第5話―5
ギョーサダンは、島の名前でありそこにある国の名前であり、唯一の街の名前でもある。
狭い島だから、ヒトの生活圏がここくらいしかないのである。
国民の総人数も、大陸なら少し大きな街2つ分程しか居ないのだ。更に半数は海に出ているので、居住スペースはかなり狭く済む。
漆喰で固められた白い家は、その殆どが2階建て。一階では店を営む者が多く、本格的な店でなくとも、例えば獲った魚の一部を干物にして売るような、小規模な出店もある。
朝食時を過ぎたせいか、食べ物の店は閉まっているようだ。恐らく、昼時に向けて仕込み中なのだろう。
「ここの住人は、8割が
中央通りに向かいながら、レンは淡々と案内を始めた。あれほど案内すると言っていた王女様だが、店の大半が閉まっていることに絶望したらしく静かになっている。なにしに来たんだホント。
「残り3割が
「船乗りとしては、どちらも優秀な種族だからな」
水中で生活する事さえ可能な
あと――魚好きだしな、あいつら。
「んー、
「ロッソ君はあの街からあまり出たことないんだっけ。ならまー、あまり見たことは無いかもしれんね」
最後尾をノロノロと歩いていたパロメの言葉に、ロッソは不機嫌そうに振り返った。
「
「陸に上がる者はあまり多くないでしょうね。あくまで噂ですが、海底には純血に近い
「へー、夢がある話っすね」
そういう意味では海底というのはあり得なくはないが………。
「特徴は、ほれ、この瞳なのよ!」
スーラ王女は前髪を掻き上げると、その碧眼を露にする。
空のよう、と言うよりは空を映した海面のようなブルー。思わず落ちていきそうなそこを覗き込むと、突然、白い波が横切った。
【
海だから波も起きるし、感情が高まると嵐さえ起きるのだという。
お伽噺には、
女は海というが。
果たしてその話は、喜劇なのか悲劇なのか。
「すげぇなぁ、本当に海みたいっすね」
「うむ、パロメも初めて見たよー。ふーん………ねぇ知ってる? これ、宝石みたいに抉って取引されたりするんだよ?」
「止めろ馬鹿」
ニヤニヤと笑いながら冗談を言うパロメから、王女は慌てて距離をとった。
「はは、冗談だよ冗談」
「お前のジョークはユーモアに欠けてるんだよ、パロメ」
「それもうジョークじゃなくねぇっすか?」
言うタイミングも、内容も、何もかもが駄目なのだ、パロメのジョークは。
その証拠に、王女を庇って前に出たレンの眼は恐ろしく険しい。その右手に魔力が溜まっていくのを嗅ぎ取って、私はため息を吐いた。
そして勿論、パロメは
懐からメモ帳と万年筆を取り出すと、何事かスラスラと書き付け始める。
「ふむふむふむ、良いね、良いねその眺めは。王女様を庇う青年魔術師か、うん、悪くない」
「………はぁ?」
「うーん。後は、成就させるか悲恋で終えるか………」
荒々しく、素早くペン先を踊らせながら、パロメはぶつぶつと独り言を始める。その視線はメモ帳と、時々虚空を彷徨うばかりである。
立ち塞がったレンと、その背にしがみつくスーラ王女の姿に何か、興が乗ったらしい。その意識は内面に沈み、彼女の大好きな物語を紡ぐべく思索を始めてしまったようだ。
こうなったパロメは、とにかく放っておくしかない。やがて考えがまとまるか、或いは新たな興味のもとを見付けて現実に帰還する事だろう。
幸い、肉体は立ったままだ。私はパロメと手を繋ぐと、引き摺るようにして歩き出した。抵抗することもなく、彼女の脚は順次前へと進み出す。
まるで、犬の散歩だ。
腰の辺りで笑い声が響いた。どちらのことを笑ったのか、それは解らないが。
「ギョーサダンの名物と言えばやはりこれ! フォカッチャなのよっ!」
中央通り近くまで歩いて漸く見付けた、一台の屋台。
弾むような足取りで駆け寄ったスーラ王女が、何やら、茶色いパンを両手に持って駈け戻ってきた。
