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敬春と伊豆見は人工知能を専攻する大学院生である。専門外の人間に自身の専攻を説明する時、人工知能という言葉は便利だ。
研究者が専門外の人間に自己紹介する時、研究内容を正確に伝えたところで、間違いなく理解されない。人口に膾炙しバズる人工知能という言葉の暴力に、敬春は嫌というほど晒されてきた。
「はぁ、機械学習。幅優先探索、なるほど」
「え、えぇ、そうですそうです。人工知能の研究しています」
「ほぅ、人工知能。我が社でも導入を考えていたところですな。あれはすごいらしいね?」
「そうですねぇ」
「どうだろう、我が社のデータを使って人工知能を作ってくれないだろうか?」
「は、はぁ」
研究会へ出かける度に、この手の質問は繰り返される。対応するうちに敬春は自然と、人工知能という単語の運用方法を身に付けていた。とにかく、会話が成立しさえすれば良いのだ。そういう視点で人工知能という単語を解釈すると、この空気を詰めたポテトチップスの袋のように無意味な語は、無意味であるからこそ、会話の任意の位置の専門用語を代替できる。
一応、正確には敬春はゲームAIを専攻している。伊豆見は、今のところ、自然言語の自動生成による応答システムということになっている。今のところ、というのは分別のつかない幼児が手当たり次第に物を口に入れるのと同じように、彼の食指はいつも蠢いているからだ。
「広く! 浅く! 真理の探求は天才諸氏に任せ、僕なる凡才諸君は日々! 真理の配列にこそ腐心しようではないか! プリンに醤油をかけるが如く!」
プリンに醤油とは、彼の信念に由来する言葉である。創造性の源泉は、複数の事実の新しい関係性の発見にあると言っていた。時折催される宴会で毎度のように彼はこう叫ぶ。酔いも回り瓜実の童顔を赤くした伊豆見は空いた缶チューハイをマイク代わりに続けて「天ぷらとガムもまた然り!」と叫んでいた。
今でも彼は仕掛学や人間行動学など様々な学問を囓っては次、囓っては次へと手を伸ばしている。彼の専攻を正確に把握している人間はこの研究室に一人も存在しない。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい。どうでした、教授の様子は?」
「で? この玩具で君は何をしたいの?」
「よく似てるなぁ。いつもと全然違う声なのによく出せますね、あはは」
ミーティングの後、研究室に戻った伊豆見は教授の口調を真似てふざけていた。敬春は物真似の出来にこそ感心すれ、教授の説教を受けた直後にそれをやれる彼の精神的頑健さには一切の共感を持たなかった。
いつもの様に伊豆見は教授に生活態度や研究への取り組みについて咎められ、こってり絞られたのだろうが、それから幾らも経たずまるで他人事のように茶化している。
雨に濡れた子犬のように尾を垂れ、しゅんと反省していれば可愛げもあるのだが、博士課程ともなると肝の座り方が違うらしい。
もしかしたら彼が鉄面皮なだけかもしれない。その鉄仮面を剥いだ下には、真皮に覆われた思春期の乙女のように純真な表情が隠されているのだろうか、いや彼に限ってそれだけはない。そのような良心が僅かでもあれば、説教の直後に教授をネタにふざけられるわけがない。
彼に良心の呵責というものが存在しないことは自明の公理である。
「寛容、というのはそれだけで尊敬に値する属人的資質だと思わないか?」
「語彙が難しい」
「放っといてくれればいいんだよ。僕が何してたってさ。放任はそれだけで優秀な指導だよ」
「自立できる人には、でしょ。レベル1でロンダルキアに放り出されても、死ぬだけです」
僕がひのきのぼうにぬののふく装備に見えるかい? と伊豆見は続ける。まぁ、丸腰じゃあないですよね、と敬春が応じると彼は満足そうに頷いた。
確かに、寛容は豊かな感性の発露のために不可欠な環境因子だ。過剰な干渉は、当人の自由意思を否定する。幼いうちは無知ゆえの事故を防ぐために、おしめを替えてやり、離乳食を口へ運んでやり、泣けば構ってやらなければならない。しかし、自我を持つ個人に対する態度としては宜しくない。
