第6話―裏 宴は続く
「さて、どうやら事態は沈静化だね」
「そーかい、ふふ、パロメとしてはそれはそれで物足りないな」
「………騒がしいのは嫌いなくせに」
パロメの言葉に、私は呆れた。
女性作家はわざわざベッドの脇に机を運んで、その上に赤ワインと燻製牡蠣を並べながら、怠惰の化身のように寝そべっている。
パタパタと上下に動かす足の先では、脱ぎかけの靴下がフラフラと揺れている。だらしないな本当に。
こいつと比べると、バグは未だ働き者と言える。本来なら寝てるのに、一応騒動の目処がつくまで起きていたし。
「それより、パロメ。こっからはお前次第だって解ってるの? 酒なんて呑んで大丈夫?」
「ん、大丈夫さ。パロメは酔ペンの使い手だからね」
ああ言えばこう言う………。
ため息を吐くと、不意にパロメが上半身を起こした。
大きく丸く見開かれた瞳が、ガラスのように無感情な視線で私を見詰める。
「昔々」
思わず、ひゅっと息を呑んだ私の隙を縫うように、パロメが口を開く、舌を舞わす。
「
海に沈んだ男を人魚が見付けた。人魚は男に恋をして、助けた。
女神は怒り、人魚を陸へと追いやった。居場所を失い泣く人魚を、男はめとり、幸せに暮らしたという。
今島にいるのは、彼らの子孫だそうだよ」
「………本当か?」
「勿論嘘だよ、今創った」
はっ? と私は目を丸くした。
驚いた私を見て、パロメは腹を抱えて無作法に笑い転げる。
「そんなわけないだろクロナ、もしそうなら、彼らは海に出て漁など出来るわけがない。直ぐ様沈んで海の藻屑だ。
良いか、パロメは小説家だ、伝記家じゃあない。事実なんて書いて何になる。………パロメが書くのは嘘だよ、思い付きだ。
事実を下敷きに、空想の肉を付け想像の翼を授ける。読んだ者に、事実みたいな嘘を信じ込ませる。いや、信じたくなるような嘘を吐くのが、作家という生き物なのさ」
ゲラゲラと笑うパロメを見ながら、私は笑うことが出来なかった。
寝そべり、服の裾を乱れさせながら私を見上げているのは、先刻のあの瞳だ。
それは、パロメの一線なのだ。
踏み込む者に容赦せず、踏み荒らす者を誰であれ討ち果たすというデッドラインだ。
私は今から、そこを踏み越えなければならない。
夜のバーにやって来て、私の隣に座るように。
パロメに、依頼をしなければならない。
客とは、詰まりは供物を抱えて祈りに向かう信仰者だ。そして相手は、無秩序な神。
願いが叶うかどうか。全ては聴くモノ次第なのである。
「さあ、報酬の話をしよう、クロナ。解ってるだろ、慣れているだろ暗殺者。聞きたいことは唯1つ。
パロメに書かせる
やるかやられるか。
私は、鳥類じみたパロメの瞳を睨み付けながら、慎重に口を開いた。
「………貴方が来るとは………珍しい事もあるものですね」
夜中の来訪者に、スードリは半ば揶揄するような声を投げた。
来訪者は元来、王の側近であり王子の側近ではない。シズマ王子にベッタリなことを暗に批判するようであり、残る半分は本気の疑問だった。
「現状………貴方が私の
「………」
用心深く部屋の入り口で立ち止まり、来訪者ハマドゥラは眉を寄せた。
見慣れた仕草だ。昔から、幼いスードリ自身やシズマ、スーラ等が悪戯をする度に、彼はやれやれと言う代わりに眉間にシワを寄せたものである。
いわば、試薬だ。
眉間のシワの深さを見ながら、スードリたちはふざけて良い限界を図っていたのだ。
その後に始まるのは、昔はお説教だった。
今では、果たして何か。
「………スードリ王子」
来た、とスードリは思わず身構えた。
幼い頃の教育的痛みは、それが物理的なものであれ精神的なものであれ、易々とは拭えないものだ。
そして勿論、続くのは幼子への叱責などではない。
ハマドゥラは何かを堪えるような顔のまま、淡々とスードリに告げる。
「チェックメイトですよ、王子」
「………なに?」
「魔術協会からの横やりの居場所が、判明しました。騎士団全軍が向かっています。………四騎士も含めた全軍です、意味は、解りますね?」
四騎士。
運動があまり得意でないスードリからすれば、怪物の域に達している程の強さを持った騎士たちだ。
一騎当千、とまではいかないだろうが、百人力とならいくかもしれない。数を質で引っくり返すタイプの、スードリが嫌いなタイプの騎士たちである。
それが、部下を率いて。
たった二人の敵を倒すために。
「………それが?」
あのベルフェとかいう魔術師は、となると確実に敗北しているだろう。
それを理解しつつ、スードリは本気で聞き返した。
「彼らがどうなろうと………私とは関係ありませんよ………。それとも、私の放った刺客だとでも………?」
証拠など何もない。
彼らはあくまでも駒、取られたのなら切り捨てるだけだ。
ハマドゥラの目が細められる。不出来さを咎められた記憶が、その時の感情も含めてスードリの脳裏に甦っていく。
ドクンドクンと、心臓が喚く。
――何だ、いったい、自分は何を見逃している?
