第5話―4その頃の王子

「というわけで、クロナ。妾自ら案内してやるから、ありがたく思うのだぞ!」

「はあ………」


 正直に言って、出来れば遠慮してほしいのだが………まぁ、顔も知られていないのなら構わないだろう。

 守る手間は増えるが、相手は彼女の兄弟なのだ。街中を出歩いていようが部屋に籠っていようが、敵に襲われる危険性リスクは変わらない。それなら目の届くところに居てもらった方がマシというものだ。


「ギャハハ、やっさしー」

「………煩いよ」


 小声で揶揄するバグを叩くと、嬉しそうにカフェを出ていく王女様と――ひどく恨めしそうに私を見る、レンのあとに続いたのだった。

 優しさじゃない。別に、そんなんじゃないさ。誰にともなく、呟きながら。











「………ふっ!」


 鋭い呼気と共に、木剣が振るわれる。

 同じく木剣で受け、クドルは内心、その衝撃の重さに舌を巻いた。


「どうやら、錆び付いてはいないようですね………シズマ様」

「あぁ、そのようだ」


 数歩分間を取り身構えるシズマ王子は、晴れやかな笑みを浮かべている。

 その顔には涼やかさしかなく、一時間も続いている訓練の疲れなど微塵も浮かばない。


「そちらは少し、鈍ったのではないかな? クドル?」

「………」


 ややムッとしながら、しかし、クドルは何も言い返せなかった。

 いつの間にか額に浮かんでいた汗を、片手で軽く拭う。


 こうして王子の剣を受けるのは、実に3年ぶりだ。しかし、クドルの内心としては懐かしさよりも驚きの方が強い。

 その剣筋、膂力は、かつてとは比べ物にならない程強くなっていた。今まで幾人と稽古を重ねてきたクドルをして、目を見張る程に。


 クドルと王子は歳が比較的近いこともあり、幼い頃はよくこうして訓練をしたものだったが、王子の留学を機にその回数は減っていった。

 今年18になる王子の人生のうち、島を出ていたのは10年にも渡る。

 8歳からの、7年間。その後お披露目の為に一時帰国してから、更に3年を海外で過ごしていたのである。今回先王が崩御なさらなければ、もっと長くなったであろう。


 海向こうの世界を見聞し、自国の繁栄に繋げるべし。

 サクマ様の意図は解るしその有益さは疑うべくも無いが――その結果を見ることなく逝ってしまった老王と、見せる機会を永遠に失った王子を見ると、他のやり方は無かったものかと思うこともある。


 ………いや、、だ。


 不満はこうして成果王子の姿勢を見た瞬間に、消えた。

 クドルの家は父、その父からサクマ王に仕えていた。一介の船乗りの時点から、若輩ながらも巧みに海を読む彼の未来に栄光を見て、支え続けていたのだ。

 王となり、陸で過ごすことが多くなってからも、その見立てが正しかったと、クドルは今更実感していた。


「ほらほらどうした! 四騎士の名が泣くぞ!」

「………はは」


 あからさまな挑発に、クドルはいっそ笑うしかない。

 王直属の騎士団、その頂点に位置するのがクドルを始めとした四人の騎士である。それぞれ得物が違うので単純に位階ランク付けする訳にもいかないが、いずれ劣らぬギョーサダンの最高戦力だ。

 そして中でも、クドルは


 こんな軽い木剣ではなく、両手でしか扱えないような大剣だが、それでも。

 剣の分野で遅れをとることは、クドルにとっては初めての経験だったのだ。


 ゆらゆらと、誘うように切っ先が揺れる。

 挑みかかる獣のように前傾姿勢を取るシズマ王子は、リズミカルに身体を前後に揺らしている。

 王族として習う型に当てはまらない、の構え方だ。


「懐かしいですね、王子! 優雅さに欠けるんじゃないですかっ!?」

「はははっ、友に優雅を見せ付ける必要は無い。昔馴染みのお前に、そんな遠慮は要らないだろう!」


 喧嘩じゃれあいでもするような王子の構えに、クドルは全身が熱くなっていくのを感じた。

 心臓が叫ぶ、血が沸き立つ。

 型も格式も無かった頃の、子供じみた殴り合いを思い出したのだろう。シズマはいつもの穏やかな笑みでなく、海竜が獲物を丸呑みにしようとするような、大きく裂けるような笑みを浮かべている。