「揚げパン、ですかね?」
「そうなのよっ! 揚げてあるのが、ミソなのよっ!」
「へぇ、どれどれ………熱っ!」
揚げ立てらしい【フォカッチャ】とやらは、結構熱い。
とはいえ、こういうものは熱々が旨いものだ。息を吹き掛けて冷ましながら、慎重に頬張る。
真ん中が膨らんだ形から想像出来たが、やはり、中には何か具が入っているようだ。
舌を火傷しないよう気を付けながら、中身を舌に乗せる。
「これは――トマト?」
「あとは魚っすね、やっぱり」
「
パロメとスーラ王女との間を保ちながら、レンも自分のパンを口に運ぶ。
「ギョーサダンには元々トマトは勿論、そもそも穀物が無かったのですが、強引かつ物理的な輸入によって入って以来、気に入ってしまいまして。パンやピザなどが国民食にまでなっているのです」
「物珍しかったのよね、きっと。植えても潮風で育たなかったみたいだし、その割りに安価だし、余計に馴染んじゃったみたいっ!」
「成る程な………」
まあ、名物なんてそんなものかもしれない。
文化というものは、他所の文化と混ざり合って発展していくものだ。閉ざされた文化なんて、変革することは無く、進歩することもないのである。
「シズマ御兄様も、ピザは好きだったわ。スードリ御兄様は………ちょっと食べ過ぎて太っちゃったけど」
「そう言えば、唯一会ってないなその人」
「一応声は掛けたけど」
掛けたのか。
「『暗殺者なんかと会えるか』って、断られちゃったっ!」
「だろうな」
どうやら、3人の内唯一マトモな神経の持ち主らしい。
魔術協会と付き合いがあるというから偏見を持ってしまったが、そういうことなら、案外話してみたくなるな。
「出掛けないから太るし、肌も青白いのよ。なんか、訳の解らない薬ばっかり作ってさ!」
「薬?」
「………スードリ王子は、魔法薬の作り手としてはかなりの腕前です。治療薬などは、騎士団の面々も利用するくらいですから」
薬学系の魔術師か。
私はちらりとパロメを振り返る。魔法薬と言えば、私の知る限り最高峰は
パロメが旅をする理由には、サロメの薬品の素材集めがかなりのウェイトを占めていることを、私は知っている。
私に対して依頼してくる事もあるし、依頼された薬品の素材を報酬の前払いとして要求することもあるが、やはり眼で見て探すのが一番早いということだろう。
サロメより凄いとは思えないが、似たタイプなら、出歩く事は無いだろう。
魔術師とは、実験器具の前から離れられない人種である。
多くの魔術師にとってその器具とは、自分を含めた世界全てのことだが、薬師という輩は、その相手が沸き立つ鍋や原色の液体であるというだけだ。
ディアの陣営でもあるし、接触できれば良かったのだが………難しそうだ。
工房に引きこもる魔術師、それも警戒している奴に会うには、ノック程度じゃあ心許ないのだ。しかも、ディアとベルフェが守っているとなると、それはもう無理の範囲だ。
「………魔法薬、ね」
「………どうかした? ロッソ?」
「いや、別に? ちょっとヤバイ薬に心当たりがあったんすけど、ま、大丈夫でしょ。骨格から変化するような、あんなもの作れんのは魔女くらいなもんだろうし」
おー、あちー。
それきりフォカッチャに掛かりきりになるロッソを見ながら、私はひきつった笑みを浮かべた。
私は大体、もう解っているのだ。
こういう嫌な予感は、得てして当たるのだと。
「………うわっ、熱っ!?」
文字通り無心でフォカッチャを頬張っていたパロメが悲鳴を上げた。どうやら、漸く現実に追い付いたらしい。
私はため息を吐きながら、その口許を拭ってやる。
静かな日常だ――まるで、嵐の前のような。
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