第8話完成に必要なもの。
ヒュウ、と口笛の音が響いた。
ドラゴンの爪から目を離さず、ディアはため息を吐く。
見るまでもない、ロッソだ。彼はそうした、ディアやクロナからすれば下賎とも取れる反応を、寧ろ好んでする。
理解出来ない嗜好である。
多少常識外れとはいえ、宮仕えだったディアは基本的に礼節を重んじる。雇い主であるクロナも、仲間内や敵にはともかく、尊敬出来る相手には礼儀正しい人格である。
これ程の手本を見せられて、何故礼儀を理解しようとしないのだろうか。ディアには不思議でならない。
育ての親も、巡視官だったから礼儀作法はお手の物だったはずである。
或いはそんな半生への反抗なのかもしれないが、だとすれば少々子供っぽい。
――いずれ、指導しなくてはなりませんね。
そんな、クロナからすれば五十歩百歩という事実を理解していない、呑気なディアの思考を無視して、ロッソはケラケラと笑う。
「さっすが我らがご主人だぜ、全く。真正面から達人ぶっ殺す暗殺者なんざ、世界中どこ見回したっていねぇよな?」
「………まさかとは思いますが。馬鹿にしてるのですか?」
「おいおいおい、とんだ濡れ衣ですよ、そいつは? 俺みたいに常識の内側に居る人間にしてみたら、ありゃあとんでもないっすよマジで」
「当たり前です、クロナ様は凄いのですから」
歓談しながらもディアは爪を打ち払い、ロッソは雷を降らせていく。
スーラ王女の水で削れた鱗の隙間を的確に射抜きながら、ロッソは軽く肩を竦めた。
「もう一押しっすかねぇ。大分弱ってきてますし?」
「えぇ」
「………お前たち、良く喋りながら戦えるわね………」
スーラ王女のぼやくような言葉に、ディアはロッソと顔を見合わせ、それから首を傾げた。
「えっと………腕と舌とは別の動きをするものだと思いますが」
「つうか、ここまで来たら
「………お前たちが化け物じみてる事だけは良く解ったのよ」
頭の上に
そして、遂には。
ドドドゥゥゥ、という重い音と共に、ドラゴンの巨体は地に沈んだ。
「イエーイ、楽勝?」
「そうでもありませんが、まぁ、格好は付きましたかね」
――少なくとも、クロナ様の手は煩わせずに済みました。
ディアはホッと安堵の息を漏らした。
何しろ、ここまでは良いとこ無しだ。
その上、戦場においては騎士団との戦いをロッソに止められ逃亡。挙げ句の果てには依頼人がドラゴンに成って大迷惑。もし主人がかつての
この上ドラゴンの始末まで主人にフォローされたとあっては、恥ずかしさで死にたくなるというものだ。
不幸中の幸いと言うべきか、折しも舞台は幕切れ寸前らしい。見慣れぬ妙齢の女性が、自分の口で
「ん、ありゃあ、パロメさんじゃん。戦闘能力は無ぇ筈だけど………ってことは、ご主人の仕込みか。
なんつうか、役者は揃ったって感じ? 締めも近ぇかなこりゃ」
「………………」
「ん、何だよ
言葉の裏に何か悪意を感じて、ディアはロッソを殴り飛ばした。
数メートル吹っ飛んでいくロッソと、ドン引きした様子のスーラ王女は、最早ディアの意識からは締め出されている。
「………役者が揃った………?」
引っ掛かる。
ベルフェは果たして、こんな場面に現れないような男だっただろうか?
