごとに俺をパシリに使おうとする奴だからな。

「そ、ゲーム。んっとね~、ズバリ今何時何分かを当てるの。正解に近い方が勝ちよ」

 ‥‥何だそれは。事前に時計を見ていれば、いくらでもインチキできるじゃないか。ここでうっかり勝負に乗って負けたりすると、やれジュースを買ってこい~だの、何か面白いことやって~だの、くだらない用事を押し付けられるんだ。見てろ、いまに罰ゲームがどうとか言い出すぞ。

「でね、負けた方は罰ゲームで~‥‥」

 ほら、やっぱりだ。よし、パスしよう。賭けてもいいが絶対ろくなことを言い出さないぞ。まったく、毎回毎回俺がなんでも引き受けるお人好しだと思ってるなら大間違いだ。‥‥などと思っていたら赤沢はとんでもないことを口にした。

「勝った方にキスするの」

「‥‥は?」

 いたずらっぽくにやりと笑う彼女に、俺は改めて目を向けた。

 困ったことに赤沢久美子は美人である。どのくらい美人かと言うと、うちの学校でも一、二を争うレベルだが、こいつの場合悪目立ちしている感が強い。抜群のスタイルに目鼻立ちのくっきりした大人顔と、これだけでも十分人目を引くのだが、あからさまに校則違反な明るい茶髪に、これでもかと言うくらい丈を詰めたスカート。加えて化粧映えするというのか、ばっちり施されたメイクがよく似合うものだから、色んな意味で男からも女からも、そして先生方からも注目を集めている、と言うか目をつけられている。

 性格の方は誰に対してもずけずけと物を言うタイプで、揉め事を起こすのは日常茶飯事。見ているこちらが心配するくらいのトラブルメーカーだ。反面気さくで面倒見のいいところもあり、敵も多いが味方も多いと言う感じである。まぁ、悪い奴ではないのだが、善人とは言い難い。と言うのが個人的な感想だ。

 こんな奴だから恋愛関係の噂も色々たっており、援助交際をしているというやっかみ臭いものから、大学生の彼氏がいるだの暴走族の彼氏がいるだの、嘘とも真とも知れぬ話が飛び交っている。当の本人は真偽に関して一切口を閉ざしているので噂がどんどん独り歩きしており、本人はその様子を見て楽しんでいる節がある。そんなわけだから男子の間で赤沢の人気は高い。もっとも普通にいい女を彼女にしたいという輩から、すぐにやらせてくれそうという下心込みの連中までと理由は様々だが、高校に入ってからだけでも告白された回数は二桁を超えると聞く。その赤沢が突然キスなどと言ってくるものだから、びっくりするくらいは仕方なかろう。

 俺の顔を覗き込むように赤沢が顔を近づけてくる。長い睫毛の下から、じっと見つめてくる瞳はどこか面白がってるようだ。そうと分かっていても、いつもより距離が近いからドキドキしてしまうし、自然と目が口紅を塗った赤い唇へと引き寄せられてしまう。正直、赤沢とキスなんて考えたこともなかった。そりゃ俺も男だから赤沢の身体を見て色々よからぬことを考えたことはあるが、どう見ても釣り合わないし、付き合おうなどと考えたことは本当にない。

 何しろ俺はと言えば、自分で言うのもなんだが普通の男だ。成績は中程、運動神経も普通レベル。身長、体重共に平均並みで、顔に関しては、こればっかりは好みもあるかもしれんが、目立つほどかっこよくも不細工でもないだろう。要するにこれと言った特徴がなく、取り柄と言えばせいぜい真面目なことくらいか。もっとも釣り合う釣り合わないとかいう以前に、俺は赤沢のようなけばけばしい女じゃなくて、もっと清楚可憐な優しい女の子が好みであって‥‥

