第8話―2無理難題の絵空事

「これはパロメの持論だがね、御老体。万人受けする作品というものは、。老若男女を問わず読んだ誰もが感動し、驚愕し、興奮し胸踊らせる、そんな作品を作ることは不可能ではない」


 馬鹿が馬鹿みたいなことを言った。


 私は、勿論物語を書いたり絵を描いたりするわけではない。

 何かを作るという行為を営むのに適した手ではない、私の両手は血塗られた手だ。いずれは畑とか作ってみたいとは思っているが、いわゆる創作活動など経験がない。

 ただまあ、一つ言えることは。

 唯一の夢とも言える農作業に当て嵌めて言うのならば、パロメの言ったことは間違いなくあり得ない。


 誰もが上手いと絶賛する人参なんて、作れる筈がない。

 どれだけ丹念に土を耕し、肥料を工夫し、母が息子へするような愛情をもって育てたとしても、『噛んだときに湧き出てくるあの甘さが嫌だ』と言われることはある。


 人参を嫌いな人間は間違いなく居て、彼らにとってすれば人参はただ人参であるだけで嫌悪される。

 人参嫌いに好かれる人参なんて、存在しない。


 そう言ってやると、パロメはニヤニヤと楽しそうに笑った。


「人参を神ならざる者の作品と呼ぶのは暴論だよクロナ」

「神様にも好き嫌いの根絶は無理だったってことだろ?」

「いいや、神様は少し、面倒になっただけだろうさ。それよりも、だ。パロメは今、

「……前々から思ってましたけど、ご主人。あんたの知り合いろくなやつ居ないっすね」


 ロッソが失礼な事を言って、ディアに張り飛ばされた。

 直ぐ様反撃の雷撃が迸り、斬擊が迎え撃つ。ドラゴン退治のあとにしては、元気な連中だ。


 とにかく。

 そう、とにかくだ。あんな、普通なら人死にが出るレベルのじゃれ合いを見て見ぬふりしてでも、私にはやることがあった。


「……パロメ。基本的に私はお前のやることにいちいち口を挟まない。私からすればどう考えても自殺行為だとしても、別に止めないさ」

「いや、そこは止めてほしいのだけど」

「止めないさ。お前が勝手に、死ぬのならな」


 だが。

 その愚行のせいで私や、ひいては私の部下たちまで危険に晒すのならば、それは看過できる問題ではない。


 彼女の原稿は、私の策の決め手クイーンだ。無駄打ちは許さない。


 視線に込めた私の殺気に、場の空気がピリリと緊張する。

 不本意ながら、ディアやロッソ私の部下さえ一瞬身を硬直させた程の殺気だ。戦闘経験の無いパロメは、悲鳴を上げることさえ出来ずに身を震わせた。


 それでも。

 彼女の信念の刃は、私と打ち合うのに相応しい堅さを持っていたようだ。


「……これは、パロメの持論だ。他の誰にとっても無価値な塵芥だろうが、パロメにとっては絶対の法だ。パロメが定めた、パロメ自身を縛る鎖なのだ。パロメが、裏切るわけにはいかないのだよ」

「……あり得ないものを追い求めるのが、お前の法か」

「あり得なくはない。達成は限り無く困難であろうとも、それは不可能とは違う。……、クロナ。パロメたち創作者の前に常に立ち塞がる、強大な壁。打開の方法もてんで解らないし、知恵ある者ならば迂回するのだろうが、しかし、誰もが心の中ではこう思っている筈なのだ――

「…………」

「パロメは逃げない。臆病者だし、ひ弱だし、現実に存在するありとあらゆる脅威に敗北するのに充分な性能スペックしか持ち合わせてはいないのだが、けれども、これだけは譲れないのだ。

 ――。悠久の時が掛かろうとも、無限の財を費やそうとも、あぁ、! パロメは到達する。その極限、あらゆる知性ある者を涙させる物語に!!」


 これはその一歩だ、と、パロメは締め括った。


 皮肉屋ロッソは、嗤わなかった。

 ペンキ塗りディアも、笑わなかった。

 王族たちシズマもスーラも、けして笑い飛ばしはしなかった。

 いわんや私を、だ。


 確かに、その通りだ。

 誰も彼も、老若男女を問わずに感動させる物語を夢見るのならば――志すのならば――


 利の天秤は、変わらず傾いている。今すぐハマドゥラから原稿を取り上げ、島全土に撒き散らして印象操作に入るべきだと声高に告げている。

 では、天秤は。


「……御老体に鞭打つようで悪いが」

 私の口は、利益とは正反対の結論を吐き出した。「感想をお願いしようか、ミスターハマドゥラ?」

「……貴殿にしては、意外な選択だな」


 ハマドゥラがぼそりと呟いた。

 ロッソはいつものように肩を竦め、スーラ王女はあたふたと周囲を見渡してレイに宥められ、シズマ王子は楽しそうに笑い、そして、ディアは。

 『これこそが我が主』とでも言いたげに涙ぐんでいた。アイツには、もう少しマトモな価値観の教育が必要らしい。


 因みに、バグに関してはノーコメントだ。

 爆笑しすぎて呼吸困難になっていたとかは、誰にも語るつもりはない。

 絶対に、だ。


 十人十色の感想に囲まれながら、私は、精一杯の強がりを込めて肩を竦めた。


「空気を読んだだけさ、私は」

「……難儀なことだな」


 呆れたように呟きながらも、ハマドゥラは本に視線を落とした。破り捨てれば良いのに、老剣士も大概お人好しである。

 いや、まあ。

 破られたなら破られたでやりようはあるが。その場合にはハマドゥラ氏を黒幕として、問答無用で首を切るだけである。


 その場合、『古くからの忠臣に罪を着せて殺した』と言われるだろうから、それを防ぐために騎士団の何人かを巻き添えにすることになる。こうした閉鎖的な国での粛清は、国防上計り知れない痛手を被ることになるだろう。

