第2話海賊島へ。
「………ちぃーす」
のろのろと挙げられた手を、私はしっかりと掴んだ。
「良かった。生きてたか、ロッソ」
「生き汚いのが特徴でしてね、これでも。はは、ま、ボロカスですけど」
力無く笑う少年の、傷だらけの身体を抱き上げて、私はいつもの店に彼を運び込んだ。
本当に、良かった。
彼の出くわした脅威を思えば、生きているだけで拍手喝采だ。少なくとも、私だったら生きていられる自信はなかった。
少年の実力を、訓練という形で見た私としては、彼がここまでボコボコにされる相手というのはそれほど想像できない。
思い付く限り、二人――そして恐らくは、ロッソはその両方を相手取る羽目に陥っただろう。
魔術師の策略は、既に罠の口を閉じつつあった。ロッソのことも、逃すつもりはなかっただろう。
それでも、彼は逃げ延びた。
慎重かつ偏執的に仕掛けられた巧妙な罠を抉じ開けて、必死の運命をねじ曲げてここに辿り着いた。
「………良くやったよ、本当にね」
長い夜を駆け抜けたであろう少年は、ようやく気を失った。
「詰まり、どういう事態なんだよこりゃあ?」
マスターに無理を言って、私は床にロッソを寝かせた。
その口に、かつてディアに飲ませた薬の残りを放り込む。ほんの一口分しかなかったが、あっという間に全身の傷が塞がった。
流石は、【魔女の霊薬】。
呼吸が落ち着いたのを確認して、私は漸く、バグに向き直った。
「………裏が取れた。昨夜の魔術師は、王位継承権第三位、スーラ王女御抱えの宮廷魔術師だ。確かに魔術師ではあるけど、ベルフェたちの一派な訳じゃあない」
「舌足らずな真実って訳だ。嘘じゃあないが、真実からはほど遠い」
「………私の下に王女派の接触があったことを察したんだろうね。で、私は依頼をあまり断らない。敵対は簡単に予想できたって訳」
元より、ギョーサダン王家の人間は魔術結社と結び付きがあるらしい。島国、流通の拠点ともなれば、魔術結社でなくとも抑えておきたいだろうが。
だからこそ宮廷魔術師といえども肩身は狭く、第三位に甘んじているというわけだ。
「野郎は、第二王子を推してたな。それは、連中の総意って訳か?」
「だろうね。どうも、スードリとやらは魔術にかなり傾倒しているようだし、連中にとっては都合の良い相手なんだろうね」
まぁ、あくまでもこれは、依頼人に確認して得られた情報だ。
どれだけ彼が善意で証言していたとしても、人の口から語られる言葉には偏見が生じるもの。実際に確認するまで断定は出来ないが、そう信じても構わないくらいの根拠は出揃ったと言える。
魔術師どもは第二王子に肩入れするつもりらしい。
そこで、あの嫌味野郎は、ついでに私にちょっかいを出すことに決めたのだろう。
「………らしくない、気もするがね。あの魔術師は、もっとネチネチやるタイプだと思ってたぜ? 味方面して、疑うこっちをニヤニヤと笑うような、さ」
「そうかもね。けど、アイツだって個人の思惑だけで生きてる訳じゃあないさ」
世の中、ままならないものだ。
例えばただの常連である私の我儘で、明け方まで店を開けなければならなくなったマスターのように。
「………すみません、マスター。彼が起き次第、失礼します」
恐縮する私の前に、マグカップが現れる。
香ばしい、挽き立ての珈琲豆の香りが、その時になって漸く私の鼻に届いた。
全く。鼻が利く兎の亜人としては、情けない限りだ。
湯気を立てる漆黒の液体。
気にするな、とばかりに差し出された珈琲は、今まで経験したことがないくらいに苦かった。
ロッソが目を覚ましたのは、それから一時間ほど経った頃だった。
回復力に驚くべきか、それとも薬の効果に目を見張るべきか。結構生命の危機だった筈の少年は目を開くと同時、仕掛け人形のように跳ね起きた。
椅子に腰掛け珈琲を飲む私の姿に事態を把握したのか、その身体から緊張を抜いて、ロッソは肩を落とした。
「未だ今夜ですか? ご主人」
「あぁ。日がそろそろ昇るかなというところだよ」
「んじゃ、未だ追い付けますね」
私はひょいと片眉を上げる。
「追い付く。詰まり、私の悪い予感は当たったわけだね?」
「多分、考え得る限りじゃあ最悪ですよ。あの馬鹿、魔術師相手に頷きやがって」
その言葉だけで、私はおおよその事態を把握した。
魔術の大本に在るのは、【概念】だ。
火が燃えるのは火だからだ、なんて言葉もあるように、魔術師にとっては物の持つ概念こそ扱うべき獲物となる。
概念を操れば、燃焼物がなくとも火を顕現させることが出来るし、鋼は万物より硬くなる。剣の【斬れる】という概念を強化するとあらゆるものを切り裂けるようになるし、弱体化させればなまくらの出来上がりだ。
そんな相手だ。
【約束】という概念を強化されたとすれば、ただ頷くだけでもそれは強制力を持つことになる。
ディアは強い。だが、そういう搦め手に慣れているとは言い難い。練達の魔術師相手では、良いように操られても不思議はない。
「君が大丈夫だっただけ、奇跡的だね」
「ま、割りと怪しかったですからねぇ。マトモに魔術師のこと知ってたら、警戒するのは当たり前ですよっと。
………それで、ご主人。どうするつもりなんすか?」
問い掛けるロッソの瞳は、金色に染まっている。魔性の者の証、本気の証拠だ。
「私は暗殺者だ。別に面子に拘りはないし、馬鹿にされるのには慣れてる。
相手も悪い。私の知る限り最強の魔術師と、最強の騎士の組み合わせだ。どっちかだけが相手でも、私は勝てると思ってない」
「そっすね。俺もその辺は同意です。多分二人がかりでギリギリでしょ。………それで?」
ロッソがヘラヘラと笑おうとしているのは、もしかして飄々としている自分を演出したいのだろうか。
だとしたら、失敗だ。
彼の金眼はギラギラと輝いている。熱情に満ちた獣のように。
全く暗殺者らしくない目付きだが………バグが微かに震えている。
解っている、相棒に言われるまでもない。
あぁまったく。
怒りというのなら、誰より私が怒っているとも。
「………依頼をこなす。その片手間で、奴にやり返してやろう」
バグが笑い、ロッソが笑う。
私も、笑う。獣のように。
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