12
「最弱職業でも、冒険者は冒険者」
『弱い者から死ぬ――それがルールだ』
「冒険者たち。がんばって……生き残れ」
うとうとと、半分目が覚めかけた時、少年は、誰かが自分の体をまさぐっていることに気づいた。
胸、腹……と。ていねいな指先が、彼の体のあちこちに触れては、移動していく。
少年は、気味悪さにぞっとする。
(な……に……っ!?)
悪夢は、もう終わったんじゃないのかと、少年は混乱した。
あっというまに、目もさえてしまう。
けど、少年は起き上がれなかった。
誰に何をされようとしているにしろ、本当は、すぐに起き上がって、理由を聞くか、あるいは応戦しなくてはいけないはずなのに、少年は寝たままでいた。
「はぁ……ぁ……っ」
少年の体を探っているのは、ノームだ――と、そのかすかな声で、彼は気づいた。息が荒くなっているのが、妙だ。
少年の体が、指先一本一本まで硬くなる。
(ノームさん、いったい何やってんだ……!? まさか……っ!)
冒険者の誰かが犠牲になれば、他の者は無事で済む。
女神は、そういう意味のことを言っていた。
みんなが、それを聞いたはずだ。
そして、同じ犠牲になるなら、いちばん弱い者がなったほうがマシだ――そう考えついて、少年は目をぎゅっとつぶった。
「んっ……」
ノームは、かすかに声を漏らしている。
少年の首を絞めたりはしていないが、それでも、何かを探っている。
やがて、ノームの指先は、少年の腰に触れた。かちゃかちゃ、とベルトの金具が音を立てる。
(そ、そこはっ……!?)
少年は、いっそう体を硬くする。
ベルトから外されたのは、小さな果物ナイフだった。
それはフライパンと同じく、せめてもの護身用にと、少年が王宮の調理場から持参したものだ。
「主よ、どうぞお許し下さい……!」
ノームが悲痛につぶやき、そして立ち上がる気配がした。
(おい、なんだよそのセリフ……っ!?)
少年は、そこでようやく目を開けることができた。
急いで上を向くと、そこには、両手でナイフを振りかぶり突き刺そうとするノームの姿が。
ただし、その持ち手は逆手だった。
ナイフの白い切っ先は、少年ではなく、ノーム自身の首元を向いている。
途端に、体の硬直が、うそのように氷解した。少年は、ノームの脚に飛びかかる。
「やめろっ!」
「ひゅ、ヒューマン様……!? きゃっ!」
ノームを押し倒し、少年は馬乗りになった。
手首を掴んで、果物ナイフをむりやり首筋から離させる。
「や、やめて……! 離してください!」
「離すのはそっちだ! いったい、何やってんですか?!」
「私は……私は……っ!」
少年にのしかかられ、小柄なノームはうっ血して、どんどん顔が赤くなる。
表情はしわくちゃだった。
(な、泣いてる……!?)
「あぁっ……ああああああぁぁぁぁ!女神様、女神様……っ!」
つんざくような涙声が、ダンジョンの暗闇をびりびりと切り裂いた。
「何をしている!?」
さらに、聞き知らぬ低い声が、それに重なった。
ドラコの声だと気づくのに、少年は一瞬の時間を要する。
彼も、目を覚ましたらしかった。
ドラコは片手で、やすやすと少年をノームから引き剥がした。
「貴様……ノームに何を!」
「……!? ち、ちがっ、俺はただっ――」
その瞬間、少年の声は途絶えた。頬に激痛が走り、鼻から血が迸る。ダンジョンが、急にチカチカ明るくなって見えた。
「かはっ……!」
ドラコの、もう片方のこぶしが、さらに隕石のように落ちてくる――
が、
「ドラコ、止めてください! ドラコ!」
「ノーム……?」
ノームが、ドラコに後ろからしがみついた。やはり泣き乱しながら、
「違うのです、ヒューマン様は何もしていません! 彼を、傷つけないで……傷つけないで下さい……!」
ノームは、少年に回復呪文をかける。顔の腫れは、すぐに退いていった。
「あはは、これで少しは……い、イケメンになったかな……?」
少年は、エルフの真似をしてみた。
が、場の空気が和らぐことはない。
ドラコも、ノームも沈みこんだ表情だ。
なにせノームは、自分の喉を突こうとしていたのだから。
「なぜ、あんな真似をした?」
と、ドラコがノームに向かい合った。
「それは――」
「女神の言ったことに……絶望したのか?」
ドラコは、一語一語ゆっくりと話す。つぶった目元には皺が寄って、うろこの配列が不規則に乱れていた。少年は、ドラコの足の下に画鋲でも落ちているのかと、つい探してしまいそうになる。
「いいえ、違います」
ノームは、口を押さえながら首を振った。
「では、何故!」
「……本当に、ごめんなさい」
彼女はドラコの顔も見ず、うつむいて、やっとつぶやいた。
「謝れと言っているわけではない」
ドラコは、疲れたように吐息交じりで言った。脇で見ているだけの少年でさえ、一秒ごとに元気が空気に漏れていく気がしてしまう。
「早まった真似はするな」
「……はい」
「我々は……多少のことでくじけてはいけない。そのはずだ」
ドラコは目を伏せて、独り言みたいに言った。
そして、あらためてノームの手を握る。
「それに、私は、君を失うことに耐えられないだろう」
「ドラコ……」
じわっと、またノームの目から第二波がにじみ出る。
少年は、なんだか、居ても立ってもいられなくなり、
「そ、そうっすよ。女神だって、もう少ししたら治るはずだし! 次に鐘が鳴るのは、今日の午後でしょ? だったら、まだ時間はありますよ」
ドラコが、うなずいた。
「……彼の言うとおりだ。自ら死を招いて、いったい何になる?」
「そう、ですね」
ノームは少し顔を上げて微笑んだ。涙を拭きながら、
「……やさしい言葉をかけて頂いて、とても嬉しいです。ありがとうございます、ドラコ、ヒューマン様」
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