第8話―3後始末。

 朝日が昇り、目覚めた住人たちは、ひどく驚いた。

 慣れ親しんだものが、視界から半分無くなっていたからだ。


 国中、何処からでも見られたそれ。

 朝日を浴びて輝く純白のそれを見ることが、住人にとっては一日の始まりを象徴するルーチンワークであったのだ。

 闇夜に浮かぶ灯台のように。

 生まれ故郷を示す、心の拠り所だった。

 無くなって漸く、彼らは気が付いた。自分達が、如何にそれに依存していたのかを。そして、それが無くなる程の事態が起きているのだと、気が付かされた。


 途方に暮れる彼らの見詰める先――殿


「くそっ、いったいどうなってるんだよ!」


 怒号は、住人の間に虚しく響き渡った。

 粗暴な苛立ちは、彼らを打ちのめした衝撃のあまりの大きさに比しては小さすぎて、誰の心も動かさない。

 応じる者の居ない喚きは瞬く間に小さくなり、やがて消えた。


 反対に広がったのは、さざ波のような沈黙だ。そしてその中には、怒りとか、憎しみとか。不安さえも浮かばなかった。

 彼らの間に浮かんだのは、巨大な困惑だ。


 大海原を航海していた筈なのに、霧が晴れたら見覚えの無い島に上陸していたような、あり得ない眺め。

 喜ぶべきかそれとも逃げ出すべきなのか、彼らの手元には見極める材料が何一つ無かった。


 いや、一つあった。


 彼らは知っている――

 国の根幹を揺るがす争いになるかもしれないとは、誰かは思ったろうが――それがこんな、意味合いだとは誰一人として想像していなかった。

 彼らは、自らの国を壊すつもりなのか。


 戦々恐々、顔を真っ青にする彼らの内の誰かが、その時ふと気が付いた。


「……あれ、この話……!!」

「あの本?」

「本に書いてあったんだ、王位争いの裏で暗躍する、先代からの忠臣の裏切り話!」

「そりゃあ、ハマドゥラ様のことか?」

「なんだよそりゃ、どんな話だよ!」

「俺知ってる、家の前に落ちてたんだ」

「私は雑貨屋でおまけに貰ったわ」

「俺は酒場で、飲み代替わりに貰っといたが……あれか?」

「おいおい、なんの話だよそれは」

「本? 雑貨屋にまだあるかな……?」


 にわかに活気を帯びた群衆が、わらわらと動き始める。目先に吊り下げられた噂の本へと、我先にと走り出す。


 ――不安に駆られた奴ほど扱いやすいな……。


 狙い通りの動きを見せる群衆を眺めながら、私はやれやれと肩を竦めた。

 不安という名の海に投げ出された群衆には、灯台を作ってやるだけで、簡単にその行く末を決められる。それは詰まり、ハマドゥラの策がここまで危険な域に達していたことの証左でもあるわけだが。

 ともあれ、これで、仕掛けは施した。あとは、のお手並み次第だ。













「俺らさあ、ついてないって思ったことねぇ?」

「ま、無くはないな」


 太陽が中天に差し掛かる頃、王宮の前は黒山の人だかりだった。

 押し掛けた群衆は二人きりの衛兵の手でどうにか押し留められてはいたが、それも辛うじて、だ。何しろ護る彼等自身、いったい何処を護れば良いのか解っていないのだから。


「城が無いもんな……」

「門の警備って、門の先に何もないんじゃ意味無いんじゃないか?」

「なあおい、西の壁が崩壊してたって知ってるか? あそこも守らないと、中に入られるぞ」

「俺たちは門番だ、門を守れ」

「壁の方はどうする?」

「壁に言ってくれ、もっと頑張れってな」


 酒場で飲んだくれ、出勤時間ギリギリに慌てて駆け付けたら、なんと宮殿が無かった。

 昨夜何かあったらしく、騎士団の殆どが戦闘不能となっており、無事だった彼等には取り敢えず門の守護を命じられたのである。

 無傷で済んだことには安堵しつつ、これからのことには不安が募る。具体的には、今後の残業と連続出勤記録の更新に関してだ。


 他の人員が、誰かいてくれれば良いが。居なければ、今まで騎士団全員で行っていた職務の全ては二人でやることになる。

 押し掛ける群衆のお陰で今は考えなくて済んでいるが、いずれは何か考えなくてはならない。


「……随分な騒ぎだ、とすると、私はこう言うべきかな? 