想像してほしい。懇切丁寧な、有無を言わさぬチュートリアルがエンディングまで続くゲームを。困ったときはスタートボタン、歩くためにはスティックを前に、ゆっくり倒せばゆっくり、一気に倒せば走り出す、ジャンプはAボタンで……もうたくさんだ! 説明書に纏めてあるものを一々、プレイのテンポを犠牲にしてまで見せつける必要がどこにある。説明書を読まないプレイヤーは死んで覚えれば良いのだ。
失礼、例え話をしよう。寛容は無条件に肯定されるものではない、行き過ぎた寛容はただの無関心で、残酷だ。
王様から五十ゴールドと棒切れ、それからたびびとのふくを渡されて、魔王を倒してまいれ! などと言い捨てられた若者は絶望する。神の視点から見下ろす我々でさえ憐憫の情を禁じ得ない。白羽の矢儀によって温かな家庭を忘れ去った哀れな青年は無感情に小動物を斬り殺す。もし彼らが神々の義骸で無かったら、呼吸をすることさえ困難なほどの現状に圧し潰されていたに違いない。
しかし、では、初めからバスタードソードを受け取っていたら? 全ての敵を殺す手段が説明書に書いていたら? 詰んだ場面はクリアしたことに出来る仕様だとしたら? 神たるプレイヤーは興味を持たず、主人公は絶望から立ち直れず、物語は何も始まらず、空の天井が落ちてくることもない、それは外世界へ何も吐き出せないまま終わる、生存本能的絶叫を否定された最悪の結末だ。自我を持つ人間に過干渉は毒である。それを受け入れれば、自我が壊死を起こす。
孤独のまま放り出される極彩の砂漠と、クオリアを失ったまま生き続ける灰色の花園、どちらを望むかは人それぞれだが、少なくとも伊豆見はぞっとするほど冷徹な瞳で砂漠を見つめていた。
「魂とは何であるか」
「は?」
伊豆見は先程までの愚かな道化師から一転、冷徹な哲学者へと変貌した。普段とは打って変わりよく響く男性の低音と、彼の真剣な眼差しは敬春を捉えて離さない。
「魂、とはどういった状態を指す概念なのか」
敬春が質問の意図を問うと、伊豆見はより形式張って再表現した。
形式張った物言いをするときの彼は胸を張る癖がある。彼が背伸びをしたとしても敬春と目線を揃えることは無い。しかし、椅子に座る彼女を見下ろす伊豆見からは年長者の風格が僅かに感じられた。
「違います。聞こえてます、ちゃんと。何故そんなことを言ってるんですか?」
「君の会話システムは知的じゃない」
「は?」
「いやね、さっき教授にそう言われたんだけどさ、じゃあ知的って何ですか! って喧嘩になっちゃってねぇ」
「知的か否かの議論で魂、ですか? 考えたこともありません。また変なの見せたんでしょ? 前回はイースターエッグまみれのおもちゃでしたよね?」
イースターエッグとはゲームにおける“クリアとは無関係な隠し要素”の比喩である。説明書や攻略本だけでは説明しきれない世界観や登場人物の心情を知れる貴重な情報だが、それだけではゲームが成立しない。かのポータルはイースターエッグが無ければ只々グラドスに罵倒されながらパズルを解くゲームだっただろう。ポータルが世のプレイヤーに拍手喝采で受け入れられたのは、彼らが変態的性癖を有していたからではなくイースターエッグから読み取れる世界観の深さに惹かれたからだと信じたい。
閑話休題、伊豆見が前回作った会話システムは正に敬春の指摘通りで、特定の言葉に反応しギークな返事をするだけの毒にも薬にもならない会話ボットであった。
伊豆見はそれらをギジンと名づけていた。特に、最新バージョンの会話システムは
「おもちゃかぁ、哀しいなぁ。あれこそは正に魂なるものの萌芽だというのに」
「で、今度はどんなおもちゃを見せたんですか?」
「あぁ、僕はどうしてこんな単純なことに気付かなかったのだろう! 即ち魂とは電圧である。概念の流通を電流とするならば、その過程で取引される電子を言葉と呼ぶ」
「そうですかそうですか。それは良かったですね」
知的とは、言葉とは、魂とは云々と、一度火のついた伊豆見は止まらない。彼の演説は始まればいつも数時間に及び、巻き込まれた学生の時間を奪う。彼は黙考することが苦手で、考え事の度に近くにいる学生を捕まえては禅問答を繰り返す。その一番の被害者は敬春だ。
