30

 郊外からやってきた馬車が、駅に停車する。ドアが開くと、人ごみの中から、ローブ姿のノームがゆっくりと歩み降りた。

 頭巾コイフが、その顔に黒い影を落としている。

「ノーム! こっちだ」

「……ドラコ!?」

 ドラコは、彼女を見つけて声をかけた。

 するとノームは顔を上げる。目が赤く、さらに涙がにじんできた。

「……っ!」

 ゆっくりと、ノームは鼻をすすりながら歩いてきた。

「……妹御のことは聞いている」

 ドラコは、彼女の背に手を回した。ノームの小さな体が、すっぽり包み込まれる。

「つらかっただろう」 

 それ以上は喋らず、ただ背中をゆっくりさすってやる。

「くぅ、あぁぁっ……!」 

 ノームは、ドラコにしがみついて、さめざめと泣いた。


 二人は、共同住宅にある、自分たちの部屋に戻った。

 泣きつかれた疲労からか、ノームはぐっすりと、ベッドで子どものように眠っている。

 ドラコは、彼女の額をそっと撫でた。

「許されていいはずがない。このようなことが……!」

 彼女の妹は、強盗犯に命を奪われた。

 今までの平和なアンヴェルダでは、まずありえなかった事件だ。

 モンスターが現れ、病気や犯罪が流行り出す――そんな諸々を考えただけで、ドラコは胸をかきむしりたくなった。

 ノームに、怪我などはなかったが……急に、彼女の体が卵みたいに壊れやすいように思えてくる。

 ドラコは、立ち上がった。

「我々が……君が、不安に脅かされる国など、私には耐えられない」

 不安にかられ、彼は、すぐに服を着込んだ。

 足早に玄関まで向かい、ドアを開け放つ。

 部屋から去る間際に、灯りを消して、暗くなった室内を振り返った。

 ベッドに横たわるノームには、かすかな窓からの光条を除いて、闇が帳を下ろそうとしている。

「君のためならば、私は……災いなど、この世から一掃してみせよう」

 そのつぶやきを最後に、ドアは閉じられた。 

 彼の進言で、「王宮騎士団」の創設が決定されたのは、その数週間後のことだった。


「これまでの私の人生は、いったい、何だったのだ……!?」

 ダンジョン第二階層の、とある通路。

 ドラコの前方は、そして後方も、剣と盾を装備したオークの一団で埋め尽くされていた。

 オーク達の目はぎらつき、ドラコを切り刻もうと距離をつめてくる。

 しかし一方で、彼のほうの片目は、もはやオークを見てもいない。

 盾も剣も垂れ下がり、亡霊のように立っているだけだ。

「私は……私はっ!」

 ノーム。

 エルフ。

 ハーフリンク。

 彼らの顔が、眼前にまぼろしのようにちらついて、体に力が入らなかった。

 辺りが、暗闇に包まれる。

 オーク達の足踏みで、壁の松明が落下し、光が消えたのだ。

「私は、苦しむために、生きてきたのではない……」

 そんなうわごとのような呟きを、オーク達が気にかけるはずもない。暗黒の中、モンスターの足音は刻一刻と近づいき……そして、"獲物"の隙に乗じて、一気に襲い掛かってきた。

 ドラコは、一切の反応をすることなく、そのまま敵の攻撃を受ける。

 彼は死にに来たのだから……。

 体の部位を問わず、オーク達の剣が、ドラコの全身に切りつけられた。

 何度も。

 何度も、何度も、何度も――

 そして、そのすべてが。

 ドラコの体に、かすり傷ひとつつけることはなかった。

「な、に……!?」 

 鎧に当たった刃は弾かれ。

 素肌に触れた刃も、うろこで受け流される。

 モンスターの攻撃が、赤子に叩かれているほどにしか感じられない。

 いくら強靭さを自負しているとはいえ、体を鉄で作り直した覚えはなかった。

 彼は、頭の中を必死で探り、

「まさか……!」

 そして、左手の甲――そこに刻まれた、三つの赤い模様を、じっと見つめた。

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