第3話―4 不運なるパロメ

「ぶはあっ!? なんだなんだなんだぁぁぁっ!? しょっぱい!! 世界が全部しょっぱいなんだこれ!! どういうことだよ相棒!!」

「おはようバグ」


 熟睡していたらしいバグが、噴水と共に文句を吐き出した。余程驚いたのか、口調が完全にいつもと違う。


「なんだこりゃあ………海、夜の?」

「そうだね」

「ギャハハ、バカンス気分にゃあ気が早いんじゃねぇのか!? でなくとも、朝まで待って泳げよな!!」

「泳ぎたくて泳いでるんじゃないんだよ」

「とすると、誰かに落とされたか? ギャハハ、そりゃあ暗殺者冥利に尽きるよな。長閑な航海の邪魔物は、放り出されるのがお約束だ!!」

「ちょっと黙っててくれないかな………」


 ただでさえ、服を着ながら且つ靴を履いたまま泳いでいるのだ。喋るのは非常に億劫である。


 そうでなくとも、夜の海は危険だ。

 昼間よりも波も荒いし、夜の海は水面と空とが区別できず混乱する。どっちに泳げば良いのか、視覚情報から判断できなくなってしまうのだ。

 未だ気配はないが、夜特有の魔獣が現れる恐れもある。リュウオウイカクラーケンが出るほど深い海ではないだろうが、ちょっとした小物に囲まれるだけでも非常に不味い。


「知ってるかい相棒、海での遭難はな、2日もすると足の先から蟹とか小魚に食われてくらしいぜ?」

「知りたくもない情報を有り難うお喋り!」

「どーいたしまして! ギャハハ、やっぱり、ヤバイときほどテンションは高くいかねぇとな!!」


 こいつここで沈めてやろうか。

 狂ったように笑う相棒をしかしどうすることも出来ず、私はとにかく泳ぎ続ける。

 普通は沈む船の側から離れない方が良いのだろうが………蒸気船の場合は、少し事情が異なる。


「ロッソは!?」

「居ますよー。てか、多分荷物持ったり服着たまま泳ぐのなら、ご主人よりも慣れてますしねぇ。昔とった杵柄、ってやつ?」


 チラリと見ると、確かに手慣れた様子で泳いでいる。横を見ながら手足を水中で動かす、独特な泳ぎ方だ。常に顔が海面に出ていて、楽そうである。


「しかし、あんま船の残骸から離れない方が良いんじゃないですか? 良く知らないですけど、ほら、皆そーしてるみたいですよ?」

「………この辺で大丈夫かな」

「は?」

「蒸気船には、少し、ほんの少し、厄介な問題があってね」


 私は立ち泳ぎに変更して、船の残骸を振り返る。真っ二つになった偉容は、半分以上海中に沈んでいる。動力炉も、恐らく沈んだだろう。

 ということは、


 首を傾げながらも、ロッソも私の傍らで立ち泳ぎをし、


 