 私の国ではないから、別に良いけど。


 何にせよ、読んでくれるのは良いことだ。穏便にすめば、それに越したことはない。

 暗殺とは、元来そのためにあるのだから。













「…………」


 は、確かに感動的な物語だった。


 三人の幼い子供たちが、いがみ合い、それでも最後には手を取り合って助け合う。

 一般的な、大衆の好む解りやすい感動ものだと意地悪く評することも出来るだろう。ハマドゥラに礼節が無ければ、陳腐な、と言ってしまったかもしれない。


 だが、だからこそ、ハマドゥラには


 先王の親友、父の代からの忠義。

 そのなかで、彼はただただ見続けてきたのだから――姿


 在りし日の光景が、甦る。


 宮殿の庭で自分に剣を教わろうと枝を拾ってきた長男、その枝にかぶれて薬草を探す次男。

 手加減するな、と言われて困るハマドゥラを見て豪快な笑い声を上げるサクマ王の腕には、赤子の長女が愛しげに抱き抱えられている。

 誰もが笑っていた、優しい時間。


「う、うぅ……」


 その結晶のような、紙束。


「うぅぅぅぅぅ……」


 自らの破滅を象徴するその本を、ハマドゥラは何度も読んだ。何度も、何度も、めくっては戻り、戻ってはめくり、繰り返し繰り返し読み込んだ。

 これは、証拠だ。

 これを無くすことは、敵にとってはさぞかし痛手であるだろう。

 簡単だ、ちょっと力を込めて、破り捨てればそれで良い。


 そこまで、解っていながら。

 ハマドゥラの手は、震えるばかりであった。


「……うん、ご苦労! これでこそだ、程の出来映え。これぞ正に、我が傑作というものだ!!」


 がっくりと頭を下げたハマドゥラの手から、本が取り上げられる。


「……毒が回っただけだろ」

「それもまた運命だ。さて、ではパロメはこれをばらまく準備に入るぞ?」

「あぁ、頼む」


 暗殺者と作家との会話を聞きながら、ハマドゥラはそっと息を整える。

 ちらり、と見上げた視界で、各人の位置関係を確認すると、老人は決意する。


 本は破けなかった。

 ならば――













「っ!?」


 ハマドゥラの身体が、バネ仕掛けのように跳ね上がった。

 全身を毒に蝕まれ、出血も酷いというのに、その挙動にはまったく衰えが見えない。


 虚を突かれたし、間をとられた。


 私は勿論、速度そのものならば勝っている筈のディアたちでさえ反応出来なかった。

 意識の隙を突いた、人体の最速をその一瞬にハマドゥラは達成していたのだ。


 追い付けない、止められない。

 疾風のように私たちの間を駆け抜けた老剣士の切っ先が、この中において最も無防備な者、スーラ王女に向けられる。


 慣れ親しんだ戦力分析が、当たり前のように首を振る。

 真っ当な人間らしくドラゴン退治で疲れはてた彼女の異能は、その一撃に間に合わない。私たちは反応できない。

 詰みだ、その一秒後にハマドゥラは殺せるが、一秒間は奴は自由だ。スーラ王女を助ける術は、この場の人間には一つとしてない。


 ――


「オォォォォォッ!!!!!!!」


 人間の最速に立ち塞がったのは、人外の咆哮。

 魂を打ち砕くとさえ言われた、


 吹き付ける風は嵐のごとく。

 魔力すら含んだその音波は、極小規模に凝縮された大嵐。あらゆるモノを薙ぎ払う、覇王の戦槌だ。


「ッガハッ……」


 城さえ軋むその一擊に、ダメージの溜まったハマドゥラは一溜まりも無かった。

 枯れ葉のように吹き飛ばされ、二度ほど地面に叩き付けられた彼は、駆け付けたロッソとディアに拘束され、そのまま意識を失った。

 ガックリと伏したハマドゥラの手から剣を奪い、ロッソは安堵の息を漏らした。


「……っぶねぇ……。俺らの仕留め損ねな上に、危うく恥の上塗りだぜ」

「幸運でしたね、スーラ王女は」

「……いや」


 私は、その場に立ち尽くすメンバーを順繰りに見た――

 それから、力を使い果たしたのだろう、全身がどろどろと溶け出したドラゴンを見た。

 幻のように消えていく巨体の中で踞るあれは、スードリ王子だろう。


 シズマ王子の弟にして、スーラ王女の兄。

 他の誰も傷つけず、妹を殺そうとした相手のみを倒した、ドラゴンの中身。


 私はパロメに目配せする。パロメもまた、訳知り顔で頷いた。どうやら、同じ考えらしい。


「事実は小説よりも奇なり、か」


 偶然か、或いは――家族の絆か。

 昇り行く朝日を見ながら、私はため息を吐いた。全く、長い一夜だったものだ。

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