第8話―4白と緑。
「思えば、最初から違和感はあった」
驚きに身を固める魔術師、偽ベルフェに鼻を鳴らし、私はそっと片手を振る。
応じたのは、二対の足音。
魔術師の左右を固めるように路地から出てきた、ロッソとディアだ。二人とも抜刀した状態で、油断なく敵を睨み付けている。
「ベルフェの奴は、用があれば私のところに直接来る。私を通り越して
もしそんなことをしたら、私はさっさと奴を見限る。
信用とは無縁の裏商売では、矛盾するようだが信用が何よりも大事なのだ。安心して隣の席に座れるようでなければ、依頼など受けられはしない。
そういう、私に本気で嫌われるような隙を見せる、可愛いげのある奴ではない。
――本気で怒った私と殺し合いたいと思う可能性までは否定できないが。
「そしてもう一点は、ディアが見覚えのあると言ったことだ。有名人を気取ってるのかな、あいつは、自分の顔に忘却の呪いを掛けている」
「っ!?」
化ける程にベルフェのことを知ってはいても、それは初耳だったのか、魔術師が目を丸くする。
そう、奴は自分の容姿に関して、常に忘れられるように自衛手段を施しているのだ。
ディアが顔を見知っている訳がない。
「余りにも私に見抜かれるから宗旨代えでもしたのかと思ったがね、それにしては、その後の行動もおかしい。例えば――決戦の場に現れなかったりな」
ベルフェは、冷静そうに振る舞ってはいるが、根っこの部分では丸っきり正反対、闘争本能をもて余した
私、ディア、ロッソ、黒幕にドラゴンまで集った最後の舞台に、躍りに来ないわけがない。
全編通してとにかく私の前に現れなかった、その理由。
「会えばバレるから。そうだろ、白い匂いの魔術師?」
「……ふふ」
微かな笑い声と共に。
世界に、【白】が溢れた。
まるでミルクをぶちまけたかのように、路地裏に広がったのは、純白の霧だ。
恐らくは、ただの霧ではない。魔法道具の眼鏡を掛けた視界でさえ、一寸先も見通せない程の濃密な妨害作用だ。
「……チッ」
私の鼻は魔力を嗅ぎ分けるが、こうも大量に巻き散らかされてはどうしようもない。
自慢の耳は健在だが、目と鼻の二つを封じられた状態で魔術師の影を探すのは困難を通り越して危険だ。
『やれやれ、いずれバレるとは思ったけど、こんな簡単にバレるとは。思った通りだ、やはり、直接会わなくて良かったよ』
ベルフェの振りは止めたらしい、少年のようにハスキーなその声は、不思議に反響して響いた。
位置を上手く掴めない。こちらにも、魔術的な処理をしてあるのだろう。
舌打ちする私の姿に安堵したのか、声には余裕が感じられる。どうにでもなるという、魔術師らしい傲慢な余裕だ。
『しかしだからこそ、今回はここまでとするべきかな。僕の目的は果たせたし、僕たちの目的も同様だしね』
「僕たち?」聞いて欲しそうだったので、聞いてやることにした。「お前は、ベルフェとは違う組織なのか?」
『同じだよ? 但し、ほら、何処にだって派閥ってあるじゃないか?』
成る程、と思いながら、同時に私は呆れていた。
逃げられるのなら、とっとと逃げれば良いのに。何のために、左右と前しか囲まなかったと思ってるんだ。
これが、一般的な魔術師の弱点。
馬鹿なところだ。
「派閥ね。奴にそんなものあるとは思わなかったよ。お友だちは多そうに見えないからな」
『だから、君はお友だちになってあげてるのかい? 暗殺者クロナ、【獅子追い兎】。随分と、ベルフェを贔屓してるじゃないか?』
「贔屓にしてるのはあっちだ、それも勝手にな」
『どうかな、それは解らないね』
くそ、と私は吐き捨てた。
何だってこんな、下らない
「私は私だけの味方だ。なんなら、あいつの首を取ってきてやろうか? 高くつくがな」
『それはまあ、次の機会にしておくよ。ディアさんに、魔女みたいな少年までいては、この魔術もいつまでもつやら解らないからね。ではでは、
不愉快な声と笑いを響かせながら、魔術師の気配が遠ざかっていく。
やがて完全に気配は去って、霧が晴れた頃、私は小さく呟いた。
「またな、魔術師。……お前に次があればだが」
私が、あいつがベルフェの偽物だと確信出来た理由を、奴はこれっぽっちも考えなかったらしい。
全く、魔術師というやつは、自分だけが策を巡らしているとばかり思っている。
魔術師の逃げた方向、白い魔力の残滓。
その空に、突然【緑】の影が立ち上がったのを見て、私は鼻を鳴らす。
「同じ人間は、二人いるわけないからな」
――やれやれ、ヤバかった。
三人の凶悪な気配から逃げ延びて、魔術師、【
光を基礎とした幻術を操る彼の魔術は、有効な場合が多い分直接戦闘には向いてない。
一応光の槍を放つとかは出来るが、自分に向いているとは思えないし、それに嫌いだ。
幻術で混乱させ、幻覚で困惑させ、じわじわと仕留める。そんな蛇のような戦い方こそリックの得意とするところであり、趣味でもあった。
魔術師は戦士ではない。
安全に戦う方が、らしいに決まっている。
「今回は任務だから仕方ないけど、はは、やっぱり表舞台には立ちたくないなぁ。早く帰ろう、でないと」
「おやおや、そう仰らずに」
ビクッと、リックの動きが止まった。
驚きによるもの、ではない。もっと外的な力によって、リックの身体はその場に縫い止められていた。
全身が、全く動かない。
それに、辺りが急に暗くなった。まるで――巨大な影の海に呑み込まれたように。
「これ、は……」
「ターキー・リック。貴方のような名の売れた魔術師が、随分とこそ泥めいたことをしましたね?」
「ベルフェ……!!」
ついさっきまで演じていた相手だ、聞き間違える筈もない。
けれども、どこだ? 声はすれども姿は見えず。前を向いたままで固定されたリックの視界には、深緑色の闇しか映らない。
「【
「待って、待ってくれ、ベルフェ、ベルフェさんベルフェ様! それは、その魔術は、対魔術師用の完全隔離魔術じゃないか!!」
「その通り。私が閉じたら、私にしか開けられない」
ゆっくりと、声が遠ざかる。闇が密度を増し、世界が圧縮されていく。
「止めて、止めてくれ、止めてよぅ、ベルフェざぁぁぁん!!」
「安易ではありますがね。悪い子にはお仕置きをしなくては。押し入れが無いので有り合わせですみませんがね」
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
悲鳴を聞きながら、ベルフェは両手を閉じた。
再び開いた手の平には、深緑色の小さな
その目は、鎌を構えた骸骨の絵。
それを器用に弄びながら、クスリ、とベルフェは小さく、しかし本当に笑った。
いつもの作り笑いではない、本気の笑みで、転がるダイスをのんびりと眺める。
「……
口ずさむのは、覚えやすく、けれどもどこか不気味な歌詞の歌。
リズミカルに動くダイスの中から、一際大きな悲鳴が一つ。
ニヤリと笑って、ベルフェは歌う。
「僕らは十人、椅子は九つ。釜にご馳走一皿増えて、僕らは九人、椅子も九つ、はい、
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