領主閣下の自慢の馬車#3

 この一年、館から漏れ聞こえてくる声を転生者は受けてとめていた。

 家人が話す断片的な情報だけでも、

感じ取ることができる転生前に出会った脅威。

 悪神シャルガス、

あの悪意の塊のような存在を一身に受けた、

ムルジム・ストールの妻が見せる一貫性のない奇行だ。


 曰く、領の金を流して地方貴族の次男、三男を呼びつけ。

 女だてらに軍の扱い方を指南していた。

 曰く、首都から徳の高い宗教者を呼んでは、話も聞かずに追い返す。


 妙に鏡を避けるようになった、

 水がめに暴言交じりの独り言を叫んでいた






 自分の子供を抱いたことがない。




 はじめはそんな事であった。

 そして今ではそんな話すら彼の耳には入ってこない。




 一人、また一人と館を離れる家人。

 転生者は最後に一度馬車倉に赴き、

 国から施された馬車を苦しそうに眺め一礼した家老の表情を覚えている。





 そんな中、諦めだけの一年以上をかの転生者は費やしていた。

 所詮は馬がいなければ前に進むこともできない馬車の境遇である。


 どうやらこの辺境伯の館を取り囲んでいるのは、領民の集団であるらしい。

 たいまつのはぜる音、地を踏みしめる薄い靴の音、悲痛な男女の訴え。

 屋敷の裏手にあるこの馬車小屋にまで響いてくるということは、

ムルジムは門を開け放っていた、ということであろう。

 怒り狂う領民たちの手に掛かり、罪を償おうということなのだろう。


 歯車がかけたかのように、日々狂って行く領内の不等を肌で感じていた。

 かたくなに弱音を吐くことを拒み、

まるで我々だけが心許せる友のように笑顔を見せる、

ムルジム卿の苦悩を感じていた。


「なして食う麦穂もないほどに俺らから税をむしりとるだ!」

「もう村の周りには剥ぎ取って食うほどの木の皮もねえ!」

「今日私の子が飢えて死んだわ!

この子の顔を見てあんたはなんとも思わないの!?」


 糾弾が空っぽの荷台まで響く、もしやムルジム卿は、友は。

 暴徒と化した領民の前に出て、其の怨嗟に身をさらしているというのか?


 そして、ついに停滞の破滅を告げる其の声が、転生者の幌を震わせた。





「私の首を取れ」

 じゃり、と輩の蹄が地面を擦る。





「戦でもない、国からの要請でもない。

 此度の搾取はいたずらにわが身の放蕩から起こした処遇である。


 ゆえに我が首を取れ。


 ここに国王陛下への嘆願書をしたためて置いた。

諸君の決起が反乱ではなく、

其の正義を私自身が認めたものであると記したものだ。

 我が首とこの書を持て、国に保護を求めるといい。

これまでの我が剣働きにその程度の価値があることを、

必ず王は認めてくれるだろう」


 ちがう、と転生者は叫びだしたい衝動にとらわれた。

 もし報紙が語るように、領民諸君が嘆くように、

領地の運営が悪化したのであれば、それは悪神の仕業だ。


 そしてその悪神の思うがままに振舞うことを許した自身の敗北が招いた惨事、自分がかの黒い光の飛まつに弾き飛ばされていなければ!




「ちがう…………俺の聞きたいことばはそんなことじゃない」

しかそ其の時まだ青年の、

もしかしたら転生者自身とそう変わらない年頃の領民が否を告げた。


「こんな紙切れに書かれた許しを、俺たちはほしいわけじゃない。

どうしてこんなことになったのか、真実をあんたの口から聞きたいんだ、

ムルジム卿。

魔物どもとの戦の前、領地を査察に来たあんたと分けた、

芋鍋の味を俺は覚えている。

必ず勝つとあんたは言った、

そして一緒に領地の未来を語り合ったじゃないか」


「んだ、今日みたいに優しい赤い月夜だった

…………あんたのつらぁ、あん時からまったくかわってねえ」

「どうしても、悪辣な仕業を考えるような顔に見えねえ」

「ほんとのことをいってけろ、納得するし、

今度は気の根っこ掘り出してかじっても麦さおさめるから、

絶対に収めるから…………」


 愛の言葉だった、瀬戸際でこぼれ出た領民たちのむき出しの本心。

 怒りの淵がほんの少しだけ引いた底にあったのは、

これまで愛された領主へ向けられる悲嘆であった。



 しかしムルジムの口から真実が語られることはない。

 謎の心変わりの果てに、

傾国に至るまでの悪事を繰り返した妻の事を最後まで隠し立てしたままで。

 ほかの放蕩貴族たちと館を出て言った妻の目もなく、

領主に最後まで尽くすと残った家人たちも放逐して。

 たった一人、誰からも愛された領主は愛するために、

愛した者たちに討たれんとするのだろう。




 そして、ほの赤い夜の空気を切り裂くように、

赤子の鳴き声が全員の耳朶を打つ。

 其の声はなぜか、転生者を呼んでいるような気がした。




 膠着した時を崩すのは、飢えで子を亡くした母の叫びであった。

 鋼を鞘走らせる音、地獄の底から響かせるような金切り声。

「ああ、あんたが死にたいってのは良くわかったよ

、一思いにこの包丁をふりおろしてやるさ!!