「で、殿下!」


 困惑しながらも、昨日の続きとして惰性で職務を遂行していた衛兵の背後から、覇気のある声が響いた。

 振り返った先にいたのは正に渦中の人物、シズマ第一王子だ。


「殿下だ……」

「御無事なのか……?」

「き、危険です殿下! このような場所に……!」


 王子の登場を口々に囁き合う群衆、その声を聞きながら、衛兵は慌てて盾を構えた。

 民たちは、昨夜の出来事が王位争いの結末だと知っている筈だ。その、詳しい顛末を知らないままに。

 事情も知らずに犯人だけを知っていたら、群衆は容易く暴徒と化す。それを押し止めるのに、二人の人間は余りにも無力だ。


 とにかく王子を下がらせなければ。盾も使う覚悟を決めつつ周囲を警戒する衛兵に、シズマ王子は――


「このような場所とはどういうことか」

「は? い、いえ、今ここは危険で……」

 シズマ王子は、笑ったままで力強く頷いた。「やがて王になる者が、自らの民から逃げてどうする?」


 シズマ王子は、寧ろ前に出た。

 慌てて盾を押し、王子と民である暴徒候補との間に空間を作る。


 無茶苦茶な上司を持つと、部下は果てしなく苦労するものだ。

 ため息混じりに、確りと盾を握り直す。何があっても自分の責務を果たす決意をする衛兵二人は、しかし次の瞬間に呆然とその盾を落とす羽目になった。


!」


 鳴り響いた大声に、群衆も衛兵も揃って息を呑んだ。

 愚行、愚行と言ったのか。

 王族が、民に対して?


 唖然とする衛兵たちの前で、更なる衝撃が続く――


「皆には、不安と不審とを抱かせたと思う。単に、我が力不足だ。……すまなかった」

「で、殿下! 王が、頭を下げるなど……」

「ギョーサダンは船乗りの国だ。海の上では、たとえ船長であっても間違えれば頭を下げるものだ」


 そんなことが、有り得るのか。

 確かに船上においては、役目の差こそあれ発言力に差はない。船長であれコックであれ、間違いは糺される。

 だが、それは建前ではないのか。現実的に王に庶民が歯向かえば、待つのは処刑であろう。それが当然だし、秩序を思えばそうあるべきだ。


 それを、覆すのか。


「……殿下、?!」

「ハマドゥラ様……?」


 呆然とする衛兵の耳に、誰かの声が届いた。しかしそれは、元来民衆の口から問われるような内容では無かった。

 先代から仕えるハマドゥラ老の存在は勿論誰もが知っているが、一般人から気にされるほど市政に関わっている訳ではない。安否を問われるような関わりは、基本的にはない筈だ。


 疑問に首を傾げる衛兵の、目の前。

 シズマ王子が、ほんの一瞬ほくそ笑んだように見えた。












「…………」


 そんな騒ぎを遠巻きに眺める影が、一人。

 ドラゴンが宮殿を破壊するような騒ぎの中で、住民たちがけして起きないように、街中に白い魔力を張り巡らしていた、とある魔術師。


 ディアを契約で縛り、ロッソを叩いた、白い魔力のその魔術師は、ベルフェと名乗っていた。


「……どうやら、何とか収集は付きそうですね……」


 陸にいた住人の全てが集まっているのだろう、ひしめく人の群れは、下手をすればそのまま狂乱のるつぼとなり得る。

 そうなったら最悪、記憶を弄るしかなかったろう。手間な上に、ボロが出る可能性の高いまさに最悪の展開だ。

 だが――集まる彼等の手には、。詰まり、クロナの策が上手くいっているということだ。


「印象操作を打ち消すために、印象操作を仕掛ける。見事ではありますが、暗殺者らしくはないですね」


 しかし、穏便ではある。

 あとは後継者争いだが、抜け目無いあのラヴィのことだ、そこも考えてあるのだろう。


 自分の役割は終わった。

 義務も果たしたし、


「契約は終了ですね、お疲れ様です、ディアさん」


 クスリと笑いながら、懐から羊皮紙を取り出す。

 そこにふっと軽く息を吹き掛けると、契約書は塵となって消えた。


 あとは、帰るだけだ。

 やりたいことを全てやりきった魔術師は、そっと陽射しの中へ身を溶け込ませようとして、


「……何処へ行くつもりだ、魔術師?」


 













「……クロナさん」

「やあ、ベルフェ」


 道の真ん中で腕を組み、私は魔術師に笑い掛けた。


「もしかして、帰るところだったか? だとしたら、呼び止めて悪いな」

「いえいえ、そのようなことはありませんよ」


 顔の中で、視線だけがキョロキョロと辺りを見回している。

 逃げ道を探しているのだろう、ベルフェにしては解りやすい態度だ。私はやれやれとばかりに肩を竦めてみせる。


「どうした、余裕が無さそうだな?」

「はは、少しだけですがね」

「今だけじゃあない。今回全般含めてさ。そうだろう? 私とも顔を合わせず、最後の現場にも現れず。随分と黒幕に徹していたじゃないか。


 私の言葉にぎょっとしたように、魔術師は目を見開いた。

 あぁ、全く。少しだけ、面白くなってきた。

 お笑い草だ、こんな、この程度で動揺するような奴が。こんな程度の精神力で、


 そろそろ名乗ってくれないか、魔術師? ?」

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