「うおぉぉぉっ???!!!」

「炉心は高温になってるからね。海水とかに触れると、こうして爆発するんだ」

「アッチ! 水蒸気、水蒸気来た!!」


 私の後ろに隠れるんじゃない。吹き付ける熱風に対して顔の前で、私はため息を吐いた。

 夜空を裂くように立ち上る火の柱を眺めながら、私は頷く。


「何にせよ、これでは出来た。後は、近付いてくる船を待とう」











「………ん、おい、お前ら視ろよあれ!」


 マスト上から聞こえた見張り役の怒鳴り声に、甲板で酒盛りしていた船員たちは、水平線に視線を投げた。

 そう遠くないところに、日の出みたいな火柱が見える。


「なんだありゃあ。この世の終わりか?」

「馬鹿野郎、酔ってやがるな? ありゃあ、蒸気船の事故だな」

「なんだよ、金持ち連中か。ケッ、海を舐めるからそうなるんだよ。下らねぇ」

「本当に馬鹿野郎だなおめぇら! 船が沈んでも、!!」


 船長だろうか、一際逞しい体躯の男性が怒鳴ると、辺りからも歓声が上がる。


「なるほど、さっすが船長だ!」

「取り放題の宝の山だぜ!」

「もしかしたら、御令嬢とかも浮いてるかもなぁ!!」

「あぁ、何しろ俺たちぁ、今、からな!!」


 粗野な笑い声を上げながら、船員たちが振り返る。

 マストの根本、


「さぁ行くぜ野郎共! 早い者勝ちだ!!」

「「「オォォォッ!!」」」


 進行方向を変更、事故現場へと向かう帆船。そこには、ドクロの旗が翻っていた。









 人生最高の夜だ。

 海賊船【クレアマリア】の船長は、風のように走る愛船の舵を撫でながら、ニヤニヤと笑った。


 先ず、昼間からして上々だった。


 海賊島のせいで勝手な略奪が出来なくなった不運を酒場で嘆いていたら、いきなり獲物が落ちてきた。

 金の詰まった旅行鞄トランクを持った、馬鹿な観光客。それも、ご機嫌なことに一人旅だ。


 安全装置が付いているらしい鞄を開けさせるために、取り敢えず縛り上げているが、用が済んだらだ。

 それなりに上玉だし、飽きたら沈めるなり売り飛ばしても良い。


 降って湧いた幸運に、取り敢えず一同で酒盛りしていたら、このおまけだ。

 船長はマストの根本を見下ろして、がさつに笑う。


「あんたは女神様かもな! ヒャハハハ!!」

「そう思うのなら、それなりの対応をお願いしたいのだがね………」


 弱々しい答えに、持ち場についていた船員たち馬鹿野郎どもも豪快に笑った。


「考えとくよ、を戴いたらな! この鞄を開けてくれたら、丁重に扱ってやっても良いぜ?」

「うぅ………さすがにぼったくりだと思うのだが………」

「厭ならしょうがない、何なら構わないぜ!?」


 ゲラゲラゲラゲラ、響く笑い声。

 どうやらろくな目に合わぬと察したか、大人しく項垂れたにふん、と鼻で笑う。後は、大人しく開けてもらえると良いが。

 魔法道具の旅行鞄なぞ、下手な罠でも掛けてあったら不味い。穏便に開けてもらえるならその方が良いのだ。


「船員! 見えてきやしたぜ!!」

「ぃよぉっし、おめぇら! 拾えるものは全部拾え!! 山に落ちてるもんは山犬のもんだが、海なら全部俺らのもんだ!!」


 オォォォッ!!、と歓声を上げる部下たち。

 小舟に移ろうと、彼らの一団が船縁から水面を覗き込み、


「ぶおっ!?」


 


「あ?」

「な、なんだ………?!」

「………」


 上がってきた人影は、2つ。

 鞄を提げたラヴィの女と、赤い髪の少年だ。事故の生き残りか、全身からボタボタと水滴を垂らしている。


 その姿を見て、女が歓喜に満ちた声を上げた。


「クロナ!!」

「………? あぁ、パロメ。やっぱり、ろくな目にあってないようだね」

「小言は後で嫌というほど聞くから助けてくれ、ください! パロメは反省したから、もう港に帰りたいのだ!」


 ラヴィ女は、マストに縛られた女と、その上に掲げられた海賊旗を見上げて呟いた。


「悪いんだが。これからこの船は、ギョーサダンに向けてもらう」

「「はあっ!?」」


 船長と女との声がハモった。


「冗談じゃねぇ、あんなとこに近付いたら、俺らは殺されちまうぜ!」

「それに君の仕事ということは、厄介事だろう? 嫌だ、パロメは文系なんだ、体育会系のノリはごめん被る!!」

「野郎共、囲め!」


 怒鳴り声に、船員たちは慌てて湾曲刀カットラスを抜く。


「良し、やっちまえ! 小僧は殺せ、女は上玉だ、生かして捕まえな!!」

「あー、うー。無理かー」


 何か諦めたように、捕らえて後最も深く落ち込んで見せた女の姿に、嫌な予感すら感じることもなく。

 荒事に慣れた、慣れてしまった男たちは下卑た笑みを浮かべながら二人の珍客を包囲し始める。


 その、人垣を冷めた目で眺めてから。

 二人は、ニヤリと笑った。











「さて。では諸君。船を出せ」

「「「アイアイサー!!」」」


 数十秒後。

 全身に青あざを浮かべながら、船員たちはラヴィ女の号令に従っていた。横では、少年が宴会の残り物を、縄を解かれた女と共に頬張っている。


 人生最悪の夜だ。

 そんな風に呟く船長も、或いはすっかり酔いの冷めた船員たちも、屈強な彼らの目には等しく涙が浮かんでいた――。


「早くしろよ?」

「「「アイアイサー!! ………うぅ」」」

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