第5話三派鼎立
宮殿から退散した頃には、辺りはすっかり宵の口だった。
王宮からのいわゆる目抜き通りは、その名に反して人通りは殆ど無い。
船乗りの夜は早い、という訳だろう。良く見ると何軒か灯りが点っている店があり、そこからはアルコールの匂いと喧騒が聞こえてきた。
「酒場の場所は、探す手間が少なそうだね」
「ご主人の好きそうな、高級な店は無いと思いますがねぇ。適当に酒買って、宿で飲んだ方が良いんじゃないですか?」
私は別に、高い店が好きな訳じゃないんだが。ただ好みの味を出せる店が、大体の場合高くつくというだけだ。
あとはまあ、騒々しいのはあまり好きじゃあない。
「そーゆーのが、高級志向と言うのだよクロナ。あぁいう場末の店も馬鹿に出来ないのだぞ、騒がしさもまた、酒のつまみだ」
「それは否定しないよ。ただ、私の好みとは違うというだけさ」
適当な店で酒と………まぁ、
それを摘まみながら、今夜は少々話し合いだ。
「へー。意外に安っぽい部屋選びましたねご主人?」
「だから言ったじゃない………」
ぐるりと部屋を見回したロッソの感想に、私は苦笑を返す。
確かにベッドもカーペットも、窓枠も書き物机も年季が入っているし、天井や壁には染みがある。
安宿と言ってしまえばそれまでだし、実際安かったが、だからと言って質が悪いわけではない。古いが汚れや埃は見当たらないし、隣室から絶叫や物音、喘ぎ声も聞こえない。
それに私は、実のところ、宿は安いところを好んで使う。
清潔さは勿論必要だが、安くてボロい方が良いこともある――誰かが廊下を歩く度にギシギシと悲鳴を上げるくらいがちょうど良い。
「それを言うのなら。お前は付いてきて良かったの、パロメ?」
「んむ?」
部屋に入るなり一直線にベッドに飛び込んで、ゴロゴロと転がっていたパロメが不思議そうに顔を上げる。
長くもないスカートの裾を、仕方なく直してやる。私だけならば気にしないしそもそも部屋に入れないが、今は多感な時期の少年が居るのだ。
何が楽しいのか、「ニヒヒ」と妙な笑い声と共にパロメは器用に反転、頭を私の方へ向け直した。
「当たり前だろう! 今パロメが一人になったらどーなると思う!」
「うーん………身ぐるみ剥がされる?」
「足すことの、
もう少し簡単に言うのなら、死だ。
この島は船乗りの国。
その入り口でさえカモにされかけたパロメである。本場の海賊と出会ったらどうなるか、考えるまでもない。
「とゆーかだ、クロナ。どーせ見張られてるんだろ?」
「………気付いた?」
「いいや。だが、文脈を読めば当たり前だ」
詰まり、推測か。間違ってはいないが、力の抜ける答えである。
王宮から人気の無い大通りを抜け、適度に賑やかな裏路地を回った。
その間、宿に入るまでずっと。私たちは尾行されていたのだ。
「ま、当たり前っちゃあ当たり前っすよね」
気配で気付いていたのだろう、ロッソがクツクツと低く笑う。
「王宮に入った暗殺者御一行ですからねぇ、寧ろ、見張りで済んでまだマシってとこじゃあないですか?」
飄々と言う割りに、ロッソの瞳は
見張りでなく刺客であったなら存分に力を振るえたのに、とでも言いたげだ。全く、喧嘩っ早いのは誰に似たのだか。
「いや………どー考えても君だろうクロナ。鏡にどんな自分を見ているのか知らないがね、クロナは割りと、力押しで物事運ぶ癖があるよ昔から………イテッ?!」
全く、何を言ってるんだか。
戯れ言を言うパロメに、手近にあったコップをぶつけて黙らせると、もう1つのベッドに腰を下ろす。
「………ほら見ろ」
「良いから。作戦会議だ、手早く済ませよう」
「………………………」
「つうか、あれ? 今気付いたんですけど、良いっすかご主人?」
「ん? なんだい、ロッソ」
会議とは詰まり意見のぶつけ合い、異見の示し合いだ。
立場が違えば見る景色も変わる。頂に居る者には、麓の視点は持ち得ない。どんな些細な事であれ、情報というのは役に立つ。
寧ろ下らない事ほど、気楽に喋れる職場こそ理想的だ。情報共有の出来ない仲間など、下手な敵より性質が悪い。
その点、私の部下への扱いは成功を納めているようだ。ロッソは萎縮することもなく、ポリポリ頬を掻きながら、2つしかないベッドを見ながら進言した。
