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 白は平和を望む。平和とは状態で、すなわち、不断の努力によって維持しなければならないものだ。個人の欲得を優先させればあっという間に崩壊する精緻な砂の城に依存して、敬春達は生きている。本来誰もが求めるはずの安寧が、局所的に破られるのは、身勝手で、幼稚で、無知な、個人が平和以外の状態を求めるからだ。

 白はそのような個人を罰することで脆弱な楼閣を守らなければならない。幸い、多くの人間が多くの部分について、白の主張する二つの法を支持している。

 一つは道徳的な法。道徳は観測によって存在が認められるものではなく、認識の前に立っている、と白は言う。正しいことはいついかなる時も正しく、間違ったことはどんな時代も間違っている。道徳は時間を引数に取る関数ではない。そして、全ての個人は正しく在らねばならない。故に白は、市民、あなたは善良ですか? と棍棒を持ち家々を訪ねている。

 もう一つは社会的な法。社会は可憐さ故に美しい。その調和を守るためには、社会の利益を個人の利益に優先させなければならない。時には社会を守るために個人を犠牲にする必要があることを、白は理解している。社会的法は、時間を引数に取る関数である。そして、全ての個人はこの法を遵守しなければならない。故に白は、大局に焦点を当て、個人を否定する。


 敬春は、白い。規則を守り、人生の可能な限りの時間を凪の中で過ごしたいと願い、他者にもそれを求める人間である。脳内でどれほどのことを考えたとしても、実行に移すまでには幾重もの議会で可決されねばならない。物理的に実行可能であるか、社会的に許されているか、道徳に適うか、良心を傷めないか、主義思想を前進させ得るか、客観的に見て当然であるか、他全ての制約を越えてまで自己がそれを望むか、事後洪水のように押し寄せる後悔を乗り越えられるか、挙げればキリのないフィルタが敬春の中枢神経には存在している。

 と言っても完全に単色で表現できる人間などいない。敬春にも少なくない数の友人はいるし、激情に見を委ねることもある。自己の利益を他者に優先させることもあれば、誰ともかかわらず一点を見つめるときもある。ただ、敬春を占める大部分が白い。敬春は、自身がそのような人間であることを公表することさえ躊躇う人間であった。


「だ!」


 飽きるほど繰り返される敗北画面に、敬春はうめき声を上げた。これで七連敗だ。クリエイティブ・ウォーは運の要素が大きく、どんなに強いプレイヤーでも勝率は六割程度に収束する。しかし、敬春の対伊豆見の成績は勝率二割といったところで落ち着いていた。レーティングマッチでは五割前後をうろつく程度の腕前を持つ敬春だが、伊豆見には一向に勝てない。ここ数日だけを見れば、対伊豆見の勝率は一割を切っている。


「弱小プレイヤーをいじめて何が楽しいんだろう」

「君は盤面に気を配りすぎだね。無視すべき駒に構いすぎてる」

「うわ!」


 敬春の愚痴を見透かしたようなタイミングで、伊豆見からメッセージが飛んできた。驚いた敬春は机の裏にぶつけた膝をさすっている。敬春は、連日連夜、無言で蹂躙されていた苛立ちをここぞとばかりに伊豆見にぶちまけた。


「もっと強い人とやればどうですか? うちみたいな雑魚いじめても楽しくないでしょう」

「卑屈だなぁ。僕は久しぶりで楽しいけどね」

「うちが楽しくないんですよ」

「それは君がアレだからだよ。どこがマズいのか教えようか?」

「結構です!」


 アレが具体的に何を指しているのかには一切の注意を向けず、敬春はメッセージを返した。どんなゲームをしていても、敬春は状況をコントロールしようとする。大富豪では愛すべきスペードの三を持てば公言し、麻雀ではあからさまな副露フーロで皆の捨て牌を制限しようとする。白は他者を巻き込んで調和を求めるが、時にそれが独善と呼ばれていることを敬春は知らない。


「君は見えない領域にもっと注意を払うべきだね。相手の手札とか、引いてくるタイルとか」

「見えないものは信用しないことにしてるんです、私」

「確率って知ってる? ベイズ推定の基礎でやんなかったっけ?」

パイソンPythonとかのコードで書くならともかく、暗算は苦手です」

「脳筋」

「うるさいなぁ」


 敬春の言葉を無視して、伊豆見は彼女の欠点を指摘する。どんなゲームでも、それが不完備情報ゲームであれば、自分から見えない領域の状態を推定する必要がある。例えば、交易王では相手の現在の所持金と過去に出た輸出品の枚数を数えれば、残りの組み合わせから相手の手札を推定することが出来る。一般にカウンティングと呼ばれるテクニックだが、過去の履歴を全て暗記しておかなければならないこの技は、脳への負担が大きい。チェスや囲碁、将棋のような完全情報ゲームでは、既に人工知能が人間を完全に上回っている。不完備情報ゲームの世界でも、疲れを知らない人工知能が人間以上の成績を残すのも無理からぬ話である。伊豆見は七度の対戦を通じて、彼女がそういった領域を一切考慮せずにプレイしていることを見抜いた。敬春は見えている状態がより良くなる方向に行動し、死角からの変化に対し先んじて構えることを後回しにしていた。

 クリエイティブ・ウォーにおいて、プレイヤーから見ることのできない領域は、相手の手札にある呪文カードとカルカソンヌ的に追加される土地タイルの二つがある。手札から使用された呪文は共通の呪文置き場に五枚までプールされ、置かれている呪文は全てのプレイヤーが使用できる。基本的にプレイヤーは共通のデッキから手札を補充するため、強いプレイヤーならカウンティングも不可能ではない。土地タイルも同様だ。

 強いプレイヤーは経験則であれ、カウンティングに基づいた確率論であれ、見えない領域を考慮して行動を決める。見えない情報を考慮した場合としない場合では、相当数こなした後の対戦成績に有意に差が出ることを熟練したゲーマーは良く知っている。


「じゃあ今度は組まない? チーム戦やろうよ」

「チーム戦ですか? それなら、まぁ」


 クリエイティブ・ウォーのチーム戦は二対二の形式で行われる。ネット対戦では、レートに従ってランダムに抽出された四人が無作為にチームに別れるテンポラリーコーポレーションTC方式と、あらかじめチームを組んで他のチームと戦うパーマネントコーポレーションPC方式の二つがある。

 テンポラリーコーポレーションでは四名のレートが概ね揃うようにマッチングされる。加えて、ゲーム中の相談は禁止されている。従って、自分の意図が味方に伝わるように動けるかが、定石以上に重要だ。勇気あるプレイヤーは、無視できない駒の処理を味方に任せる。その意図が伝わらなければ、諸とも敗北するような局面でさえ無作為抽出された味方を信頼できるかが、勝負の分かれ目だ。しかし、テンポラリーコーポレーションはあまり人気のあるスタイルではない。適切な連携ができずに敗北を喫した時の苛立ちが大き過ぎるからだろう。

 それに対してパーマネントコーポレーションでは、チーム同士の最もレートが高いプレイヤーが揃うようにマッチングされる。パーマネントコーポレーションではゲーム中の相談が許されている。そのため、お互いの状況が共有でき、上手いプレイヤーが要所要所で味方に指示を与えることができるからだ。その指導的側面も一つの要因となって、パーマネントコーポレーションはカジュアルプレイヤーに人気だ。

 コアゲーマーがコーポレーションを嫌う理由は、彼らの民族的特徴が一匹狼的であるからだ。孤高にゲームを解く姿勢は、協力プレイの対極にある。ボードゲームにおける協力というのは詰まる所、一人で運用可能な資源を分割管理しているようなものだ。五対五で行われるeスポーツの代表格リーグオブレジェンズLOLを的確に表現する比喩に、こんなものがある。一人目はアクセルを、二人目はブレーキを、三人目はハンドルを、四人目は視野の確認を、五人目のプレイヤーはシートに座る。


「じゃあ僕は黒くなるから」

「色は狙えるもんじゃないでしょうに」

「いや、チーム戦だからね。手札の調整はしやすいんだ」


 色はクリエイティブ・ウォーで重要な要素だ。プレイヤーはマジックザギャザリングMTGよろしく、白、青、黒、赤、緑のいずれかを持ち、色に応じたボーナスを得る。プレイヤーの色は手札に単独で最も多く存在した最近の色で決定される。よって、手札の状況に応じてプレイヤーの色も刻々と変化する。

 白は展開できる駒数の上限が他の色よりも多く、代わりに駒の移動範囲にマイナスの補正が掛かる。白は相手よりも多くの駒を用いて盤面を広く警戒する。そして、呪文を唱える度に追加のコストを要求し、ゲームを支配する。逆に言えば、一気に盤面を混ぜ返されると手が出なくなる。

 黒は伊豆見が好んで使う色である。黒は駒数の上限が他の色よりも少なく、呪文を唱えた後に共通の呪文置き場から任意の黒でない呪文を一枚だけ追放しなければならない。黒のプレイヤーボーナスは他の色に比べて弱い。その代わりに、黒いプレイヤーが唱える黒い呪文は破格の能力を持っている。黒い呪文には、マナ以外にも駒やライフを要求するものが多い。他の色から見ればデメリットが目立つが、黒いプレイヤーは追加コストを踏み倒せる場合があるのだ。プレイヤーが黒いということは、手札が黒いということであり、プレイヤーボーナスも相まって黒以外の行動を取り辛い。故に、黒は黒以外に不寛容を示し、黒いプレイヤーは延々と禁呪に手を染め続けなければならない。そう、黒は黒故に強力で、黒故に脆い。


