第3話―3
「到着までは、あと2日ですかー」
サバのムニエルをつつきながら、ロッソはため息を吐いた。
骨を取り除くのは、あまり得意ではないらしい。皿の上では、魚がボロボロと破片に変わっていく。
「そうなるね。蒸気船ならそう狂いもない、確実に着くと思うよ」
勿論私は、最初から
小振りのイワシとほうれん草のキッシュを口に運び、私は顔をしかめる。立ち上る魚介の臭みを白ワインで流し込み、ため息。船での食事なんて、まあこの程度だ。
船旅初日の、夜。
夕食のために訪れた甲板レストランで、私とロッソは今後の作戦を立てていた。
明後日の朝には島につく。そこからどう動くか、初手が何より肝心だ。
「相手はあの二人だからね。どうにか、早く土地を制しなければ」
「魔術師相手ですからねぇ」
魔術師は、自分の魔力を場に慣らして使う。
魔術とは、世界を騙して神秘を起こすものだ。騙す相手は狭い方が楽だし、慣れている方がやり易い。
大規模な魔術の前に儀式を行うように、魔術師は先ず、場を確保するのが常なのである。出遅れた場合、私たちは国規模の魔術師工房に攻め込む羽目になる。それはもう、単なる自殺だ。
「魔術師相手は、先手を取り続けないと負ける。その分私たちには、まあ、
「宮廷魔術師ですか」
「そういうこと」
私たちが加担するのは、王位継承権第三位のスーラ王女だ。
第一位のシズマには親衛隊が居るし、第二位スードリにはベルフェが付く。私たちに頼るくらい、王女派は戦力としては遥かに格下であるが、宮廷魔術師の存在はかなり大きい。
国を担当する魔術師だ、場の有利は私たちが握っている。
「あとは先に着けば、少なくとも工房展開されることはないと思う」
ワインの瓶に伸びたロッソの手を叩き落とすと、少年はため息混じりに水のグラスに手を伸ばす。
勝利の美酒には未だ早い。何となくだがこの少年は、窮地にあればあるほど輝く気がする。積極的に、虐めていこう。
「まあ、今日のところはひとまず休みなさい。新天地に興奮してるかもしれないけれど、何しろ今日は、空の旅も経験してるんだよ」
「へいへい。ま、確かにそーですしね。ここは少し、休ませてもらいますよっと」
「悪いね」
肩をすくめて、ロッソは立ち上がった。
その口許はわずかに歪んでいて、どうやら気付いているらしい。つくづく、気の利く子だ。
「………さて」
食堂を出て客室に戻っていくロッソ。
その後ろ姿を見送ると、私はグラスにワインを注ぎ直し、そして言った。
「久しぶり、座ったら?」
「………やはり、気付いてましたか、クロナ様。お見事です!」
「ディア………」
ニコニコと、邪気のない笑顔で声を掛けてきたディアに、私は眉を寄せる。
その座した席が対面であることに皮肉な思いを抱きつつ、私は彼女のグラスにワインを入れてやった。
ディアはそれを押し返した。私は思わず、ニヤリと笑う。
「敵の杯は飲めないって? 中々成長したじゃ………」
「そのキッシュひと口くれませんかクロナ様!」
「………」
私は黙って、皿を彼女の方へと押した。
………案外毒でも盛れば、勝てるんじゃなかろうか。
嬉しそうにかぶり付くディアを呆れながら眺め、私は首を傾げる。
「それで? 何をしに来たの? ………まさか、ただ食べに来た訳じゃあないよね?」
「もぐ、まさかっ!」
じゃあ食べるな。というか、取り敢えずフォークを置け。
「………やはり、クロナ様も依頼を受けてしまったのですね………」
「まぁ、順番としてはこちらの方が先だったからね。断る理由も無かったし」
「そうですよね」
深刻そうにため息を吐くと、ディアは私を真正面から見詰める。
その赤い瞳には、ロッソから聞かされた狂乱の気配は無く、私への信頼と友愛、そして不安が浮かんでいる。
「………私は、クロナ様、貴女を裏切るつもりは………」
「解ってるよ」
口を挟んだ私を、ディアは驚いた様子で見詰める。
眼を見開いた彼女の様が可笑しくて、私は思わず笑い声を上げた。
「そんなこと、気にしなくて良い。………いや、意図的に対立しろというわけではないけれど。仕事の関係でこうなることは良くあるさ」
何しろ、裏家業だ。
表に出ない事情が幾つも絡み合い、複雑な網を作っている事は珍しくもないのだ。
そこに絡め取られてしまえば、互いに望まぬ舞踏を踊らされる事もあり得る。
「これは教訓だよ、ディア。世の中には善意ばかりが溢れている訳じゃあない、ディアを利用しようという悪意の糸が張り巡らさせれてるんだ。気を付けて、依頼を受けなさい」
「はいっ!」
ピシッと背筋を伸ばす少女に苦笑する。その晴れやかな笑顔は、全く、本当に反省しているのか?
