第7話羽化する終わり

「………ハマドゥラ様」

「おや、クドル。何故、執務室ここに?」


 開いたドアの向こう、現れた老臣を、クドルは睨み付けた。


「ここは王の限り無く個人的な部屋です。同時に、この国の行く末を指揮するための操舵輪、政治の中枢でもあります。

 幾ら王子の幼馴染とはいえ、主の留守に臣下がみだりに訪れるべきではありませんね」

「それは、貴方も同じでしょう」


 必要以上に敵意が籠っていると、クドルは自覚している。

 敵と向かいあった時に、何より心掛けなければならないことは、余計な感情を持たないことだ。確かに感情は力になる――怒りや憎しみなど、負の感情ほどその傾向は顕著だ。

 単に膂力を競うだけならば、感情は味方だろうが、戦いにおいては違う。過剰な力は、技を妨げるだけだ。


 内心の乱れに、刃曇らせる事なかれ。


 クドルが心に刻んだ、師の教えだ。

 今、剣を向ける相手は、


「王子は留守です。私は、ここで待つよう王子に言われました。………貴方も、ここで待つべきでしょうね」

「ほう、何をですか?」

「王子のをです。ハマドゥラ様、貴方の命により行った作戦は、完全に裏目に出ましたよ」

「裏目、ね………」


 軽く肩を竦めるハマドゥラ。

 その所作には、落ち着きがある。無理解からくる、愚者の油断ではない。事態を正しく理解して、且つ、その対抗策を用意している者の余裕だ。


「どうか、大人しく。さもなければ、私が貴方を拘束する事になります」

「それよりも、クドル。貴方は

「どういう意味ですか?」

「彼に危険が迫っている、という意味です」

「貴様っ!!」


 剣を抜いたクドルを、ハマドゥラは冷やかな視線で眺める。

 自然体で立つその身体には、怯えの一欠片さえない。


「殿下は、スードリ王子に会いに行ったのでしょう? 市街地での大規模な作戦、その上での敗北。最早、王族への不信感を払拭するには、事態の終焉しか手はありませんからね」

「やはり貴様の策略か、ハマドゥラ………! 王子を補佐すると見せて、その実、貴様のしていることは」

「左様、王子への、いや、王族への不信感を煽ることですね」


 サッと、クドルはハマドゥラの身体を見る。

 武器は無し。

 ギョーサダンでは珍しい純血の人間族ヒュムである彼は異能も持たず、魔術に理解のあるタイプでもない。

 結論、


「今のは、自白と見て良いな、ハマドゥラ」

「構いませんよ、そして、


 なんだと、という声を出すことは、出来なかった。

 突如として、大地を震わせる程の振動が起こり、ついで、


「っ、なんだ?」

「………スードリ王子は、魔法薬に傾倒しておりますからね。知っていますか? 

「っ、王子!」

「そして」


 一瞬。

 本当に、それは一瞬だった――クドルがハマドゥラから目を離した、正しく一瞬の隙を突いて。


「ガハッ!?」


 ゆらりと間合いを詰めたハマドゥラの掌底が、クドルの顎を打ち抜いた。

 脳が揺らされ、意識が混濁する。

 その手から滑り落ちた大剣を、ハマドゥラは片手で拾い上げた。


「この先私の思い通りに進んだとして、貴方はあくまでも、王子の剣であることを貫くでしょう。そうなると私としては、貴方に不名誉を与えざるを得ない………処刑で終わる剣士など、不名誉そのもの。ですから………


 さようなら、我が弟子よ。

 呟きながら、ハマドゥラは大剣を降り下ろした。











「………」


 地響きにも咆哮にも頓着せず、ハマドゥラは机に向かい、書類や本に手を伸ばす。

 彼が自分で述べた通り、この部屋は政治の中枢だ。そこにある物は全て、国の運営に必要不可欠な物なのだ。


 彼は今まさに、舵を手中に収めつつあった。


 細く開いた、ドアの隙間。

 











 ノックをして、その返事が無い事に、シズマは眉を寄せた。

 物音は聞こえてくるから、中にはいるはずだ。そもそも出不精で運動の嫌いな弟は、滅多なことでは部屋から出ない。


「………スードリ、スードリ?」


 寝ているのか、とシズマは更に声を掛けて、


「兄さん………」

「何だ、居るじゃないか。今言いかな?」

「………嫌だと言っても、兄さんは聞かないでしょう………」


 ギイッと軋みながら開いたドアの向こうで、スードリの声が出迎えた。

 声だけだ、姿は見せない。


「都合が悪いのなら出直すさ、それくらいの分別はある。ただ、出来たら早急に話をしたいと………」


 言いながら、シズマはそっと腰に差した剣に手を伸ばした。


 妙な声だ。

 元から不健康な男で、声色にもそれが現れるスードリだが、今夜はいつにもまして声に力がない。

 心なしか、震えているような気さえする。


「スードリ、大丈夫か? どこか具合でも悪いのか?」

「だったら? ………処刑を延期でもしてくれますか?」

「処刑?」


 何の話だと、シズマは首を傾げる。

 弟を手にかける訳が無いだろう、と思ったが、スードリはそれを信じているようだ。

 だから、緊張しているのか? シズマは緊張を解そうと口を開き掛けて、


 代わりに、退

 気配が、拡大していく。


「スードリッ!?」

「………私は、未だ負けていない………!!」


 ガンという大きな音と共に、古い木製のドアが破裂した。

 飛来する破片を打ち払い、シズマは更に一歩距離をとる。


 それを為したスードリが、肥えた脚をよろけさせながら、部屋から現れた。

 握り締めた掌から、ビーカーが落ちて、音を立てて割れる。


「スードリ………」

「これが、私の切り札だ………!」


 ふらふらと頭を振るスードリ。

 その肉体が、


 背からは、翼。

 牙が突き出て、爪が伸び、肉体が服を突き破る。身体の表面にはビッシリと鱗が生え、全身が、蜥蜴を思わせる爬虫類めいた形に変貌していく。


 変身薬。

 誰もが知っている、けれども見たことの無い存在へと、変わっていく。


 食物連鎖の番外、幻想種ファンタジスタの最高峰。

 


 絶望の踏み込みが大地を揺らし、怒りに満ちた咆哮が、夜の大気を切り裂いた。

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