第1話―4

 ベルフェ、という名前に、ロッソは首を傾げた。聞き覚えはないし、見覚えもない顔だ。

 とは言え、そこはディアの言う通り。

 あくまでも自分は、クロナの下では新参であり下っ端だ。経験というのなら間違いなく少ないし、ディアが知っていて自分が知らないことが幾つもあるのは否めない。


 ふわり、とけして低くない高さの屋根から飛び降りた魔術師――ベルフェを、ディアはにこやかに出迎える。

 その物腰からして、どうやら旧知であることは間違いないようだと、ロッソは一先ず剣を収める。


 ディアは、他の何よりもクロナを優先する性格をしている。

 クロナの益となるのならどんな事でもするだろうし、逆に不利益を被るようなら――飛ぶのは食べ残しの串では済まないだろう。

 そのディアが悠然と出迎えるということは、最低限敵ではないということだ。


「久し振りですね、ディアさん。それに、そちらは………」

「ロッソ。一応、そいつの後輩ですよ」

「一応、は余計です」


 頬を膨らませる少女と少年とを交互に眺めて、ベルフェは嬉しそうに唇を歪める。


「どうも、ロッソ君。私は、ベルフェ。クロナさんには良く依頼をさせていただいてますよ」

「ベルフェさんは、魔術師がらみの依頼を良く持ち込んでくれます」

「それはそれは」


 上客と言うか、厄介な客と言うか。

 ロッソたちのご主人様、クロナは暗殺者だ。それに対する依頼が物騒でない訳はないし、そこに魔術師が絡むと事態はあっという間に最悪へと転がり落ちる。

 天秤に載せれば、ギリギリ【良いグッド】に傾く程度。それでもディアが良い顔をするのなら、まぁ、回数がそれなりにあるということか。


「そういうことなら、先に言っておいて欲しいんだけどなセンパァイ。………すいませんね、斬りかかっちまって」

「いえいえ。寧ろ、実力が見られて幸運でしたよ。これから、をする身としてはね」

「依頼ですか?」


 ディアがちょこんと首を傾ける。ほんと、こういう仕草だけは可愛らしい。


「依頼なら、クロナ様に直接なさっては? 恐らく今晩も、いつもの店でお酒を飲んでらっしゃいますよ」

「まるで飲んだくれみたいな言い方だな………事実だけど」

「えぇ、それは解ってますよ。そちらには、別な魔術師にんげんが行っていますから。ディアさん、それにロッソ君も。準備をしてもらえますか?」


 ベルフェは微笑んだまま、そっと1枚の羊皮紙を差し出した。

 呪物スクロール、ではないと思うが。慎重に受け取ると、横からディアが無造作に奪い取った。


「………ぎょーさだん?」

「知らねぇなら貸せよ。………あぁ、ギョーサダン。【海賊島】か」

「えぇ。ご存じですか、では、そこの王が先日崩御したことは?」


 ロッソは黙って首を振った。そういう話は、普通市勢には流れてこないものだ。

 外交上の機密なのではないのか。耳が早いというのは、さすが魔術師というところか。


 しかし。


「王の死、それを聞き付けた魔術師ということは………

「ふふ、ご名答ですロッソ君。彼の王には3人の子供が居りましてね。誰が継ぐのかというのは、魔術結社われわれとしても重大な関心事です。何としても、スードリ王子に跡を継いでもらわなければ」

「うわあ、悪どいな」

「ロッソさん! ………そういうことなら、わかりました」


 あっさりと頷いたディア。その表情には、相手への疑いは微塵もない。

 なにしろ相手は上客だから、

 ディアは、誰に対してもこんな感じだ。少なくとも、御主人様クロナが関わっていない限りは。


 例え罠だとしても、陰謀だとしても、ディアは全く気にしない。

 何故なら――


 ディアは強い。

 あらゆる逆境をはね除けられるくらいには。

 自分はそうはいかない。


「話は通ってる、ってわけだ。周到なことですねぇ」


 ヘラヘラと笑いながら、ロッソは油断なく魔術師を見詰める。

 自身の血筋、【魔女】の感覚を鋭く尖らせる。自身の半生、【巡視官】としての嗅覚を全力で働かせる。

 そして、確信する。


 


