第二章:閉鎖空間の悪夢/制限時間の狂気
06
約4年前――
王都アンヴェルダへ帰ってきたエルフを出迎えたのは、固く閉ざされた城門だった。
見張り番とすったもんだの末、ようやく街に入った彼女は、真っ先に酒場に向かった。
「……まったく、みんな臆病すぎ~!」
と、エルフはふんぞり返る。酒の入ったコップを、勢いよく卓に置いた。
エルフの旧友たち――つまり、酒場にいる者ほとんど全員――が、それをハラハラと、あるいは苦笑いで見守っている。
「たかがモンスターなんかを……ひっく……怖がるなんて! あたし、モンスター扱いされちゃって、なかなか街に入れなかったんだから! もー最悪ぅっ」
「それは災難だったわね」
と、エルフの親友が苦笑した。
「もーさ、あんな壁、邪魔だし取っ払っちゃったら?」
「それはムリよ……。ていうか、あんた飲みすぎ」
「いや、まだまだっ!」
ぐびぐびっ、とエルフは喉を鳴らして酒を流し込む。
エルフは顔を真っ赤にし、べろんべろんな滑舌で、
「あたしはねぇ、モンスターなんか気にしないで冒険しまくってたのよ!? まったく、城壁なんか作っちゃってさ……うぅ、ひっく……! あぁたしだったらぁ、冒険者を集めてっ……ダンジョンなんて、征服してやるわよ! 今の腑抜けな王さま、アレ、あたしに王冠譲ったほうがいいんじゃないの? うふふっ……アハハ!」
椅子と机、双方を踏みつけて、エルフは豪快に酒を飲む。
酔っ払いの戯言――と、とられても仕方のない台詞だったが。
その瞬間、酒場は一転、拍手喝采で包まれた。
モンスター相手に、積極的に「戦う」という発想を持ったのは、アンヴェルダ広しと言えど、エルフが始めてだったのだ。
「――うぅっ、王様ってめんどくさすぎ! これじゃ、ぜんぜん冒険に行けないじゃない!」
エルフは、寝室のベッドで寝転がった。
ドレスのスカートがまくれるのも気にせず、股を大開きにしている。
豪華すぎる天蓋の飾りが目に入った。それが鳥かごか何かに見え、彼女は寒気を覚える。
「……良いじゃない、王様よ王様?」
「良くない! ホントに禅譲されるなんて、思わなかったよ……やだ、もぉ~っ!」
エルフはうつぶせになる。尻を左右に振りながら、枕に鼻を押し付けた。
「ん~~~っ!」とひとしきりうめいて、エルフはようやく立ち上がる。
鏡の前で、王女のために用意されたドレスを脱ぎ捨てる。そして、いつもの、半そで短パン姿に着替えてしまった。
「え、ちょっと、あんた王様らしい格好しなさいって!」
友人の助言を無視し、エルフは背嚢を抱え、マントをその上に羽織った。
優雅なロングヘアも、ぜんぶ編みこんで一本のポニーテールにまとめてしまう。
鏡の中には、いつもの自分――冒険者としてのエルフがいた。
「ヤ~だねっ!もう、こうなったらあたし、さっさと冒険者あつめて、ダンジョンを攻略してやるからさ!」
ため息をつく親友に向けて、エルフは、親指をピンと立ててみせた。
エルフの手は、その全ての指が力を失った。だらんと、手が開かれる。
それどころか、まぶたも、口も、体の穴と言う穴が開きっぱなしになる。そして最後には、全身が空気中に蒸発した。
体のひとかけらさえ残さず、エルフはこの世界の住人ではなくなった。
「そ、そんな……!」
少年は、何もない空間を手で掻いた。
ほんの一瞬前まで、エルフが居たその場所を。
けれど、逃げることも、立ち向かうこともできない。少年も、他の冒険者たちも、一歩さえ動けなかった。
魔王の手が開かれ、そして少年のほうに迫る。
「ぁ……!?」
エルフと同じ運命に会わされる――と、一瞬後に訪れるだろう激痛を想像して、少年は顔を背ける。
しかし、魔王は少年を素通りした。代わりに、床の何かを拾い上げた。
それは、キラリと赤く光っている。
(あれは……ルビー!?)
それには見覚えがあった。
数日前、女神ロリから少年が授かった宝石のかけらと、同じものだ。エルフが、持っていたものなのだろう。
魔王は、爪の先端でそのルビーをつかむ。
が、すぐさま、それを失った。
ハーフリンクが魔王の手に飛び掛り、右腕で、ルビーを瞬く間に掠め取ったのだ。
彼は、勢いがつきすぎて、着地すると床をごろごろ転がった。
彼の職業は「
ものを盗むのは、盗賊の基本的な特技だ。その技を発揮したらしい。
ハーフリンクは、自分のした事の実感がないのか、手の中のルビーをきょとんとして見ている。目の端に、じわっと涙が溜まっていた。
『チッ、小癪な……!』
魔王は追わず、代わりに手の中に何かを召喚した。
(あれは、鐘……!?)
木で出来たフレームから、鐘が垂れ下がっている。人間なら、両腕で突かないと鳴らす事はできなそうだったが、魔王は指先で容易く鐘を突いた。
『冒険者どもの命よ、ここで潰えるがいい!』
魔王の言葉と共に、鐘の音が響き渡る。物悲しく、苦しい音に、心臓をつかまれたような感覚を覚える少年。
「むっ……! 貴様、いま何をしおった!?」
と、第二パーティのドワーフが、気丈にも叫んだ。
『この鐘は、お前たちの生命の終わりを告げる鐘。これより、陽が空を一巡するごとに一度鳴り響き、お前たちの命を一つずつ奪うだろう』
魔王は、淡々と言った。
「な、なんだと……!?」
ドワーフも含め、冒険者たちの顔色は青を通り越して白くなる。
(え……それって、一日一人ずつ死ぬ……ってこと?!)
少年は、麻痺しそうな頭で必死に計算した。
冒険者は、エルフを抜いて七人。
それなら七日たてば、何もしなくてもこの場の冒険者たちは全滅する、ということになる。
少年の背中に、ぶわっと汗が噴き出した。
そこまで厳しい条件など、ダンジョンRPGでさえ聞いたことがなかった。
これはゲームじゃないんだ――そう痛感し、それがほんとうに痛みをともなうように思えて、心臓を強く押さえる。
魔王の真っ赤な舌が、牙の生えそろった口の中でうごめき、
『息絶えるその瞬間まで、暗闇の中で絶望の時を過ごすがいい。冒険者ども!』
魔王は、呪文を唱え出した。
『
呪文の力が解放されると、ダンジョンの床に亀裂が走る。やがてそれは大地震の地割れ並みに成長し、冒険者たちを飲み込んだ。
彼らは散り散りな方向に落とされる。体は激しく回転し、互いの姿はすぐに見えなくなった。
「あああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
まっさかさまに落下しながら、少年は叫び声を上げる。しかし、いつしか、彼の意識は失われていった。
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