第五章:猫の少女

28

 8年前。

 王都アンヴェルダにある、神聖ロリ=リロ教会。

 その個室で、フェルパーの両親と教師は、三人とも笑顔を浮かべていた。

「――それで、フェルパーちゃん、教科書を読むのがすごく早くって。それに、かけっこや木登りも、いつもいちばんですし」

 と、フェルパーの話題になり、教師の口からつぎつぎ褒め言葉が飛び出している。

 フェルパーは、両親の脇に腰掛けていた。

 教師に褒められるたび、膝がびくんとまっすぐに伸びる。靴が向かい側の教師にぶつかりそうだったが、そのことにも気づいていないくらいだった。 

「フェルパーちゃん、今は何のご本を読んでるの?」

「あのね……お花ー! あと、動物さん!」

 彼女は、今この瞬間も、カバンの中にその本を忍ばせていた。

 わざわざ取り出して見せる。

 その本は、彼女の胴体くらいに分厚い本だった。しかも二冊。

 フェルパーのような年齢の子どもなら、読むどころか持つことさえできなさそうな代物だった。

「す、すごいね~……先生も、こんな本なかなか読まないよ」

「えへへ……」

 フェルパーは、さすがに顔をうつむかせる。

 そんな彼女の後頭部に、親がポンと手をのせる。フェルパーは、ハッと顔を上げた。

「ええ。この子は、うちの自慢の娘ですよ。ねぇ、フェルパー?」

「……うん!」

 彼女は、親と目を見合わせて笑った。


 それから、約5年後。

 教会の裏山にある樹の上に、フェルパーは腰掛けていた。

 陽が昇り切った辺りから、夕方まで、ずっとそこで本を読んでいる。

 ある時、本を閉じた。

 伸ばしたほそい指に、鳥が止まったのだ。

 フェルパーを、樹の枝の一種か何かと勘違いしているらしい。

「ふふっ」

 彼女は、優しく微笑みかける。

 ところが、

「おい、フェルパー! そんなとこにいたのか!?」

 とつぜん、そんな大声が樹の下から響く。

 鳥は瞬く間に飛び去ってしまった。

 それは、同級生の声だった。数人が固まって、呆れたようにフェルパーを見上げている。

「……」

 フェルパーは、ふいっと目線を戻した。

「無視してんじゃねーよ。お前、何で巡回行かないんだよ」

 と、追加で声が飛んできた。

 巡回とは、街をめぐって寄付を募る活動のことだ。

 彼女は、しぶしぶ身を起こした。樹の上から、地面まで一気に飛び降りる。

 平然と着地するフェルパーに、同級生たちはちょっとたじろいでいた。

「……私は参加しない」

 フェルパーは、ぼそっと言った。

「は? なんで?」

「無駄だから」

 それきり、彼女は背を向けて立ち去った。同級生たちはちょっとざわざわして、

「いっつも独りで、何やってるんだろ……?」

「あの子、ちょっとヘンよね」

 そんな聞こえよがしな声が聞こえ、彼女は、三角形の耳をぴくっと動かした。

「自分から壁作ってるっていうかさー? クスクス」

 フェルパーは、舌打ちした。

(話したって、分かろうともしないくせに……!) 


 数日後、彼女は教会の個室に呼びだされる。すると、教師だけではなく、両親も来ていた。

 そして、ちょっとした話し合いが始まる。

「――フェルパーさんは、日課に参加してくれず……それどころか、いつの間にか抜け出していまして。教会活動で色々な方と触れ合うのは、とても大事なことなのですが」

 と、いつの間にか、教師の一方的なお説教になっていた。

 何度も聞かされた言葉をまた耳にし、フェルパーはうんざりする。

 しかも、父や母までそれに加わってきた。

「なぁフェルパー。普通の子は、皆、奉仕活動してるだろう? お前だけやらないなんて、変じゃないか」

「へ、変って……」

 フェルパーは、後ろから刺されたような心地になる。

「……寄付なんて、あんなの自己満足よ。どうして、私が自分のために時間を使ったらいけないの」

 彼女は、テーブルを両手で叩いた。

 しかし今度は、母親が、 

「でも、毎日毎日、一人で森や山に行っているだなんて……なんだか、ちょっと気味が悪いわよ、フェルパー」

「……!」

 フェルパーの尻尾は、逆立った。

「少しは、みんなに合わせなさい? そんなことじゃ、この先困るわよ」

 母は「ねぇ?」と、父と困り顔を見合わせる。

 フェルパーは、はらわたが煮えくりかえるのを感じた。

 ついには、めったにしないことを、衝動的にしてしまう。

「……もういい!」

 フェルパーが叫ぶと、そのせいで、両親と教師の肩が飛び上がった。

「バカばっかりよ、ここは! あんた達に、分かってもらおうなんて……思わない!」

「待ちなさい、フェルパー!」 

 あわてて、父が彼女の前に立ちふさがる。

 が……その制止も無視した。

「うるさい! 私の前から消えろ!」 

 彼女は、父の胸を両手で突き飛ばし、無理やりどかせる。そして、教会の部屋から出て行き、けたたましい音を立ててドアを閉めた。

(私……裏切られた……!)

 彼らの言葉は、彼女の心にしつこく残りつづけた。

 だから、彼らの姿だけは、二度と瞳に映すまい――と、彼女は誓った。

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