第7話―6刈り取る者
それは、音も無くやって来た。
前触れも予兆も、気配も無く。
細やかな風を切る音さえも無く、まさにいつの間にか、そこに在った。
それに背を向けていたハマドゥラは勿論、正面から見ていた筈のシズマとレンさえもが、全く気が付かなかった。
一瞬前までは確かに無かった筈なのに、今、自身に切っ先を向けるハマドゥラの首筋に、それは迫っている。そして、見ている彼らは、それが異常だとすら認識出来なかった。
ソコに在るのが当然だと、全く問題無いと、シズマたちの意識は思っていた――警戒心の隙を、それは完璧に捉えていたのである。
それ――刀身が黒く塗られた刃が、ハマドゥラの首筋に到達していた。
「どうですか、自分に足りないものが解りましたか後輩?」
「………ありえねぇ」
典型的に調子に乗っているディア《ペンキ塗り》の言葉を無視して、ロッソは呻き声をあげた。
地の底から響いてくるような、低く短い言葉。そこに籠められているのは、紛れもない驚愕。
ディアを無視したと言うよりは、そちらに反応するだけの余裕が無かったと言う方が正しい。それほどまでにそれはロッソの常識を超えていた。
速くはない。
鋭くも、力強くもない。一撃としての性能なら、それこそディアの方が一回りも二回りも上等である。
剣術のレベルも、低くはないが達人ほどではない。乱入した際にちらりと見た、騎士団の青年の方が――或いはハマドゥラの方が、技術としては遥かに格上であろう。
総じて言って、それほど驚異ではない一撃。
だがそれでも。否、それだからこそ、ロッソは信じられない思いで記憶の中の一閃を反芻する。
あれほど普通の斬撃だというのに――かわせる気が全くしないのだ。
「音も、殺気も、気配さえしなかったぞ………?! ていうか、見てた筈なのに………認識出来なかったってのか」
「ふふふ、どうですか。あれこそが、あの方の実力ですよ」
「テメェに自慢されんのはすげームカつくけどな。成る程………流石ですわ、ご主人」
あっちは大丈夫だろう。
だとすれば、我々下働きの仕事はただ1つ。
「此方の大掃除はお任せください! クロナ様!!」
「………ふぅ」
「ギャハハ! 随分アンニュイなため息じゃねぇか!! セクシィー系でも狙ってンのか相棒?」
佇む私に、腰の相棒が軽妙な声を上げる。セクシーの言い方に絶妙な苛立ちを感じるが、敢えて答えず私は手にした刃を確かめる。
黒塗りの、片刃の長剣。
かつて振るった【カタナ】とかいう武器。それを闇のように黒く黒く染め上げたような、幻想的な美しさの刀身である。
金属である筈なのに、光を一切反射しない。
闇そのものであるかのように、その刃は夜に溶け込んでいる。
「ほれほれ、可愛い可愛い部下たちが、お前さんの絶技に感激してるぜ? どうだ、
「………」
勿論そんなことはしない。
無視されるのならともかく、呼ばれたと思ってディアがこっちに来てしまったらどうするのだ。
あっちはあっちで忙しいのだ、ふざけている場合ではないし、それに、そんな気分でもない。
私は今――酷く落ち込んでいるのだ。
「………お見事」
その声は、乱れた呼吸の合間にこぼれ落ちた。
年齢特有の、重ねてきた歴史を感じさせる嗄れた声。
初対面の時に聞いたような、自分の役割に殉じるような頑なさは鳴りを潜めて、静かな熱と興奮とが満ちた声であった。
それを聞きながら。
こちらを睨む視線を受け止めながら。
私は、大きくため息を吐いた。
「………見事と言うなら、お前の方だろう御老体」
忌々しい、という思いを隠すこと無く、私はハマドゥラにぶつける。
流石に片膝を付いてはいるし、首筋からは出血もしているものの、彼は生存していたのだ。
「御謙遜ですな暗殺者。今の手際は完璧の一言、私とは違いますが、ある種の極致であるに相違無い」
「謙遜じゃないさ。あの場面で仕留めきれないなんて、全く不手際もいいところだよ」
老人の言い草に則るのなら、暗殺者としては下手くその一言だ。