「ま、話が通ってるってんなら簡単なんすけど。一応、ご主人様にお伺い立ててきていいっすかね」

「おや、必要ですか?」

「こいつはともかく、俺は臆病なもんで。………先輩、ちょっと待っててもらえますかね?」

「うーん、ベルフェさんのことですし、心配しても無駄だと思いますが………」

「良いから待ってろ馬鹿」


 糸のように細められた瞳。

 そこから覗く輝きに、ロッソは嘘の影を見たのだった。











「………っつう訳で。お伺いを立てに来たってわけですよ、どう、この忠犬ぶり?」

「成る程ね。ベルフェめ、こっちは人に任せておいて、ディアの方を調べに行ったか」

「なんだ、マジでお知り合い? とすると、話が通ってるってぇのもマジですか」


 私は曖昧に頷いた。


「島国ギョーサダン、そこの後継問題への介入。いつもの通りの厄介事だけどね。話は聞いているよ」

「そういや、そんなこと言ってましたねぇ。スーなんちゃらがどうとか。………げ、とすると、マジで無駄足?」

「残念ながらね」


 マジかよー、と嘆くロッソに、しかし私は首を振る。


「いや、確かに今回は無駄だったけれど。その臆病な姿勢は大事だよ。君は確かに強いけれど、ディアほど桁外れな訳じゃあない。私もね。そんなときに最後に君を助けるのは、その慎重な対応だよ」

「そりゃあどうも」

「本気だよ、私は。そういう点で言うのなら、君の方がこの仕事には向いている」


 ロッソは、ポリポリと頭を掻きながらそっぽを向く。憎まれ口ばかり叩くが、ちゃんと誉めるとこうなるのだ、実に可愛らしい。

 とにかく。


「話は解ったよ。ディアの方にも伝えておいてくれる? 私も準備しておくから」

「あいよ、ご主人」


 足取りも軽く店を出ていくロッソ。

 その背中を見ながらふと、クロナは首を傾げる。彼の話には、気になることが


「………スーなんちゃらが、と言ってたけど」


 記憶を探る。

 依頼に来た魔術師は、確か、


「一文字で、省略するかな………?」











「お待たせしましたね、先輩」

「あぁ、ロッソさん。どうでしたか?」

「満面の笑みで聞くんじゃねぇよ。へいへい、解りましたよ私が悪うございました。先輩の仰る通り、無駄足で御座いましたよ」


 肩を竦める後輩に、ディアは微笑む。

 気持ちは解る。ベルフェさんの持ち込む依頼は殆ど全てが面倒で、厄介で、陰謀に満ちている。額面通りに受け取って危険な目に遭うのは、むしろ定型セオリーだ。


 だが、それはそれとしてこれは依頼だし、そして危険でない仕事なんかない。

 それに、何より。

 


 これを機にロッソさんには、主を信じるということを学んでもらわないといけないだろう。仕事の基本は、信頼だ。


 ベルフェさんも、自分の印象というものを良く解っているのだろう。

 彼を疑ったロッソさんに悪意を向けたりはしない。にこやかに、邪気の無い笑みを浮かべている。


「依頼人さんも、すみませんね。余計な手間掛けさせちまって」

「構いませんよ。慎重すぎる方が、依頼する側としても安心できますから。………では、?」

「はい」


 私は頷き、ロッソさんは………無言で肩を竦めた。

 あのポーズ、格好良いと思っているのだろうか?


「ロッソさん。礼儀ですよ」

「………1つ確認していいっすかね、ベルフェさん。あんたが推してるの、王子でしたっけ? 名前、なんだっけ?」

「スードリですよ、それが何か?」

「あぁそうそうそうでしたわ。すみませんね、何度も。………ところで。



 ?」


 言い切った、瞬間。

 ロッソは斬りかかり、ベルフェは飛んだ。


「やっぱりそうかよ魔術師! てめぇ、嵌めようとしやがったな?」

「おやおや、嘘は言ってませんよ私は。ちゃんと、魔術師が話を通していたでしょう? 私の部下ではありませんが。そしてもう1つ。嵌めようとしたのではありません。………


 ゾッと、ロッソの背が粟立つ。

 直ぐ真後ろに、圧倒的な魔力の塊が顕現した。赤い、激しく熱狂的な、薔薇の香りの魔力だ。


「………おいおいマジかよ先輩」


 振り返る。

 真っ赤なスカートにブラウス。薔薇のように赤いマントを羽織った姿へといつの間にか変身したディアが、仁王立ちしていた。

 その手には、ペン先を剣の形に加工したような、特殊な武器が握られている。


「魔術師の言葉に頷いて、反故に出来るとでも?」

「さっきのやつか………」


 ディアの瞳は、赤く染まっている。何処にも焦点が合っておらず、正気とは思えない。

 話し合いが通じるようにも、見えない。


「本当に、全く、頼れる先輩だよな!」


 叫びながら、ロッソも剣を抜く。

 果たして、この二人から逃げられるだろうかと、考えながら――慎重に、臆病に。

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