第6話斯くて日常は戦場に

「………不味い」


 呟いて、私は思わず店主の姿を探した。

 大皿に盛られた海鮮焼き飯パエリアを食べての一言だったから、余計なトラブルを招きかねないと思ったのだ。

 多くの場合、観光地で観光客が料理を批判することは危険を生む。何処にだって文化はあるのだ、余計な一言が人生最後の言葉にもなりかねないのだから、気を付けた方が良い。


 そして何より、私はパエリアについて感想を述べたわけではない。


 寧ろ、パエリアは非常に美味かった。

 パラパラに炒められた米には、海鮮のスープが芯まで染み込んでいて、噛む度に口の中に海が広がるほど。

 具の、何やら大きな貝も美味しかった。何の貝なのか解らないが、ホクホクとした良い食感だった。


 だから、不味いのはパエリアではなく。


「………

「結構控えめっすね、ご主人」


 貝殻から、スプーンで器用に身を取り出しつつ、ロッソは苦笑している。


 事態の深刻さを理解してくれているようだ、実に話が早い。

 残るは王女と御付きの魔術師であるから、説明の必要は無い訳だ。


「クロナクロナ。パロメは、良く解らないのだが?」

「………今朝、私が話したことを覚えてる?」

「程よく覚えているよ!」


 何だ、程よくって。

 ため息を吐いて、私は一人のために説明する羽目になった。


「私が昨夜少し派手にやったのは、相手にこちらの驚異を教えるためともうひとつ、相手に

「………少し?」


 そこに突っ掛かって欲しくないのだが。

 私は気にせず、先を続ける。


「何しろ、ここは敵地だ。敵の領地、管轄範囲、庭だ。詰まり――


 庭の畑に狐が居たら、主は追い払う。

 


「住人達に、不安を与えてはいけない。不審がられてはいけない。何故ならこの戦いの勝者は、この国を統べる王となる。その手腕に、将来に、暗雲を感じさせてはならないんだ」


 私たちが昨夜騎士達を蹴散らした後で、こんなにのんびりと過ごしていた理由はそこにある。

 シズマ王子は、現在のところ候補者筆頭だ。ということは、今の時点で国の治安を守るのは彼の役目となる。

 治安が乱れたら、その責任を問われるのは王子である。だからシズマ王子は、何をおいても街を守らなければならないのだ。


「評判ってのがありますからねぇ、統治者ってのは」


 訳知り顔で皿をつつきながら、ロッソは肩を竦める。


「市中で敵が暴れてるっていうのは、最低のスキャンダルっすからね。出来ることなら隠しときたいし、その犯人が未だウロウロしてます、なんてのは絶対に隠さなきゃならん話ですよねぇ、普通は」

「民衆っていうのは、怖いんだ。支配者とはいえ、いや、支配者だからこそ、その反乱には注意しておかないといけないんだ」


 かつて私は、ギョーサダンを船に例えたが。

 船員がそっぽを向けば、船は沈む。


「民衆を不安にさせるのは、正に愚策です」


 レンが、いつにもまして青い顔で呻いた。

 気が気でないのだろう、目の前の皿には手もつけていない。


「先王の偉大さを、民は皆知っています。サクマ様の崩御でただでさえ不安に怯える彼らの前で、弱いところを見せるのは危険でさえあります………」

「それ以前に! 住人達を怯えさせるなんて、王族失格なのよっ!」


 反対に、顔全体を真っ赤に染めながら、スーラ王女は声を荒げた。


「お兄ちゃん………なんで………?」


 悲しげな呟きに、答える者はいない。誰も――恐らく兄弟でさえ、彼の本心を知る者はいないのだ。











「………一先ず、私は王宮に戻ります。シズマ王子の考えを、確かめなくては」

「妾も………」

「いや、それは止めておこう」


 驚いたように目を丸くする王女様を通り越して、私はレンに頷き掛ける。

 レンも、頷いた。感想は同じようだ。


「状況がおかしい。シズマ王子はまあ、ある程度常識の通じない相手だとは思っていたが――定石の通じない相手とまでは思ってなかった」


 私の王子に対する感想としては、型破りではあるが、あくまでも『王族としては』というレベルだった。

 現在は違う。

 これは――例えるなら、いきなり弓駒アーチャー王駒キングを狙撃するようなものだ。しかも、こちらが戦遊戯盤チェスでなくカードをやろうとしていたのに、だ。


 相手の打つ手が見えない。

 何をやらかすか、想像の余地がないのだ。


「有り得ないとは思うけど、王女様に余計な手出しをしてくるかもしれない」

「お兄ちゃんが? まさかっ!」


 もちろん有り得ないかもしれない。

 ………有り得るかも、しれないのだ。


「良いか、お嬢さん。あんたは王女様、ギョーサダン王位継承権第三位であり………私たちの雇い主だ。解るか、あんたが女王駒クイーンだ。取られたら、負けるんだよ」

「何かあるってことを、期待してる訳じゃない。あったら困るから、俺たちと一緒に居ようぜっていう事さ」


 へらへらと、殊更軽薄にロッソも続ける。

 不安や怒りを受け流すように、軽く、軽く。


 レンもまた、青白い顔に笑顔を浮かべて、スーラ王女の前で跪いた。

 か細い少女の手を両手で包むと、安心させるように優しく撫でながら、穏やかな声で語り掛ける。


「王宮の様子を見てくるだけ、それだけです。私は宮廷魔術師、彼処は工房です。何があっても、何とでもなります」

「………でも、レン………」

「話はまとまったのかね?」


 驚くほど汚く食べ散らかしていたパロメが、不作法の塊のような姿勢から、勢い良く顔を上げた。


「なら、早く宿に行こう! パロメはもう満腹だから、眠いのだ」

「え、ちょ、えぇ?!」


 パロメは、善は急げとばかりに立ち上がると、スーラ王女の手を取った。

 グイッと強引にそれを引くと、パロメは駆け出していく。


「あ、お、王女様?!」

「………あれは、その………まさか気を使ったんすかね?」

「さあね」


 よりにもよって馬鹿あいつの考えなんて、私に解るものか。

 まあ、とにかく。


「こっちは任せてくれ、レン。その代わり」

「解りました。シズマ王子の考え、調べてきます」


 力強く頷いて、レンは店を出ていく。

 その背中を見送って、ロッソがポツリとこぼす。


「………で、パロメさんは、どこの宿に向かったんすかね?」

「………」


 私が知るわけ無い。

 ため息を吐いて、私たちは走り出した馬鹿の後を追うことにした。


 その後すぐ。

 僅かな全力疾走によって力尽きたパロメと、右往左往するスーラ王女の姿を、私たちは発見したのだった。

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