「おっや~、キスと聞いてビビっちゃったかな~?」

 からかうように赤沢が、唇に指をあててチュッと投げキスしてくる。その仕草にカチンときてしまい、思わぬセリフが口をつく。

「いいぜ、やってやろうじゃないか」

 後悔先に立たずって奴だが、口にしてしまった以上後には引けない。まあ、どうせ俺が女慣れしてないと思ってからかってるんだろう。うまく乗せられたような気もするが、こちらも勝算なしに挑むわけではない。実は校舎に入る前にちらっと時計を見たんだが、ちょうど六時半だったと覚えてる。あれから教室に行って荷物を置いただけだから、五分は経ってるだろうが十分は経ってないはずだ。おそらく七分か八分、それ以下ではないとみた。

「よし、じゃ、俺は六時三十八分だ」

「ん~、じゃあ、あたしは六時四十五分。言っとくけど一発勝負よ」

 そういってポケットから画面を隠したままスマホを取り出す。にんまりと目を細める赤沢に、俺は内心焦りを覚えていた。四十五分だって、まさかそんなに経ってないはずだよな?やばい、負けたらどうしよう。急に不安が込み上げてきて、顔から血の気が引いていく。

「じゃかじゃかじゃ~ん、さ~てどうかな~」

 画面を隠した手をゆっくりずらしていくと、デジタル表示の時計が六時であることを示し、そして‥‥

 一気にどけた手の下から三十九分四十二秒の表示が現れる。

「よっしゃ!」

 我知らず、拳をぐっと握り締めガッツポーズをしてしまう。危ね~、こんな冷や冷やするとは思わなかったぜ。いやいや、たとえほっぺとかであっても赤沢にキスだなんてとんでもない。勝ったからいいようなものの、今にして思えばちと無謀だったか。

 って、待てよ。なんか負けた時のことばかり考えてたが、俺が勝ったってことは赤沢が俺に‥‥

 ここで俺の思考は中断された。なぜなら突然顔が挟まれたかと思うと、何かが顔の前に迫ってきたからだ。避けようもなく柔らかいもので口が塞がれ、息ができなくなる。何が何やらわからぬまま慌てて鼻で息をすると、ようやく眼前に目を閉じた赤沢の顔があるのに気づいた。

 言葉にならない呻きを上げ、今度は一気に頭に血が上っていく。嗅ぎなれない化粧品の匂いが鼻をくすぐり、柔らかな身体が押し付けられてくる。俺は、女の子とキスをしてるのか?

「んっ‥‥ふっ‥‥」

 赤沢の口から喘ぎともとれる甘い声が漏れ、ぞくりと背中に震えが走る。彼女の舌が唇を舐めたかと思うと、そのまま唇を割って口の中に入ってこようとする。

 う、うわっ、なんだこれっ!

 情けない話だがすっかり狼狽うろたえてしまった俺はパニックに陥り、されるがままとなっていた。どうにも慣れてないと思われたのか、赤沢は無理に舌を入れてこようとはせず、代わりにかぶりつくように唇を重ね、一層身を寄せてくる。今まで漫画とかテレビドラマでキスシーンはいくつも見てきたつもりが、本物のキスがこんなにも情熱的で興奮するものだとは知らなかった。そして今キスを交わしてる相手が同級生とか友達とかいう肩書に関係ない一人の女で、自分が男だということを強烈に実感していた。

 どのくらい俺たちは触れ合っていたのか。五分、十分?いや、本当は一分にも満たなかったのか。いずれにせよ赤沢が身を離した時、俺は夢から覚めたような気分だった。遠くからフォークダンスの曲が聞こえてきて、かろうじて学校にいることを思い出す。照明の消えた廊下の薄暗がりの中、少し顔を上気させながらも、赤沢はいつものいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「えへへ~、村崎の初キス、奪っちゃったかな」

 まるでいつもと変わらぬ調子で赤沢は顔を覗き込んでくるが、俺としては急に恥ずかしさがこみあげてきて赤面するばかりだ。そんな様子を見越してか、彼女は楽しげにウインクすると、先に後夜祭に行ってるね、と言い残し廊下の向こうへ行ってしまった。その後ろ姿を呆然と見送りながら、俺、村崎むらさき拓弥たくみ十六歳は、人生初めてのキスの余韻を噛みしめていた。

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