第二話:たいへんだ、豆乳屋が#3

14年前、初めて彼らと出会った夜を、

冒険者ギルド長のケツァゴールは生々しく思い出せる。

 燃え盛るように赤い、月が大地を照らした夜であった。


 寝ているのか寝ていないのか自分でもわからないような風体で過ごす夜更け。

 一人のギルド員が彼の寝所のドアを叩く。

 この町でギルド立ち上げから間もない頃、

まだ町の中心に有るダンジョンの第一層、

その中腹までも占拠できていないころあいである。

 何か不測の事態が起こったら容赦なくたたき起こせ、

とギルド中に言明してある以上、それが実際は誤報であろうとも責めるつもりはなかったし、

 実際に誤報を聞かされることもなかった。




 ゆえにその夜が、初めて彼が睡眠を妨げられた夜になった。

 もっとも、現役時代から眠れぬ夜、

というものは鷹揚にしてなにかの急転が起こる予感がしているものだ。

 吉と出るか凶と出るか、

それだけは何年冒険者を務めようとも消して悟りえぬことであるのだが。

 はたして、そんな彼を呼ぶギルド員の声は困惑に見えており、

要領も得なかった。


 ただ、表門の前でギルド長を呼んでいる人物がいる、

門番では到底対応できない存在であり、

彼の命に従わなければどんな事態になるかわからぬと。

 そのくせにメッセンジャーボーイの声は遠慮がちで、

切羽詰っては居なかった。


 まあ、モンスターの襲撃ならば言葉を交わすこともなく、

よって恫喝や挑発なども起こり得ぬ。

 そんな風体の輩ならば、

腰に佩いた自慢の剣を持ってたたき出してやればよい。

では、そんな闖入者は一体何者か?




 先導するまだ年若いギルド員の背を眺めつつ、

そんな事を思いながら先導されること、大通りを歩きしばし。

 彼を待っていたのはなるほど、こんな存在は常識の埒外ではある。


 見上げるほどの人型。

それこそ屋根より背が高いとなると

"人型"と呼ぶしかない御仁が片膝をついて彼を待っていた。

『お初お目にかかる―――私の名前はテオドール。

貴方が三国に名だたる"冒険者の町"の冒険者ギルド長で間違いはないか?』

 目礼するその石像のような面を拝んだだけで、

ああ別に荒事にはならんな、とケツァゴールは肩の力を抜いた。


 互いに名前は交換した、次はこの文字通りの大者が何を欲しているかである。

 まずテオドールは切望する事の前に、自身が提示できる代償を捲し立てた。


 生身の人間には危険な討伐依頼などがあれば、

優先的にこなす意思があること。

 災害や施設の建築にも対応できること、

自分の体が入れるものならダンジョンにも乗り込むつもりであること。

 馬車にもなれるので要人の護送や物資の輸送なども効率的に行えること、

などである。

 最後の一つは眉唾であったが、

目の前で馬車になられると事実を認めざるを得ず、

夜中だというのに変に笑えた。



「で、あんたが冒険者登録がしたいのはわかったが。

 あんたほど使いつぶし甲斐のある新人は、

むしろこっちから頭を下げなくちゃ得がたい人材だというのは承知している。

それを踏まえてだ―――俺達に望むことはあるかい?」


 うなづくテオドール、

右に一歩ずれると彼には及ばずとも大きなガタイをもつ馬と。

 彼らの評価とは間逆に位置する、

細面のエルフがその腕に赤ん坊を抱いていた。




『ギルド長、われわれは故あってこの赤ん坊を面倒見ている。

成人までの長きにわたる間、彼をともに見守っていてくれないだろうか?』

 まさかの子連れで冒険者登録、こんなヤクザ家業に手を出さずとも、

立派な仕事にいくらでもつけそうな力を持つだろうこの存在が、だ。

 少なくとも嫁を迎えて子供を育てようとする同業者は、

早々冒険から足を洗って店を持つなり店に雇われるなりするものだ。

 畑を持つ奴も居た。


「とりあえずは乳母を紹介するくらいしかできんぜ?