「俺は、床で寝るんすか………?」
「………ディアさん。戦況を、整理しましょうか」
ベルフェさんの言葉に、私は仕方無く目を開けた。
薄暗い部屋。
何か呪文の彫り込まれた蝋燭の灯りは、私たちを異界に誘うように妖しく揺れています。
実際のところ何らかの魔術的な効能があるのだろう。大通りに面した豪華な宿の一室は、空気の匂いからして外界とは隔絶されているらしいかった。
「………必要ですか?」ドアからも窓からも離れた壁にもたれて、私は首を傾げる。「貴方の魔術なら、暗殺は容易なのでは?」
視界の隅では、この部屋の本来の住人がうずくまっている。
虚空を眺める中年男性は、蕩けるような目つきのままで時折ニヤニヤと笑う。ベルフェさんから放たれた白い煙を吸い込んだ途端、この有り様だ。
この煙を出しながら王宮に踏み込めば、遮る者は誰も居ないだろうに。
言外の指摘を感じ取ったのか、ベルフェさんは苦笑しながら首を振る。
「そうでもありませんよ。私の幻術は精神力で抵抗されてしまいますし、単なる兵士はともかく王宮直属の騎士団は多分停められませんよ。
それに、王宮自体は宮廷魔術師の工房です。下手に魔術を使っても、即座に看破されて解除されるでしょう。………私、戦闘は苦手なので」
「………そうなんですか?」
クロナさんがあれほど警戒している事を考えれば、無力というのは有り得ないと思うのだけれど。
勿論私やロッソ君と真正面から戦えば負けるだろうが、これだけ強力な幻術があれば、少なくとも良い勝負は出来るのではないだろうか。
あぁいや、幻術が使えないという話だったか。流石に魔術師としては、得意とする魔術が使えなくては厳しいというわけか。
「では、私が突撃しますか? 無理矢理突っ込んでも、騎士団ならなんとかなりますが」
「あはは、あぁいえ、それはちょっと………」
何故だか冷や汗を浮かべるベルフェさんに、少し不満を感じた。
無理だと思っているのだろうか。そんなことない、私なら、絶対蹴散らして見せる。
そう言うと、ベルフェさんは困ったように頭を掻いた。
「疑っている訳ではないんですが………何と言うかですね、あまり荒らされては後始末に困ると言いますか………」
「………? 掃除が大変だ、ということですか?」
「いえ、そうではなく………まぁ、良いです。とにかく、王宮へ攻め込むのは無しでお願いします」
腑には落ちなかったけど、まぁ、依頼人がそう言うのなら仕方がない。
「では、どうしますか? 外で戦っていて、王子たちに近付けるのですか?」
「手はありますよ。そしてその為には、先ずは分析です。三つ巴の戦いとなれば、勢力間の戦力比較は欠かせませんからね」
鏡のように磨かれた石のテーブル。そこにベルフェさんが手を翳すと、10体ほどの駒が浮かび上がった。
「敢えて私たちは、戦力第二位としましょうか。では、最も弱いのは、誰だと思いますか………?」
楽しそうに笑いながら、ベルフェさんが摘まみ上げた駒。
それは――。
「シズマ王子だ」
私の言葉に、ロッソもパロメも目を丸くした。
予想通りの
何故なら。
「彼等は、彼等だけが、関係者なんだ。詰まり――唯一、他の陣営のことを知らないんだよ」
情報弱者、というやつだ。
私はディアの力を知っているし、ロッソは体感してさえいる。勿論逆もまた然りだが、少なくとも不意を突かれる事は無い訳だ。
シズマ王子たちは、そうではない。
私たちの誰と戦っても、彼だけは初見を強いられるのだ。
「暗殺者にとって最も楽な相手は、タンスの何処にナイフが入ってるか知らない奴だ。初めてというだけで、そいつはもう敵じゃあないよ」
そして、だからこそ。
彼らの次の手も読めてくるというものだ。
ギシギシと軋む音が、私の耳に届いた。足音を抑えようと必死になっている、集団の足音だ。
ほら、おいでなさった。予想通りの展開に、私はニヤリと笑う。
知らないのだから、知ろうとするに決まっている。何人か部下をぶつけて、様子を見ようとするだろう。
足音を聞きながら、私は部下たちに作戦を伝え始めた――。
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