刃がハマドゥラの首に触れ、皮を裂く手応えを感じ、獲ったと思ったその瞬間。そう、あろうことかその瞬間に、だ。
ハマドゥラは身を捻り、刃の軌道から首を逃したのである。
「気付かれてないと思ってたがね」
「気付いていませんでしたよ。………と言うよりも、正直に言うのなら。未だ何が起きたやら、眼を白黒させておりますよ。回避したのは、ただの反射です」
その方が、最悪じゃないか。私は内心で激しく毒づいた。
皮を斬られた、その痛みに対する反射で、私の斬撃から逃れたというのか。
何ていう荒業力業だ、全く。これだから、達人という人種は嫌なんだ。
「貴女の剣筋も素晴らしかったですがね。もう四、五年鍛えたなら、私など軽く越えていくでしょう」
「それはどうも」
「それだけに、惜しい。………お分かりでしょう暗殺者。今は四年後ではない。時間を与えるつもりはない。貴女の剣が今後、私に届くことはないでしょう」
首筋から手を離して、肩を竦めながらハマドゥラは立ち上がる。
ロッソに似た仕草だ。案外、彼はこういう老人を目指しているのだろうか。だとすればまぁ、悪くはない。是非とも数年彼の下で礼儀作法を学んでもらいたいものであった。
………不可能ではあるが。
ハマドゥラの意見に、私も賛成だ。あいにく、数年など待てはしない。
「………変わった刃だと、思わないか?」
「む?」
「この武器だよ。形は勿論、この色。静かな夜みたいで、とても私好みだ」
「………」
好みだけではなく、光を反射しないという性質は、私のような暗殺者にはもってこいである。
それを魔術を用いず行っている点が更に良い。魔力の気配を漏らすこと無く、相手に切っ先を突き付けられるのだから。
そして、もう1つ。
「この武器、とある素材を塗ることで刀身を黒く染めている。光らないようにして、夜、目立たないようにするためだ。
しかし、塗ってあるのはそれだけじゃない」
「………………」
「さて、ここで質問だが」
血は止まった筈なのに。
どんどんとハマドゥラの呼吸は荒くなり、その顔色は青白く染まっていく。
「このカタナに染み付いているのは、なんだろうな?」
「………まさか、毒か………!」
「御名答」
全く、実に
この刀身には、既に毒を塗り込んでいる。ただ振るうだけで、必殺の武器なのだ。
「【シノビガタナ】という。………最早一太刀も入らない、とは私も同感だがね。果たして、二の太刀は必要かな?」
「っ!?」
私は戦士じゃない。剣士でも、達人でもない。
竜を退治する英雄になんて、逆立ちしたって成れる訳もないが。ヒトを殺すなら、私以上に適任は居ないのだ。
私は、ただ死。手段は選ばない。
今度こそ、けりはついた。
如何な達人といえ、この場面からの逆転はあり得ない。
「………成る程、まさにお見事」
………あぁ。全く。
油断というなら、まさにこの瞬間のことを言うのだろう。
体内に回る毒。その熱さに耐えながら、ハマドゥラは笑みの形に唇を歪めた。
「これは、私も覚悟しなければなりますまい」
「………なに?」
一度だけ、覚悟を決めるかのように、ハマドゥラはその眼を閉じた。
そして、カッと見開くと。
自らの首筋に剣を当てた。
「おい、お前!」
「命を賭ける。これほどの戦いは、久し振りだ。………いざ、勝負!!」
鋭い、気迫の一声と共に。
刃が老人の首を裂く。
鮮血が迸った。命の源、赤い水が、外へ外へと飛び出していく。
………血に混じった毒が、体外へと排出されていく。
「………さぁ、往くぞ暗殺者。今度は我が剣を堪能してもらおう」
徐々に収まっていく血を事も無げに一瞥すると、ハマドゥラは身構えた。
その立ち姿は、瀕死の人間とは思えないほどの威圧感に満ちている。
突き付けられた細剣に、ヒュウ、とバグが口笛を吹いた。その呑気さが、
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