38

 現在から、時を少しだけ遡って。

 「まさ、か……!?」

 ダンジョン第二階層。

 ドラコの周りに、オークが蟻のように群がっている。にもかかわらず、彼は傷一つなかった。

 ドラコは、じぶんの左手の甲――そこに刻まれた、三つの赤い模様をじっと見つめた。

 それは、彼の体内に、聖なるルビーが三つ集まっている証。

 どうやらその神の宝石が、彼の体にかつてない強靭さを与えているらしい。

 何しろ、モンスターに切りつけられた程度では、まったく傷つかなかったのだ。

 他に、原因など考えられない。

 ――そう悟った瞬間、彼は大剣を抜き放った。

 竜巻のような、目にも留まらぬ速さで一回転させる。

 その一撃で、十体はいたオーク達が、全員屠られた。鎧と兜を砕かれ、体をへし折られ、蒸気となって空中に消える。

「……そうか」 

 ドラコの周囲には、もう、何も残っていなかった。彼はひとり、通路の真ん中でつぶやく。

「最後の安息まで……私から奪うというのか?」

 そして、こぶしでダンジョンの壁を殴る。

 石の壁にわずかな傷がつく。その成果に見合わない痛みが、ドラコの腕にかえってきた。

「ふざけるな……ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 こんどは剣の束で、壁をなぐりつける。

「なんだ……なんなのだ、この世界は! 私には、もう何も残されていない……私には、何もない! 私には何もない! 私には何もない! 私には何もない! 私には何もない! ……私には、何もない! 私には何もない! 私には何もない! 私には何もないっ!」

 叫びが通路の中で、鼓膜を引きちぎりそうほどに反響する。

 剣に飽いた後は、盾で殴りつける。

「私から……私から、すべてを奪っておいてぇ……ウァァァァァァァァァァァッ!」

 それさえ放棄して、さらに彼は、口から雷撃の息吹を吐いた。

 雷雲のような呼気が通路内を包み込み、時折目に見える放電をさせ、通路を死の空間に変える。

「うぁぁぁぁ! ……ウオオオオオオオォォォォォォォッ!」

 獣のような咆哮を上げる。

 どこにもいない敵を切り裂き、殴りつけていく。全身全霊を込めて、敵に復讐の鉄槌を下す。

 ――そして、そのすべてが徒労に終わった。

 彼の敵は、今やどこにでもいるはずなのに。

 しかし、どこにもいないかのように、手ごたえがない。

 ドラコは、床に倒れた。

 ダンジョンの硬い床があるはずが、無限に深い深遠へと沈んでいくように錯覚する。

「あぁ……」

 気力は尽き、放心し。

 最後の望みは自分の手だけだった。 

 彼は自分の首を両手でつかみ、締めようとした。

 だが――

「……?! これは」

 思わず、その手を目前で止めた。

 左手の甲が、なぜか異常に赤く輝いていた。

 その三つの模様は、確かにまばゆい。

 が、ドラコは気づいた。

 その明るさは、不完全だ。

 模様には、欠けている所がある。

 八つ全てのルビーを集めた時、その模様は真円を構成し、完全な形に戻るのだろう――と、彼は不意に察した。

「……女神よ。お前は愚か者だ」

 彼は、左手を掲げた。

 ダンジョンの天井を超え、天上の女神に見せ付けるように。

「クッ……ふふっ……! 次は、私の番だ。……ふふふっ、ははははハハハハハッ!」

 腹が激しく上下するほど、ドラコは大笑いする。

 さんざん笑ったあとで、彼は立ち上がった。

 そして、猛然と通路を疾走し始める。

 彼の目の前に現れる、ダンジョン第二階層のモンスターを、片っ端からなぎ倒して進み……

 けっか、第三階層への階段を発見し、下るまで、ほとんど時間はかからなかった。

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