第7話―5海神の槍

「【赤い剣幕レッドアティテュード】、展開!!」


 切っ先から流れ出た赤いペンキが、染剣マーレンの刀身を包んで、固まる。

 元来脆く、剣鼓を演じるには向いていない剣を保護し、名剣にも負けず劣らない切れ味を与える技である。


 先刻、【薔薇染めの赤光マーレン・ローズ】を放ったが、鱗はともかく爪なら斬れた。ならばこれで、爪と打ち合う事は出来る筈である。


「グルルルルル、ガアァァァァッ!!」

「はあぁぁぁぁっ!!」


 怒り狂ったドラゴンの爪が、咆哮と共に振り下ろされる。

 頭上を覆い尽くす程の桁外れの質量と、精神を抉るような叫び声。その脅威に凍り付く心を叱咤するべく、ディアは大声で叫ぶと、マーレンを頭上に掲げた。


 衝撃が、全身を打ちのめす。


 踏み締めた両足を中心として、床の大理石に蜘蛛の巣状のヒビが拡がっていく。

 そう言えば2階だったなと、心の何処かで思う。この床が、ディアのように頑丈に出来ていれば良いのだが。


「ぃよっし、良く押さえた馬鹿力! んでもって、降り注げ! 【泣き虫魔女サンダーレイン】!!」


 とにかくも静止した巨獣に、ロッソが剣を向ける。

 指揮者のようなその仕草に応じて、握り拳程の大きさの雷の珠が、竜へと殺到した。


 狙いは、爪の付け根。


「電気ってのは、威力だけじゃあねぇんだぜ?」


 付け根から電撃は竜の体内に侵入し、その動きを阻害する。

 勿論それは、神秘の最高峰たる竜には数秒しか効果がないし、末端の指の動きを邪魔する程度のものだが、それでも充分。


「隙有りだわっ!!」


 スーラ王女の周りに、突然大量の水が巻き起こった。

 渦を巻いた水は、柱のように天高く伸びると、そのまま竜に倒れ込み、打ち据える。その一撃は鱗に防がれるが、何しろ水の量が尋常ではない。

 重さとそれに伴う速度で、ドラゴンの身体がぐらりと揺らいだ。


「効いてますね」

「順調順調。………あれは、あくまでも変身だからな。ある程度ダメージ与えりゃ、姿を維持できなくて元に戻るんだよ」


 うん、確かそうだったと思う、と心の中で付け足して、ロッソは頷いた。

 そうでなくとも、まぁ、。ロッソたちは2度とギョーサダンの地は踏めないだろうが、それだけ。


「行けそうねっ!!」


 スーラ王女の明るい笑顔に、ロッソはなるべく楽観的な笑みを返した。

 ふと隣を見ると、ディアと目が合う。

 彼女もまた、努力のあとがありありと浮かんだ笑みを浮かべていて、ロッソは苦笑した。どうやら――同じことを考えているようだと。


 確かにこのままなら行けそうではある。

 ………











「………順調だな」

「………ご不満ですか?」


 シズマの言葉は、内容にそぐわない声音で紡がれた。

 治療を続けながら、レンは首を傾げる。ドラゴンに勝てそうなら、それに越した事は無い筈だ。それともまさか、今更手柄に拘っているのだろうか。


「そういう意味ではないよ。………そう怖い顔をするなよ、レン。今お前に見捨てられたら、俺は間違いなく死ぬんだ」

「そんなつもりはありませんが………では、何故そのように、苦虫を噛み潰したような声を?」

「単純な話さ。確かに順調だが………


 誰の話か、聞くまでもなかった。

 レンの背後で突然、猛烈な殺気が沸き上がったからだ。


 寝かされたままシズマが腕を振るい、レンの背に剣を回す。

 直後に甲高い金属音が響き、動けないレンの視界の隅で、シズマ愛用の剣が遠くへ弾き飛ばされていった。


 自らの剣の行方を追うこともなく、シズマは不敵な笑みを浮かべた。


「抜け目の無いの事だ、このまま放置はしまい。そうだろう? ハマドゥラよ」

「………やはり、才はずば抜けておられますな、シズマ殿下」


 殺気は変わらず、けれども冷静な声がレンの硬直を緩めた。それでも、背筋に死の気配を明確に感じつつ、レンは慎重に振り向く。


 そこに立っているのは、常と変わらぬ姿のハマドゥラだ。

 品の良いカッチリとした衣服に、一分の隙もなく撫で付けた白髪。シズマ王子の、そして先王サクマ様の背後に控えていた頃の、忠臣そのものといった風体である。


 泰然としたその出で立ちに、レンは思わずここが玉座の間であるような錯覚に陥ったほどだ。

 いつものように、焦りも不安もない。

 いつもと違い、あるのは、


「その細剣レイピアで、俺の剣が弾かれるとはな」

「片手で持った剣など、そんなものですよ。大陸流はそれが基本なのですかな?」

「剣と盾かな。或いは大剣だ、大体が受けるための剣術だからな」

「それはそれは。贅沢な剣の使い方ですね。

 ………あくまでも、剣は武器ですよ。受ける前に斬る、或いは突く。それが役割というものです」

「ご高説痛み入るよ。お前の話はためになることばかりだ」


 和やかな会話にも、聞こえるが。

 依然としてレンの全身には、針のように鋭い殺気がくまなく突き刺さっているままだ。

 それでもハマドゥラが襲い掛からないのは、レンには解らぬ次元での駆け引きが行われているのであろう。会話の形で行われる『ナニか』の応酬に挟まれ、レンはいつ息が止まるか気が気では無かった。