いい教育者を紹介しようにも、

俺を含めてここに居るのはほとんどろくでなしだ」

 ここには、意識しなければ自分の名前の書き方も忘れてしまうやつがごまんと居る。

 だが、その意見にテオドールは首を振って如何を示す。

『別に貴族を相手にするような立ち振る舞いを習わせる必要はない。

乳母を紹介してくれる件は素直にありがたいが、

折を見て、この子は私が自らモテモテに育て上げるつもりだ』





 あごを落としてケツァゴールは絶句した。

「モテ…………女にかい!?」




 テオドールはしばし瞑目、わずかの思案の後、彼の目を見て肯定した。

『そうだ』




 良く吟味してなお、ゆるぎない彼の誓いに、

失礼とは思ったがケツァゴール抱腹絶倒である。

「気に入ったぞ、気に入ったぞ手前ら。

この赤子の行く末を、おれ自身も見てみたくなった!

まずはさっそく乳母のところに連れて行ってやろうが、テオドール。

お前さんの姿を見たらどんなに肝っ玉の太い女でも腰を抜かすだろう。

まずはこの小さな色男だけ、町の中に入れてやろう」

 その間、お前はどうする?

 その問いにテオドールはこう答えた。

『まずは自分の力量を君と私、互いに示したい。

無謀でもかまわないので危険なモンスターの狩猟などないか?』

「あるぜ、時たま顔を見せる下級ドラゴンの討伐、今のところ掲示板の高い高い位置に張ってある最難関任務だ。

明り取りに近い位置にある所為で、わら半紙が段々色ヤケし始めている」


 報酬も弾むぞ、というとなんの仕草か、ケツァゴールの足より太い親指を天に指し示し、不敵に笑うテオドール。

『それは何よりだ、金を持っているやつは相手の程度はどうあれ、

とりあえずモテる。

この子が、テリオスが独り立ちする頃には、

使い切れないほどの資産を用意してやろう』

 きりきり働くぞ?と、世知辛いことをのたまいつつ、不敵に笑う。


 なんとも心強い存在が、初めて冒険者の町に現れた。

 それがはじめの夜だった。







 豆乳ミルクを満載にして冒険者の町、その表門にやってきた立派な馬車。

 昨日の騒ぎの中心人物?であったその存在を前に、

門番たるものやはり声を挙げねば職務怠慢になってしまう。

「とまれ!とまりなさい其処の色男が乗った馬車ァ!」

 イヤらしい笑いを浮かべつつ、

簡素な鎧と槍を持った若い男が朝一番の来訪者を止めた。


「おはようございます門番のオブライトさん。

豆乳ミルク屋です」

「んン?怪しいナァ、怪しいナァ

…………そうやって危険物を背負ってやってくる不埒者が後をたたんのだ。

 まして君は昨日もバ系のやくそうを担いで、

裏手を爆走していたようじゃないか?テリオス。

 純朴そうな顔をして豆乳ミルク屋ですなどと嘯いても、

たとえ暇をもてあました若奥様が門を開けようと、

本職の私が唯で門を開けることはない。

 さあ、まずは積荷を改めさせてもらおうか!?」

 そういってずい、と木製のマグを突き出す自称律儀な男、

上官さん不正略取です。


 仕方がないなぁ、と御者台から飛び降りるテリオス。

 幌の裏をめくると、見知った顔に、

やぁと手を上げ朝の挨拶をするベネッタが居た。

 ダンジョンだけにあらず、表の仕事もそこそここなす彼女は門番たちとも多少の面識は有る。

 それどころか彼女を迎える役は譲らぬと、

詰め所でもみ合いになる程度には支持者を持つ、

売り出し中の中堅女性冒険者であった。


「ん?ミルクの生絞りまで売り出すのかい?手広く儲けるなぁ」

「自分の吐いた反吐尻から流し込まれたいか貴様」

 朝からお下劣、門番といえども其処は冒険者の町クオリティ。


 果たして売り物の豆乳ミルクをなみなみとせしめた門番は、

ベネッタの冷たい視線を身に浴びつつ、

まだ熱い豆乳ミルクをうまそうに飲んだ。

「あぁ、今日のこのいっぱいのために生きてるなぁ。

これが終わったら昼休憩を除いて退屈な立ちっぱなしの仕事だ、

本当にお前さんとの邂逅だけが私の潤いだよ」

「ダウト、あなたと同じ立ち仕事のミセットさんが、

彼女に向けても同じこと言ってたと教えてくれました、この前」

 彼女は華を売っているにもかかわらず、実際華を持っているところをみたことがないという矛盾にまみれた職を持つ女性だ。

 夜遅くまで仕事をしているからか、

羽振りがいいことに良く軽食やお茶を共にするのだが、

いつだって昼頃は眠そうにしている。

「おい本当か?

そんなことまで筒抜けなお前さんに嫉妬したいところだが、

実際はまったく嫉妬する必要がないあたりアレだなテリオス」

「なんかオブライトさんまで矛盾にまみれた発言を始めましたねぇ…………」

 首をかしげるテリオスに、馬車が制止の声をかける。

『テリオス、女性に謎が多いのは世の常だが、はっきりわかることも有る。

今まさにベネッタの機嫌が急転直下大暴落、ほかの女性の話はほどほどにするんだ』

「ハァ!?何も怒ってねえし!」




 はい諸君、ここでテオドール直伝の、

理不尽に怒る女性の不機嫌を緩和するトーク術が入ります。

 小首をかしげて「おこってます?」と問いかけるテリオス。

 まずは相手に主導権を与えることが重要、発破をかけます。

 もちろん滅茶苦茶怒ったまま「怒ってない!」と返してくるベネッタ。

 だがしかし繰り替し繰り返し「怒ってます?」と聞くことで段々と

「あいつの商売女なのに~」とか「お前わかってないのに~」

といった地の感情が聞き取れます。

 やがて感情的な部分に振り回される所が抜けていくので、

頃合を見て相手に対する愛情をたっぷり込めて

「おこっちゃいやです」とささやきましょう。


 この技を実際に使う時点で注意すべき点は二つ。

 『引き際を誤らない事』と『自分から謝らない事』

 どちらも火に油を注ぐことになりかねません。


 そして、残念ながら上記の技は、

有る程度気心の知れた女性に対してでないと端から逆効果です。




「はぁ…………おまえらとっとと行けよ」

 重苦しいため息を一つ吐いて、門番は道を開けた。

 飲んだ豆乳ミルクが早くも胃にもたれていた。






『ム!?テリオス、殺気を感じる。

この大通りは急いで駆け抜けるぞ!』

 門をくぐった瞬間、彼らの乗っている馬車はそんな事を言い出した。

「ちょ、殺気ってここ町の中よ?

昨日みたいにモンスターが入り込んでるって言うの?」

 獲物を持ってきていないベネッタは少々同様気味に言うが、

御者台に座るテリオスが首を振って否定した。

「いいえ、この気配は人間のもの。

となれば僕らに牙向く相手は明白。

豆乳ミルクに飢えた冒険者達に他ならない!!」





「「「「ヒャッハー!!」」」」




 見知りたくもない顔見知りが路地から現れ、

民家の屋根から飛び降りて、そして軒下から蛇のようにはいずり出てくる。

「ミミミ、豆乳ミルクだッ!豆乳ミルクをよこせぇぇぇ!!」

「喉が、腹が、体中が渇いてるんだよぉ!」

「な、いいだろぉ?先っぽだけ、先っぽだけだからよぉ?」


 豆乳ミルクの先っぽとは何か?

 なかなかに深遠な表現だが構っている暇はない。

 商業ギルドの制裁をものともせず、

自身の欲望に正直すぎる不良冒険者達が入れ替わり立ち代り迫ってくる。

 テオドールは自身を引く響天ぎょうてん号を急がせると、

サスペンションを軋ませて取り付いたアクタレどもを振り落としにかかった。

 だがしかし!


「くっそ、中にまで入り込んできたッ!」

「ち、チチチチチチチチチ乳ィ!」

 酒の抜け切れていない息を吐きながら、

長い舌を伸ばしつつ迫る冒険者を蹴り飛ばすベネッタ。

 舌をかんだのか悶絶して転げ落ちる。


「はいはいこれから宿の食堂に卸しに行きますからね!

親父さん達に迷惑かけないように買ってってくださいねぇ!」

 御者台から飛び降りると、

筋力強化の魔法を使って前から迫る冒険者達をなぎ払いつつ叫ぶテリオス。

 邪魔臭いからといって響天ぎょうて号に轢かせるわけにもいかん、

オーバーキル過ぎる。




『テリオス、見えてきたぞ!?

配達先の一軒目、サルノコシカケ亭だ!』


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