「うわ、私以外全員レジェンド」

「関係ないよ、チーム戦だし。時間稼ぎ、頼んだよ」

「あぁ、なるほど」


 その一言で敬春は、自らが伊豆見の傀儡になることを覚悟した。もしかしたら伊豆見は、彼女を息をする弾除けくらいにしか認識していない可能性まである。最適解が一意に求解できる問題では、一人の優秀な人間の意見が精確に採用される。残りの者はそれに追随するだけだ。協力型ゲームは得てしてそうなりがちだ。共和制民主主義下の政治のように有権者の意見の重心を探ることは多くの場合、敗北の原因である。戦略の意思決定権がころころ移るのも好ましくない。協力型ゲームでは専制君主制が最適解だ。


「ここですか?」

「そうそう、そこにゴブリンを立たせて」

「あっちの虫は放っといて良いんですか? この呪文で」

「ちょっと待って。虫は無視して、君の左前にいるゴーレムにアスポート撃ち込んで」

「はい」


 男性という人種は加齢と共に全員が同じ性質を獲得するらしい。敬春は言われるがまま操作して、左前のゴーレムを盤面の右端へ追いやった。手番が相手に返って先程放置した虫――正しくは地下蟲チカコという地底に潜む人ほどの大きさの直立型昆虫だがチャット画面で一発変換出来ないため日本プレイヤーからは単に虫と呼ばれている――が敬春を襲う。


「ほらぁ」

「良いんだよ、それで。で、こっちに飛んできてよ。僕の左隣」

「へ? こう、ですか?」


 予想外の指示に敬春はチャットログを凝視した。クリエイティブ・ウォーではプレイヤー駒が攻撃を受けるとライフを一つ失い、任意の地点へ移動できる。このシステムによって、将棋のように王将が完全包囲され詰む事態を二度まで躱すことが出来る。しかし、敬春は今までライフを積極的な移動手段に変換できる資源だと考えたことがなかった。確かに、ライフによる移動を考慮すれば、地下蟲を放置して足の遅いゴーレムを辺境へ飛ばすことは十分に合理的な戦略であった。

 ライフを消費した積極的な移動は、俗に身投げと呼ばれるテクニックである。決まれば爽快だが、判断を誤れば正に身投げ、というわけだ。上級プレイヤーの間でもゲーム序盤から身投げを狙う者はほとんどいない。手札から追撃を受ければ即敗北に繋がる身投げは終盤のギャンブルである、というのがレジェンドランカー達の通説だ。

 序盤での身投げは相手にとっても予想外だったらしく、それまで敬春を包囲するように配置していた駒はほとんどが遊兵になっている。唯一、伊豆見と移動後の敬春に届き得たゴーレムは姿を消していた。

 敬春は知る由もないことだが、伊豆見には序盤からライフを犠牲にして盤面を取っていく動きを好む癖がある。序盤から今回のような身投げをすれば、長期的に不利になることは素人でも分かる。それでも伊豆見がレジェンドランクに居られるのは、他のプレイヤーに比べて、身投げのタイミングが絶妙だからだ。身投げによって盤面を整理する技術で、伊豆見はレジェンドランカーの中でも名を馳せている。相手の手札を読み切り敵陣へ突撃する様は、読みが外れた時の盛り上がりも含めて、観衆を沸かせている。


「やたらめったら使えるもんじゃないけどね。ほら、敵が駒を寄せてくるよ」

「果たして、私に自由な意思はあるのか」


 伊豆見に言われるがまま、盤面の展開に流されるまま、敬春は迫りくる駒を捌き続けた。このような局地戦の連続を、敬春は苦手としている。小さなアドバンテージの積み重ねで勝利を目指すのは、赤の戦略そのものだ。

 目まぐるしく変化する状況に対処し続けることは、フラッシュ暗算のようなものだ。敬春は熟考するためにボードゲームに興じている。そのため、このような即応的状況は意図的に避けることが多い。それが敬春の癖であり、弱点であった。


「ほぅ、なるほど。君もなかなか。宜しい、お答えしよう。我々が他者に肉体の所有権を明け渡す時、それは」

「あ」


しまった、と敬春は手を口に当てた。幸い、今回はチャットログが高速に流れるだけで済んだ。それにしても、魂の所在を議論する前に目の前の駒を処理してもらわないと、困るのは味方だ。敬春のライフはあと二つしかない。

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