「解りませんか、スードリ王子。………それはひどく初歩的な事です」
「初歩的な………事………」
「敵が何者かということですよ」
あっ、という声が、スードリの渇ききった喉からこぼれた。
自らの言葉が与えた影響を見分しながら、ハマドゥラは静かに頷いた。
「証拠? 馬鹿な、相手はあのシズマ王子なのですよ? 証拠なぞ無くとも、最後には貴方に剣を突き付け、こう言うでしょう――『さあ、スードリ。一騎討ちだ』とね」
そうだ、とスードリは頷いた。
兄はそういう男だ。どんな相手にも、最後には必ず自分で向き合わなければ納得できない。
こんな、駒の取り合いで納得するような、穏やかな性格では決して無いのだ。
「………ですから、貴方はもう終わりですよスードリ王子。一騎討ちで、殿下に敵うわけもないでしょうからね」
「くっ………」
「降伏を、お勧めしますよ。血縁の貴方が頭を下げ、野心を捨てるのならば、シズマ王子といえども命までは取りますまい。
………まぁ、まだ何か。切り札でもあるのなら別ですがね………?」
ハマドゥラは踵を返し、部屋を出ていく。
音もなく閉じたドアを睨みながら、スードリは親指の爪をかじり始めた。
血走った目がギョロリと蠢く。
棚の一角、泡立つ赤いビーカーの中身に、スードリの視線は吸い寄せられた。
それはあくまでも最後の手段、諸刃の剣に他ならない。だが――最早、我が身に失うものなどあるだろうか?
億劫そうに、スードリは棚へと近付き、ビーカーを手に取った。
飲むべきか、飲まざるべきか。
不健康に肥えた肉体が揺れる。内心の動揺を象徴するように――。
悩む、その時。
「………っ!?」
ノックの音が、響き渡った。
そして。
「………スードリ、居るか?」
シズマ王子の、声が。
「………」
夜の宮殿、執務室。
クドルの報告を聞いて、シズマは顔をしかめる。
「なんという愚かさだ、ハマドゥラ………」
「どうなさいますか、シズマ王子」
「………最早、こんな争いを続けている場合ではないな」
騎士団を動かしたのは、まさに愚策だった。その上での敗北は、愚かを遥かに通り越している。
民の信心は、底辺に落ち込んだだろう。とすれば、一刻も早く事態を収拾せねばならない。
「スードリに会おう。一時停戦、話し合いで落とし処を探るしか、打つ手はない」
もしもう一度、兄弟で争う場面を民衆に見られたら。
彼らの忠誠は、嵐の小舟のように沈む。
「今ならまだ、間に合う。今ならな」
「王子、一応剣をお持ちください」
「………あぁ、そうだな」
護衛を連れていくわけにもいかない。
愛刀を腰に履いて、シズマはスードリの元へと向かう。
この話し合いで、ギョーサダンの行く末が決まるだろう。その事を理解しているからだろう、シズマの表情は――
――まるで、決闘に赴くような真剣さであった。
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