首を捻るディアの背後で。
ドラゴンの瞳が、ギョロリと動いた。
「おぉ、向こうも終わりか。ははっ、ナイスタイミングじゃあないか!」
「良く言うよ、出てくるタイミングを図ってた癖に………」
パロメの気配は、少し前から感じていた。
私がハマドゥラを下すまで、或いはドラゴンが倒れるまで、安全地帯で様子を見ていたのだろう。全く、ずる賢いと言うか、分を弁えていると言うか………。
まぁ、下手に出てこられても困る。カロメやアロメはともかく、パロメには全く、完全に、攻撃手段も自衛手段もない。
彼女に有るのはただ2つ。ペンと紙だ。
「それが肝なのだから、喜んで欲しいなクロナよ」
「肝心と解っているのなら、完成したんだろうねパロメ?」
「ふ、勿論だとも。………と言いたいところだが」
「おいおい」
いきなり肩を落としたパロメに、私は眉を寄せた。
言った通り、パロメの仕事の出来映えが肝なのだ。もしも出来ていないのなら、話は随分違ってきてしまう――少々、血なまぐさくなる。
パロメは片手を額に当て、もう片方は天を支えるように高く掲げながら、頭をゆるゆると振り回す。
私の動揺などどこ吹く風で、パロメは大袈裟に嘆いて見せた。
「何てことだ、全く。どれ程清涼な水がこんこんと沸き立つ泉であっても、いつかは枯れるということか。あぁ、あぁ、これ程の絶望を味わったことは無いぞ。何せ………タイトルが浮かばない!!」
「………はぁ?」
「タイトルだよタイトル。題名だ!」
パロメは彼女が持つ唯一の荷物、旅行鞄に手を突っ込むと、バサリ、と勢い良く紙の束を取り出した。
その厚みに、私は目を見開いた。私が頼んだのは、紙一枚の筈だが。
「何言ってるんだクロナ。パロメの筆は走り出したら止まらないのだ、知らなかったか? まあ、パロメも知らなかったけど。
何て言うか、気付いたら、40000文字の作品になっていた。いやあ、パロメびっくり
「………お前」
これが、開いた口が塞がらない、という現象か。
私が頼んだのは――ほんの一枚の紙。
王子たちの争いの影で嗤う、ある男の物語だ。
風評被害、印象操作。住民が王宮へ抱いた、仕組まれた悪印象。
ハマドゥラが狙っていたのは、そうした形の無い攻撃による勝利だった。だから防御もまた、それに準ずるやり方になる。
印象操作の最高峰。
作家パロメの真骨頂。
物語の姿を借りて。
遥かな海に浮かぶ、小さな島国。
慎ましくも幸せに暮らす彼らの、偉大なる王がある時天に召された。
あとに残った、3人の子供たち。
彼らは空になった王座を巡って、互いに争う。
血で血を洗うように、激しく、醜い骨肉の争いはあっという間に平和な島を呑み込んだ。
不安と恐怖で、人々は枕を濡らす日々。
やがて募る、王宮への不満。
それらが爆発する寸前に、最も幼い末の王女な声を上げた。
幼すぎて、王位継承には向かないと思われていた彼女は、真実を明らかにしたのである。
『犯人は、執事の男だ』
そう。
先王から仕えていた老執事こそ、影から王子たちを焚き付けて争わせていた、黒幕だったのである。
不毛な兄弟喧嘩を止め、王宮への不信を払うべく、手に手を取り合うべきだという妹の言葉に、兄たちは目を覚ました。
彼らは老執事に立ち向かい、その悪の手を振り払うことを誓う。
王子たちは力を合わせて、彼ら自身の手で老執事を倒した。
そして、かつての親愛を取り戻した3人は、互いに助け合い、国を立て直したのだった――――――。
「………という辺りかな。どうかな、クロナ?」
文句はない。私の頼んだ要素は全て詰め込まれている。
ただひとつ気になるのは。
「………何でそれで、40000文字に到達するのかな………?」
「いやあ、住民たちの反乱軍とか大陸の陰謀とか入れたら、膨らんじゃってさ。続編も考えてるんだけど………」
「………好きにしろよもう」
新聞というか、怪文書くらいで良かったのだが。
ハマドゥラが隠そうとした裏話を暴露さえしてくれれば、そして、王子たちを被害者に仕立ててくれれば、それで良かったのである。
「ははは、何事もやり過ぎるくらいがちょうど良いのさ。あとは、この話を製本して、町中にばらまいて終わりだけど………その前に」
「ん、パロメ?」
悪怯れる様子もなく、パロメは軽い足取りで、倒れたハマドゥラに近付いていく。
恐るべきことに意識を保っていたらしいハマドゥラが、のろのろと顔を上げた。
動けるのか、あれで。つくづく化け物じみた奴だ。
その鋭い視線に一瞬パロメは怯み、しかし動けないと気が付いたのだろう、更に近付いて、そして、
手にした紙束を差し出した。
「パロメ!?」
「………何の真似ですかな、お嬢さん。
話は聞いていました、どうやらこの紙で詰みらしいが………それを私に差し出すとはどういうことです?」
「ん、いや、決まっているだろ。仕上げだよ仕上げ」
その場の全員が訝る中で、パロメだけが明るく、朗らかに笑った。
そして、宣言した。
「君に読んでもらってオーケーを貰わないと、出版できないじゃないか!!」
「「「………はあっ!?」」」
ハモった。
ドラゴンの側から歩み寄っていたディアも、スーラ王女も、倒れたシズマ王子もレンもロッソも、ハマドゥラさえもが、口を揃えて叫んでいた。
叫ばなかったのは、
「物語は、感想で完成する」パロメはハマドゥラに紙束を押し付け、胸を張る。「さあ、君の手で、パロメの物語を完成させてくれ! 気に食わなければ、破り捨ててくれて結構!」
唖然とした様子で目を見開くハマドゥラが、ゆっくりと視線を私に向けてくる。
その意味を理解して、私は無言で肩を竦めた。
――すまんな、そいつは、ただの馬鹿なんだ。
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