 いや、現実問題として、レンの命は風前の灯ではある。


 ドラゴンと相対している3人は、ハマドゥラの出現にこそ気付いたようだが、かといって流石に手は空かない。

 レンは治療中で、この場からは動けない。治療を中断すれば逃げられるだろうが、そうすると今度はシズマが死ぬ。


「八方塞がり、というほどの事もありますまい、宮廷魔術師殿」


 まさに、調理場の魚の気分を感じていたレンに、ハマドゥラが淡々と語り掛けた。


「治療を止めれば殿下は死ぬでしょうが、貴方が死ぬわけでもない。そうでしょう?」

「………」


 それはまぁ、その通りだが。


「加えて言えば、シズマ殿下の生死は貴方の預かり知らぬところでしょう。貴方にとって一番重要な事は、スーラ王女の生死の筈。であれば、命を懸けて政敵を助ける必要はありませんよ」


 そう。

 シズマにとってレンは命を懸けて守る価値があるが、逆は成り立たない。シズマが死んだとしても、直接レンの死には繋がらないのである。

 それはさっきから、ハマドゥラの出現以降何度も考えたことである。


 考えて、考えたからこそ。

 


?」

「………ふっ」


 ハマドゥラは、相当の犠牲を払いながら、相応の覚悟をもってこの場に臨んでいる。

 シズマ王子を殺して、それで終わりとは恐らくなるまい。残る王族全て、彼の剣は貫く筈だ。


 奇しくも、ハマドゥラ自身が言った通りだ。

 レンにとって大切なことは、スーラ王女の無事。彼女の命が助かるのなら、自身の命など軽い。


「ふふふ、そうですか。しかし、その考えは甘いと言わざるを得ませんね」

「………え?」


 何とも珍しい堅物の笑いに、レンは思わず殺気を忘れた。

 唖然とするレンの足元で、しかしシズマが訳知り顔で頷いた。


「………成る程。俺を裏切り、何を企んでいるかと思ったが………そうか、そういうことか」

「お察しの通りですよ、シズマ殿下。………私は、

「国を………?!」

「えぇ」事も無げに、ハマドゥラは頷いた。「サクマ様を超える王は、もはや現れますまい。となれば、

「だから、スードリを焚き付けたのか」シズマの柳眉が、厳しく寄る。「!」

「一を聞いて十を知る。………本当に、貴方の才には期待していましたがね」


 本心から残念そうに、ハマドゥラは肩を落とした。

 その内心は、レンには良く解った。彼が心の底から、ギョーサダンの行く末を案じていることも。


 元々、王国になるには脆弱な島だった。それでも世界にギョーサダン有りと名乗れたのは、単にサクマ王の辣腕故であったのだ。

 強くなければ、サクマ王よりも強くなければ、国を保てはしないと、ハマドゥラは良く理解していた。だからこそ、彼はシズマ王子を担ぎ、そして失望した。


「ハマドゥラ様………貴方は………」

「ですがもう遅い。貴方の才はいずれサクマ様を超えたかもしれませんが、それを待つ時間は最早無い。いつだってヒトは、手元の札で挑むしか無いのですからね」


 ハマドゥラの顔から、苦悩が消える。

 それどころか、あらゆる感情がそこから消え失せた。


 まるで、そういう装置のようだ。

 国を憂い、国のための最善を無感情に選択するだけの装置。

 【海神の槍】。ハマドゥラにかつて与えられたその異名は、もしかしたらそういう意味をももっていたのかも知れない。


「おさらばです、殿下。そして、宮廷魔術師殿。より良い未来のため、礎になっていただきます」

「う、うぅ………」


 ハマドゥラが剣を構える。

 シズマが身を固くし、それ以上にレンの身体が凍り付く。

 先程までの殺気が手慰みであったかのように、濃密な殺意の塊が場を押し潰していく。


 単なる呼吸すら許さぬ、威圧感プレッシャー

 かつて最強と呼ばれた男の剣が、レンたちを貫かんと迫ってくる――。









 そして当然、ロッソたちもその凶行には気が付いている。

 気が付いているが、どうしようもない。

 3人が全力を出して、ようやく戦力の天秤は釣り合っているのである。誰か一人でも手を抜けば、瞬く間に潰されてしまうだろう。


 全員でドラゴンを無視する、わけにもいかない。

 今ここで、ドラゴンに余裕を与えたら、奴はより容易く手に入る餌へと向かうだろう。そのために奴には翼があり、それで市街地へ飛び立ったなら、もう悲劇は止められない。


 何としても、こいつはここで潰さなければならない。

 だが、ハマドゥラを放っておいては、シズマたちは殺される。

 そして彼は、その後無防備なロッソたちの背を刺しに来ることだろう。一人でもやられたら、結果は見えている。


「チッ………」


 打てる手は無いチェックメイト。というよりも、打つ手が足りなすぎるのだ。

 いっそ逃げ出しちまうか。そんなことを考えながらロッソは相棒に目を向けて、そして目を丸くした。


「………何笑ってんだよ馬鹿。え、もしかして事態がお分かりでない?」

「ぶっ飛ばしますよ後輩。そして、ずいぶん前にも言いましたよロッソさん。貴方に足りないものをね」

「はあ?」

「そしてそれが、現状を打破する鍵ですよ」


 何やら自信ありげに笑うディアを、ロッソとスーラは理解できない妙なものを見るように眺めた。

 その背後で、ハマドゥラの剣がレンたちへと突き進んでいく――。

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