 そして――多分、クドル自身も同じ顔をしている。


「行くぜお坊っちゃん!」

「来い、チンピラ!」


 二人は、同時に踏み込んだ。











「………派手にやられましたな」

「あぁ、全く、クドルのやつめ遠慮を知らんやつだ!」

「した結果だと思いますがね」


 訓練を終えたシズマ王子は、傷だらけだった。

 健康的に日焼けした上半身は、至るところみみず腫や青あざで飾られているが、顔や腕など、見える位置には傷1つ無い。

 巧みにかわした………と言うよりは、恐らくクドルが手加減したのだろうとハマドゥラは予想した。昔から、そういう気配りの出来る青年である。


 王子より2歳上、20才という若さで四騎士に数えられるには、そうした人間関係の機微も必要なのだ。

 ただ強いだけで、王宮という礼節の庭では我を通せぬ。戦には戦の、海には海の、そして政治には政治のやり方というものがある。


「ふむ。誘ってみたが、未だ未だ形振り構わぬ全力を出させるには足りないか」


 侍女に海癒草を塗らせながら、シズマ王子は言葉とは裏腹に晴れやかな笑みを見せる。

 包帯を巻かれる姿にため息を吐きながら、ハマドゥラは苦言を呈した。


「下らない戯れはお止めを、殿下。現在の状況はお分かりでしょう」

「昨夜の件か」


 包帯を巻き終えた侍女は、一礼して部屋を出ていった。

 二人きりになったのを見計らい、ハマドゥラは報告を始める。


「宿の判明していた、クロナという暗殺者には18名。それから、恐らくは第二王子の手の者と思われる魔術協会の男には30名向かわせました」

「そして、めでたく全滅か。はは、なかなかやる」

「………笑い事ではありませんぞ」


 冷静な声音に、御しがたい怒りを滲ませながら、ハマドゥラはジロリ、と王子を睨み付けた。


「一晩で50名の騎士がやられたのです、殿下。内18名は、昨日ここで仕留めておけば出さなくて済んだ犠牲ですぞ!」

「それはないな」


 忠臣の怒気をさらりと受け流して、シズマ王子はため息を吐いた。


「勘違いしてもらっては困る、ハマドゥラ。私とて昨夜の犠牲者には我が身を裂くような痛恨と、深い責任を感じているさ。

 ………だがもし。昨日あの席であのレディを狙ったら、多分、もっと被害は増えていたよ。私自身、生きていられたか解らないさ」

「それほどの、相手だと?」


 あの場にいたのは、ハマドゥラとシズマ王子の他に四人の騎士。誰あろう四騎士が揃い踏みしていたのだ。

 それが、負けるというのか。


「ただの勘だがね。しかし、私の勘はけっこう当たるよ」


 確かに。暗殺者の来訪を予見した際にも同じことを言っていたのを思い出して、ハマドゥラは低く呻いた。


「下手に手は出せないと?」

「出すなら一息に出さねばならんだろうな。残る150名、一斉にだ。………あぁいや、或いは、ハマドゥラ。?」

「………私も、もう年ですから」

「ふ。丁寧口調の老執事は大体ヤバイ。私が留学で学んだことだよ」

「………はぁ」


 戯れは止して欲しいと言ったのだが。

 不満げなハマドゥラから目を背けると、シズマ王子は照れた様子で頬を掻いた。


「何にせよ、動くのはまだ先だ。先ずは市民に動揺を与えないように、秘密裏に処理を行ってくれ。兄弟喧嘩で島を荒らしているとなれば、住民たちの覚えも悪いというものだからな」

「かしこまりました………」


 ハマドゥラは深々と一礼する。

 そのまま、床に目を向けたまま、低い声でこう付け加えた。


「………全て、国民の安寧のために」

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