止まらない伊豆見に相槌を打ちながら、壁に話しかけていれば良いのに、と聞こえないようにつぶやき、敬春はうつろな目を窓の外へ遣った。機械工学部の住まうプレハブ小屋がいつも以上にくすんで見えた。
「ところで敬春」
「へ?」
「こういうのがある」
いつの間にか終わっていた禅問答の延長線上で、突然名前を呼ばれた敬春は慌てて視線を伊豆見に戻した。敬春の眼前には「クリエイティブ・ウォー」のゲームAI大会の募集要項が突き付けられている。伊豆見がいつ印刷したのか定かではないが、敬春は真新しいそれを受け取った。
「へぇ、あのAI馬鹿すぎて相手にならなかったし、公式もついに重い腰を上げたってことですかね? 参加しようかな」
クリエイティブ・ウォーは、世界的に流行しているボードゲームである。
ミニチュアゲームのメカニクスを採用している日本で有名なゲームには、ファイアーエムブレムシリーズがある。ミニチュアゲームでは、盤上の駒一つ一つにステータスやキャラ付け、装備の概念があるため、戦闘時に明確に駒の優劣が現れる。つまり、将棋やチェスのように戦闘を仕掛けた側の駒が一方的に勝利するのでなく、複雑な数値計算によって戦闘が行われる。この点をどう簡略化するかは、ミニチュアゲームをアナログに落とし込む際の課題の一つだ。ミニチュアゲームをデジタルで実装する分にはいくらでも複雑な計算式を用いても構わない。しかし、アナログゲームでは、ゲームの初期設定、ランダム要素の処理、戦闘時の数値計算など全てを人力でこなす必要があるため、反復される処理は可能な限り簡略化されなければならない。玄人ゲーマーの中には、その複雑な数値計算を手で行うことに喜びを感じる奇特な人種も少なくないが。大戦略を人力でプレイする、と言えばその狂気が伝わるだろうか。安心してほしい、ウォーハンマーはそれ以上だ。
ウォーハンマーはミニチュアゲームで最も成功したゲームだが、アナログゲームとしては複雑すぎる。練り上げられたダークファンタジーの王道をゆく世界観は、一部のコアゲーマーならずとも虜にしてしまう。しかし、アナログゲームとしてのウォーハンマーは、その果てしない世界観を忠実にモデル化している、そう忠実に。弓兵の射程をモデル化した結果、プレイヤーは弓兵で攻撃する際には、射撃の度にメジャーで射程を計測しなければならない。故にプレイに耐えない。
クリエイティブ・ウォーは、アナログゲームとしてプレイに耐えうるか? をゲームメカニクスの中心に据えて設計された。例えば、駒の戦闘は将棋と同じく仕掛けた側が一方的に勝利する。呪文カードを使用するためのマナはプレイヤーの現在地点にのみ依存する。戦場の霧は存在しない。
盤面の予測できない変化にその都度、即応的に最適解を導出することは、アナログゲームの醍醐味である。クリエイティブ・ウォーは、アナログゲームの醍醐味に最大の敬意を払いながら設計されたボードゲームだ。
このゲームは、その名の通り一次創作を上手く取り込んで、一気に流行した。
「僕も出してみようかな」
「へ?」
「クリエイティブ・ウォーのAIトーナメント」
「出来るんですか? プログラミング」
「まぁなんとかなるでしょ」
「手伝いませんよ? うちはうちで参加して良い感じに研究してるフリするんですから」
「冷たいなぁ、ま、いいや。今晩さ、時間取れない? 対戦しようよ」
「昨日も対戦したじゃないですか。それに勝てるわけないでしょ、あんたランカーなんだから」
「今晩八時で良いよね? じゃ、そういうことで、お疲れ様でーす」
「あ、ちょ」
敬春の返事を待たず、伊豆見は研究室を出ていった。一方的に約束された時刻に、敬春に用事があるわけではない。しかし、連日の対戦、しかもプレイ人口の上位零コンマ五パーセントのプレイヤーに与えられるレジェンドの称号を持つ伊豆見に、平凡なプレイヤーたる敬春はいつも負け越していた。
ネット環境の整った昨今、強い対戦相手には事欠かないにも関わらず、何故か伊豆見はここ最近、敬春に対戦をせがむ。
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