第4話ー3 二人目の王族
「………やれやれ、大変な目にあったね」
ぼやき、グラスの中身を飲み干して、私はため息を吐いた。
筆舌に尽くしがたいほど、とんでもなく、非常に疲れた。全身をくまなく倦怠感の雲に包み込まれているような気分である。まったく………。
王族との出会い自体は、珍しいけれど初めてではない。だが、ここまで型破りな王子と会ったのは初めてだった。………まぁ、護衛と共に退出したハマドゥラ老人も、恐らくは同じ思いだったろうが。
出ていく寸前、「王子の御意向ですから。どうぞごゆるりと、おくつろぎを」と吐き捨てる彼の憎々しげな目付きは、それなりに愉快であったがそれ以上に同情を禁じ得ない。
あの老人は、どう見ても策略家タイプだ。
状況を把握して策を巡らして、慎重に冷静に事態を進めるような男であり、王宮には良く居る手合いである。
権力者に有りがちな我欲が無さそうなのは、珍しいが――表に出ない我欲の方が、時には恐ろしいものだが。
しかしあの王子は、そうした策略を踏み潰すタイプだ。それも笑顔で。
影で張り巡らされた陰謀の網に気付かない愚か者――ではない。
神算鬼謀を見抜き、陰謀術数を読み解くだけの知恵を持ちながら、それを無視するタイプだ。
「あの老人も、気苦労が絶えないだろうね」
王道とか、言っていたか。
自分の道を定め、それを貫くのはなるほど立派だが、あれは周りにまでそれをさせる輩であろう。
気が合う人間にとってはともかく、そうでない人間にとって、働きやすい職場とは言えない。少なくとも私は御免だ。
果たして――この王宮には、王子と気が合う人間がどれだけ居るのだろうか。
「ふぃー、満腹満腹。いやあ、全部魚介の割りには味のバリエーション多かったなー」
「本当に、食ったね随分と………というか、行儀悪いぞお前」
「なに、反動だよ反動」
だらしなく脱力し、背もたれにだらりともたれ掛かったパロメは悪びれもしない。
「王子様とお食事会だなんて、そんな経験は無いからねパロメは。いやあ、実に緊張したよ」
「嘘吐け。緊張した人間の食べっぷりじゃないよそれは」
パロメの前は、皿どころかテーブルの上までソースや食べかすで汚れている。
ハマドゥラ老人が非常に嫌そうに、パロメの食べ方を見ていたときには、そいつは私の部下でもなんでもありませんと、大声で叫びたいほどだった。
「貴重な経験だったよ、作品に活かせるかもしれないな。
ロッソ君はどーだい? 王様とか会ったことある?」
「ま、そりゃあ程ほどにね。けど、ありゃあ、別格でしょ」
水を向けられたロッソは、ナプキンで上品に口を拭きながら首を振る。
皿の上も、舐め取ったみたいに綺麗だ。パンくずさえ落ちていない、思いの外、上品な食べ方である。
こっちが私の部下だ。あっちは違う。
「それよりも、どうしますよ、これから?」
口調だけは粗雑だ。
こっちが素なのか、演じているだけなのか。誰に憧れているのか知らないが、背伸びするのは少年の特権だろう。気だるそうに斜に構えるのが格好良いと思う年齢というのは、誰にでもある。
それより問題は、正にロッソの言った通り。これからどうするか、である。
「大分予定は狂ったね。ここを出ても、多分見張りが付くだろうし………」
それなら、いっそ。
「………ん?」
計画を練り直す私の耳に、喧騒が飛び込んできた。
慌てた声に怒鳴り声、ドタドタと騒々しい足音の群れ。聞き慣れた揉め事の気配だ。
ラヴィの聴覚を使えば、扉1つくらいは障害にならない。それに、ここは静かだし。
気配は近付いてくる。
私は視線でロッソに警戒を促した。この状況で喧騒が起きたとして、それが無関係だと思えるほど私はお気楽ではない。
予想通り、気配は部屋の前で止まった。人間であるロッソやパロメもそろそろ気付いたらしく、少年は音を立てないよう静かに立ち上がり、ドアの脇で待ち伏せる。
勿論、王子様の客人という立場を手に入れたからには、この場でどうこうされる可能性は低いとは思うが………念には念を、だ。
警戒を怠った奴から死ぬ。
そういう世界だ。
「………」
3人の瞳が見詰める先で、年代物のドアはゆっくりと開く。
踏み込んできた影に、ロッソは無言のままに躍りかかる。抜き打ちで放った【雷鯨ノ髭】は、吸い込まれるように侵入者の首筋へと走り、
「うおっ?!」
「のわっ!」
人影の首筋に触れる寸前で、不自然に停止していた。
乳白色の刀身には、水だろうか、半透明の液体が蔦のように絡み付いている。
魔術の気配はない。だが………。
眉を寄せ、私は侵入者を観察し直す。そして、更に眉を寄せた。
「………少女か?」
十代前半か、長い金髪を二本に纏めた彼女の全身は、高級そうなドレスで包まれている。
全体的に名家のお嬢様といった風体だ。利発そうな、けれども生意気そうな碧眼も含めて。
「なんと無礼な………」
呟いた少女の瞳が怒気を孕む。
呼応するように少女の足元から水の触手が数本生まれ、彼女を守るように並び立った。
これは、まさか【異能】か?
「どうしますか、クロナさん? こいつ、斬っちゃって良いの?」
「………クロナ?」
好戦的に舌舐めずりするロッソ。
その言葉に少女は目を丸くして、それから、楽しそうに破顔した。
嬉しそうに笑いながら水を収める少女に、ロッソも怪訝そうな顔で距離を取った。
何だ、一体。
不審に思いながら、警戒しつつ眺める私。その視線が上機嫌な少女の視線と出会い、そして私は、
「お前たちが妾の暗殺者か!!」
………唖然と、目を丸くした。
「王女様! お待ちください!!」
続いて駆け込んできたのは、私に依頼してきた青年――宮廷魔術師である。
とすると、このお嬢ちゃんは。
「遅いわよレン! お前がのろまなせいで、お兄ちゃんに先を越されたじゃないの!!」
「し、しかし、スーラ王女様………」
お兄ちゃん、それに、スーラという名前。
間違いないだろう、彼女こそが王位継承権第三位、スーラ王女。
私の、依頼人か。
「………あぁ、またこの
私は無言で目を閉じて、背もたれに体重を預ける。反動。あぁなるほど、パロメの気持ちは多少解った。
これは、疲れる。
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