「勿論してます! ベルフェさんは、ボコボコにします。………この依頼が、終わったらですけど………」
「うん、それで良い」
手段はどうあれ、依頼に対してディアが一度でも頷いた事は事実だ。
承諾してしまった以上は、完遂するのがこの業界のルールである。始まりはどうあれ、始まったら終わらせなくてはならない。
幸いにも、今回は互いの生存は依頼内容には関係ない。どちらかの
技術を競うのなら、敵対もまぁアリだ。
「依頼を受けたら全力でやる………クロナ様なら、そう言って下さると信じてました」
「そう、それは良かったよ」
到着までは、あと1日はあるのだ。着いたら、精々全力で競うとしよう。
………そんな風に考えていた私は、大いに、大いに甘かった。
ディアのことを、控え目に評価していたのだ。
「………ディア?」
少女は立ち上がった。空になった皿をテーブルに置いて。
「………ディア、ディア?」
少女の全身を、薔薇のように赤い魔力に包まれる。真っ赤なマントが出現し、編んだ金髪に王冠が載る。
その手には、万年筆の巨大化したような、不思議な形の剣が。
「ディア? ちょっと、ディア?」
少女は、ニッコリと、迷いの晴れた晴天のように微笑んだ――賑やかで、騒々しく、不躾な図々しい太陽のように。
「ずっと考えてました………クロナ様は強く、賢く。競争すれば絶対に負けます。だから、依頼を全力でこなそうとすれば、先ずやるべき事は1つしかないです」
「おい、まさか、嘘だろ………? ディアーーーーーッ!?」
ディアは笑いながら、大きく飛び上がり。
その剣を、振り下ろした。
真紅の斬撃が、船を真っ二つに叩き斬った。
「ご主人、ご主人、ご主人!? どーなってんだよアンタ! ディアの馬鹿の気配がしたからてっきり話し合ってると思ったのに!」
「話し合って結論も出たよ! 見ての通り決裂だ!」
「派手に決裂しましたねー、畜生!!」
客室から飛び出してきたロッソに叫びながら、彼が持ち出した荷物を受け取る。
床が揺れる、どんどんと傾いていく。
甲板から船底まで、ディアの斬撃は一刀両断しているらしい。
海水が入ってくる、どころか、 既に崩壊が始まっている。乗客たちも何事かと辺りを見回し、断面と、海を挟んだ向こう側と目を合わせて愕然としているようだ。
直に、パニックが始まるだろう。それを待つつもりは、私には無い。
聖人君子じゃあるまいし、我が身ひとつで充分手に余るのだ。
「
「飛び降りて逃げた。多分、ベルフェの奴が小細工してるんだろうね、海上を走っていったよ!!
………ところで、ロッソ。君泳げるかな?」
「馬鹿にしねーで下さいよ。必要な時が来たら泳ぎますよ!」
「今がその時だ!!」
私は叫び、ロッソは口汚く毒づいて。そして勢い良く海へと飛び込んだ。
………覚えてろよ、ディア。
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