40
フェルパーも、後を追うように、よろよろと立ち上がる。
そして少年は、彼女の耳に「作戦」を囁いた。
「え……っ? そんなことが、できるの!?」
「できるはずだ。お前は呪文を唱えるだけでいい」
こんな時に、いったいなんて間抜けな武器なんだ――と思いながらも、少年はフライパンを落とさないように強く握った。
「その間……お前は俺が守る!」
と、フェルパーの肩を揺さぶる。
「!」
彼女の頬は、たちまち、桜色に染まった。
数秒間、少年を見つめ続け、その瞳孔が興奮した猫のように広がっていくが……
「!? ……こ、こんな時に、どうして……そんなに冷静なの? あんた、いったい何者……!」
フェルパーは、少年から目をそらさなかった。
見つめていれば、心が読めると言わんばかりだ。
「そんなの、今はどうでもいいだろ?」
「……」
「はぁ……っ。別に、そんな大層なもんじゃない。俺は、ただの高校生……ただのゲーマーだよ!」
軌道をそれた手裏剣が、少年の足元に突き刺さる。
もう猶予はない――と悟って、少年は一気に駆け出した。
近寄るのもはばかられるほど、激しく戦っているフェアリーとドラコへ、あえて自分から接近していく。
後ろから、フェルパーの詠唱が聞こえた。
「
さらに、続けて、
「
と、何度も同じ呪文を詠唱している。残った魔力を、すべてそれに費やしていた。
呪文の効果は、すぐに目に見えて現れた。
それは、一時的に敵グループの体にかかる重力を増加させ、動きを鈍らせる呪文だった。
「むっ……!?」
ドラコは立っていられなくなり、片膝をつく。ついには、床に座り込んでしまった。
「あ、あれ、あれぇ……お、おもいよぉっ……!」
フェアリーは、いくら羽を動かしても飛べなくなり、地べたに横たわった。そして、羽さえ動かすことができなくなる。弱った羽虫のように、のた打ち回る。
チャンスが、目の前に訪れた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
少年は、フライパンを、両手で掲げる。
そして、地面にうずくまるフェアリーに叩き下ろす。
拍子抜けするほど、それは簡単だった。
「きゃっ――」
フェアリーの悲鳴は、一瞬だけで途絶える。
彼女の肉体は、少年の手でつかめるぐらいの大きさしかない。
すばしこいが、その分、耐久力は皆無にひとしい。特に鍛えてもいない少年の殴打でも、象が踏みつけたに等しい打撃を与えることができる。
相手は殺人鬼だ――
そう心の中で何度も唱え、少年は、目をつぶって殴打を繰り返す。
「うっ……うああぁぁぁぁぁっ!」
気づいた時には、既にフェアリーの体は破壊されていた。いつの間にか、空気中に蒸発し、消え去っている。
後には、妖精用の小さなローブ、幾枚もの手裏剣、そしてそれらに隠れてちょくせつ見えないが、ルビーの紅い輝きが残った。
もちろん、少年はそれで満足しない。
フライパンを捨てて、ドワーフが落としていった斧を拾い上げる。
(お、重い……!)
あごが割れそうなほど歯を食いしばり、ようやく斧は持ち上がった。
(こんなのを片手で持ってたのか、ドワーフさんは……?!)
少年にとっては、両手でも怪しいほどの重さだ。ふらつきながら、今度はドラコへ切りかかる。
立ち上がれずに、ドラコは震えている。
少年は、足を一瞬だけ止めてしまった。
彼の姿は、以前とあまりにそっくりだった。少年やノームを守ってくれ、傷ついていたドラコの姿と……
「くそっ……!」
その記憶をむりやりかき消し、ドラコの右腕に斧を振り下ろす。
「ぐぉっ……!?」
ドラコの腕に刃が食い込む。そして、衝撃で大剣を取り落とした。拾い上げることもできない。
「ドラコ、さん……! くそっ、くそぉっ!」
左腕も、同じ運命に遭い、ドラコの盾は地に落ちた。
さらに、少年はドラコの兜を剥ぎ取る。ドラコは、腕も自由に動かせず、されるがままだった。
弱点の頭部をさらし、絶好の好機。
しかし、少年は動きを止めた。
「……え!?」
妙な声を出してしまう。
ドラコの片目が、深い傷でつぶれていたのだ。
以前会った時は、そんな傷はなかった。
もちろん、今ついた傷でもないはずだ。
はっとして、少年はドラコの左手を見た。
いつの間にか、衝撃で手甲がはずれ、彼の手の甲があらわになっている。そこには、紅い模様が――一つではなく――合計三つも刻まれていた。
少年は、嫌な味がする唾を、ごくりと飲み込む。
そうしなければ、胃の中の物を吐き出してしまいそうだった。
「……なんで、なんでだよ……なんでなんだよぉぉぉぉっ!」
少年は、斧を振りかぶった。
無防備なドラコの頭へ振り下ろそうとする。
だが、
「んぐっ……がっ……!」
ドラコは、左腕をぷるぷると持ち上げ、斧の刃を受け止めた。
少年の腕は既に疲れきって、斧の勢いはたいしたことがない。それでも、ドラコの筋肉は絶ち切られ、痛みにうめいている。
その分だけ憎しみを溜め込んだのか、赤い瞳は、片目だけなのに、少年をたじろがせるような黒い影に満ちていた。
「うくっ……!」
少年は、しゃっくりのような悲鳴をあげる。
「なぜ、だと……!? 人を、虚仮にするのも……いい加減にしろ……!」
「え……?!」
ドラコは、大きな口を開く。少年の首元に、噛み付こうとした。
避けようとした拍子に、少年は、斧を取り落としてしまう。
いい加減、腕は疲れきっている。冷たい氷になったみたいに、硬く血が通わなくなっている気がした。
「ウォォッ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます