第二話:たいへんだ、豆乳屋が#1

 早朝、朝日の白と月の桃色が交じり合う朝霧の中。

 ベネッタは山を登っていた。

 いでたちは動きやすいシャツとショートパンツ、

ニーソックスの上に山歩きにも耐える冒険者用の丈夫なブーツ。


 どれも貰い物の古着である。

昨晩の宴でまさか洒落っ気があるとは思わなかった、

と失礼千万な感想をよこしてくれた、

冒険者ギルドに所属する女性陣がよこしてくれたものである。

 服に罪はない、それに今日、

この町の裏手に有る山に登っているのは冒険者としての活動ではなく。


 過日の巨大ゴブリンとの戦いで大破したダイハチ

 テリオスの相棒、その代わりを勤め上げるためである。




 テリオスは日々の糧、豆乳ミルク配達を休んだことはない。

 むしろ夜っぴて酒をかっ食らった冒険者達のために、

胃に優しい豆乳ミルクを、町へ多めに卸すことだろう。




 かさばるミルクタンクを運び出すならば、きっと人手が居るはずだ。

 何往復かかるかわからないが、

命を救ってくれた少年を助けることはやぶさかではない。

 少々寝不足の頭も、山頂程近くまで足を運ぶにつれはっきりとしてきた。


 だがしかし、彼が世話になっているという噂の商業ギルド所属

『フォルクス乳業』なる寄合クランは謎の多い組織と聞く。

 本拠地の場所こそ明らかになっているものの、

その敷居を跨ぐには商業ギルド長の免状がなければならぬとも聞いた。

 冒険者たる自分がぽっと現れて、果たして使ってくれるかどうか…………。




『やあ、君はテリオスの友達のベネッタじゃないか。

 朝早くから会いに来てくれたのかい?』



 山歩きをものともしなかった足元が、つんのめった。

 その施設の入り口前には、乾布摩擦に励む巨大な馬。

、そしてダイハチの親分、昨日大立ち回りを演じた謎の馬車が止まっていた。

「あ、ベネッタさんおはようございます」


 寝巻き姿のテリオス14歳が、その馬車の荷台からひょっこりと顔を出す。

 宵の口で宴を強制退場させられた少年は、

久しぶりの寝床でもぐっすり安眠できたらしい。






 とりあえず、テリオスの助手として使ってもらう一日の始まりは、

彼のストレッチ運動を手伝うことから始まった。

「まあ、激しい運動の前に体を温めるのはわかったけど、

ずいぶん体柔らかいね」

「筋力強化を通すときは、みっちり筋繊維がつまっているより、

柔軟性があったほうがいいらしいです」

 前屈伸する少年の背を前に、ぐっと体重をかけるベネッタ

 もちろん押し付けた、豊かなやつをだ。

 だが毛ほども動揺しねぇ。


「ああ、でもやっぱり男として筋肉をつけたいなぁ、

がっちりしたやつを…………」

『ははは、それは早計だぞテリオス。

 時代は必ず線が細い男のほうに傾く、

 せめて細マッチョぐらいに抑えておかないと』

 謎の持論を持ち出す馬車、

だが傍らの響天ぎょうてん号はその前足で力こぶをこさえてみせる。

 細面派と筋肉派はここに対立した、真っ二つだ。


「と、ところでテリオス。

 そこの立派な幌を羽織った御仁なんだが…………」

 ちらちらっ、と馬車のほうに視線を向けながら聞く。

「はい、僕の友達のテオドールです。

僕が生まれた時からそばに居てくれたんですよ?」

『よろしくな!

 いつもテリオスに色気を振りまいてくれてありがとう!!』

 なんともさわやかに、教育上よろしくないお褒めの言葉をいただいた。

 こんな保護者とよろしくできるだろうか。


「そして響天ぎょうてん号、そういえば昨日一緒に乗って歩きましたね」

 立派な蹄でベネッタの尻を指し、己が背中の鞍をたたいて見せる馬。

 そのニヤケ具合から察するに、おう好い尻をした嬢ちゃん、

また坊主とタンデムさせてやるよ、とでもいいたいのだろうか。


 桃色の光を放つ月は、すでに西のほうへ顔を隠しつつあるというのに、

ベネッタの頬は赤くなるばかりだ。

 しかし程なく体をほぐした少年は立ち上がり

 『フォルクス乳業』の出入り口へ向かう。

「さて準備運動を終えたところで、そろそろ商品を取りに行きましょうか?

テオドールは先に商品搬入口のほうに回っておいてよ。

7年ぶりに……本当に久しぶりに、一緒の仕事だ」

『心得たぞ、テリオス』








 冒険者の町は戦闘都市である。

 そこに住まう人々が、

大穴から定期的に沸くモンスターを狩って暮らす場所だ。

 ダンジョンを中心に放射状に広がっていった建物、

表門へ続く大通り以外は馬車がすれ違う程度の小道が並び、

歩きなれぬ者が行けば迷うこと必死。


 ダンジョンを迷宮という蓋で塞いだような有様である。


 だが住み易さでいえば、緩衝場周辺以外は、

各ブロックごとに生活に必要な店を商業ギルドが出しているし、

武器屋防具屋やくそう屋、

そして宿屋が採算取れているか不明なほど住宅街にひしめき合っている。


 仮に諸君が超文明世界に住まうものだとすれば

 沢山コンビニがあります。

 その程度に便利と考えてもらえばよい、かも知れない。



 だがしかし、そんな便利な場所でも手に入らないものは有る。

 家畜を育てる余裕がないのだ。

 都市の外周には鉄柵が生え、

 最悪封鎖か放棄するのが前提の戦闘都市ゆえに、のんきに放牧などやってられないのである。

 よしんば周りの草原でかわいいかわいい牛など育てても、

最悪モンスターの餌にするリスクを負う酪農家などいないのである。


 ゆえに、せいぜいが商業ギルド管理の養鶏場で卵をせしめる程度。

 食肉はモンスター由来の品か程近い村から、

保存魔法で運ばれる定期馬車便で、大量に買い付けているのだ。




 だがしかし、乳が手に入らない。

 圧倒的に乳製品が手に入らない場所柄なのである。




 保存魔法は固体を覆うように膜を張って使うもの、液体にはむかない。

 保存魔法をかけた容器を用意すればいいと考えたら、

魔道士ギルドが首をひねった。

 曰く、容器にかける年間維持費を考えたら、コップ三杯で仔牛が買えるよ?

 負けてくれといったら殴られた、グーでだ!

 ちっとも痛くなかった。


 そして余談だが闇チーズの売買は重罪である、

商業ギルド禁制の焼印が押されたものしか買ってはいけない。

 密輸入した奴が無事に朝日を拝めたという話は、

この町で聞いたことがないのだ。

 商業ギルドの制裁ではない、冒険者共がこぞって奪い合う

―――そしてチーズと同じ重さの血が流れるのだ。

 規制しようと考えたやつは責められるどころかほめられた。


 とまあ、上記のように長々説明したわけだが諸君。



 乳離れできていますか?この町の人間は駄目です。




 そんなおっぱいが恋しいとROCKする、

この町に住み着いたいかつい面構えの冒険者達がしみったれた顔を突き合わすこと五年。

 乳飲み子を卒業して、たかだか3年そこらのハナタレ小僧が、

こんなことを言い出したのだ。




「まめをしぼってもミルクはとれるよ?」




 テリオス、当時5歳。

 言わずもがな本作の主人公である。


 冒険者ギルドの正面広場は爆笑の渦、いやらしい意味でも爆笑の渦。

 中でもひときわガタイのいい冒険者

"樽酒飲み"ボルッヘは頬を引きつらせこう言った。

「オウ坊主、そんなやくそうみたいな豆があるならちょっと持って来いよ!

もし本当にミルクが出るなら、この前近辺で発見されたゴブリンの巣、

ジョッキでなぐって全滅させてくらぁ」

 担ぎ上げた酒樽から金属製のマイジョッキに酒を注ぎつつ、小ばかにする。


 程なく立派な馬がハナタレと同じ体積ほどの麻袋を担いできた。

 中身を空けると人差し指の先ほどの豆がぎっしり詰まっている

 黄金と同じ色をして見えた。



 はたして石でできたすり鉢と金属棒、熱い湯が用意され、

その豆をすりつぶし始める小僧。

 丹念に、そして必死に作業をするその姿は、

人を揶揄するのも呼吸と言わしめる冒険者達を持ってしても、

幼児の本気を思わせた。

 スナック感覚でぼりぼりその豆を食ってるそこの馬も、

少し手伝ってやれと思う程度には同情した。


 そしてお湯を挿し挿し、

その鉢の中にお空に浮かぶ雲を思わせるほどの純白の汁がたまる頃には、

期待感が押し寄せた。

 白い液体が満たされた鉢を取り上げるボルッヘ、

それをかじりつくように一気飲み。

「はあああああああああああああああああッッッッッッ!!」

「ヲォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ!!」

 たちまち傍らに居た馬と顔を合わせ競いあうように絶叫し、

チョップで鉢を叩き割ると、町の外へ走り出す。


 ばかやろう代わりのすり鉢をもってこいと、

入れ替わり立ち代り冒険者達がその豆をすりつぶし試す頃には。

 汚らしい血濡れのジョッキを持ったボルッヘが帰ってきた。


「やあ思いっきり働いたゼ!すまんが熱いミルクをいっぱいくれないか?」


 "ミルク飲み"ボルッヘの爆誕である。

 その場に居た、伝説を目撃した冒険者達の心は一つであった。





 ――――それで飲むのか?




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