…………でもね、せめてあんたの子供はあたしがもらってゆくよ!

子供に罪はないんだ、あたしが単なる村の子供として、

しっかり育ててやるよ!!」

「んだ、みんなで育てる!!」

「自慢の馬車もうっぱらっちまうべ、ちちしめだいにあてるべ!」





――――――神よ、転生者は問うた。

――――――私は、ただあきらめるためにこの地に転生してきたのですか?







 転生者はほんのわずかの間、

言葉を交わしただけのムルジムをどう思っているか自問した。

 ただ物言うだけの無機物と化した自身に、なお友情を感じてくれた男。

 わが子をめぐり合わせ、未来を語ったその友の瞳には一点の曇りもなかった。


 果たして、この地に正しく人の子として、彼の子として転生できたとしても。

 今の自分の体たらくをして、はたして胸を張れる自分であっただろうか。


 否、何をどう取り繕うとも、

 こんな燻っているだけの自分が女にもてようはずがない。

 自身の望みと友の未来をつなぐ為、転生者は一考を案じた。


 だから事を成すそのために!





 響天ぎょうてん号は答えを出した、其のたくましい後ろ足で地を駆け、

領民の前に座り込む主を掻っ攫う所存である。

 だが、一歩を踏み出そうとした其のとき

――――――背後で誰かがうなるのだ。

 いつも気の抜けたような気配で、彼と屋根を共にしていた"だれか"


 主が愛した誰か、主の子の顔をみて子を愛そうとした"誰か"

――――――神の気配をわずかに宿した"何者か"。



『ぉお…………おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!






ウゥォォォォォォォォォォォッッッッッ!!』







 賢馬活目、しかと正座。

 今まさに、奇跡が産声ROCKあげる間際、

夜風よまさか風向きが変わるのか!?それは追い風か!!


 声高になく赤子、力の限りうめく赤子、

生まれるはずであった一つの命、

たとえ分かたれようともそれは月夜に共鳴している。


『神よ、たとえ自分自身が望まなかった転生だとしても、

けしてモテない新たな命だとしても。

硬く目を閉ざしていても愛してくれたものが確かにいたのだ、

今もなお自身に愛する心があるのだ。

奇跡を見せてくれ!否、起こしてやる!!

この手も足も出ない状況下、私の救いの手を待つ半身がいるのだ、

手をこまねいている場合ではない。

否、手を引かれずとも二本の足で……』




 友たる領主にいい格好を見せよう、

 さあ――――おきろじぶん《wake up》 





           腕 が 突 き 出 し た。




 馬車の車体が派手な火花を散らせ、

車輪が金属音をかき鳴らすと地を叩き割るように膝をつき。


 幌を腰元でまわすとそれは外套のように広がった。


 目が開く、首を上げ、目が光り、口が産声ROCKあげ、

 その目が、前を向く。


 ゆっくりと上体を起き上がらせる頃には、傍らで草をすりつぶすための頑丈な歯をむき出して笑う輩が見えた。



 望んだ四肢に望んだ力。

神よ感謝する、望み変えようともチートは正しく受け取った。




 さあ、冒険の始まりだ。








 かすかに地を揺らす振動、そしてゆっくりと近づいてくる謎の音。

 ムルジムと領民は動きを止め、辺りを見回した。


 <アレナロゥズ>の地に暮らすものにはわかるまい、

そのガションガションという金属音は

大地を踏みしめるショック・アブ・ゾバーの音である。

「あれは…………私の…………馬車、なのか?」

 月明かりを背に、館の影から其の身をあらわす巨人

 親愛なる読者諸君の基準に当てはめれば身長7メートルにもなろうか。

 嗚呼諸君、屋根から首が飛び出て見えるほどに、その転生者は背が高かった。


「馬車…………?」

「領主閣下の…………自慢の馬車?」

「馬が………傍らの馬が…………大きいのにあんなに小さい…………」


 徐々に怪音を高鳴らせ、近づいてくるその巨体に、

領民たちはそろって腰を抜かした。




『ムルジム卿……………』

 膝を突いて互いの顔が見えるほどになっても、

ムルジムが見上げなければならないほどに其の顔は高い位置にあった。

『まずは領民たちの、目の前の愛に答えてくれ、。

 そして苦しくとも、親身に接してくれる人と共に今は身を潜め、

再起を待て―――――追い風を待つ、恋心のようにな』




 詩篇ポエム!?

 驚きを隠せない者たち。 




『いずれ家族がそろうときが来る、きっと笑えるときが来る

…………だからそれまでは…………この子供は私が育てる!』


 おお、ドヤ顔で親指を自身の胸に指し示し、

其の反対側になる巨人の手のひらでは、 転生者と祖を別った、

赤子のテリオスがキャッキャッと笑顔を見せていた。

 読者諸君、それはもうえらい喜びようだ、

まるで欠けていたものを取り戻したかのような様だ。

 ムルジムもつられて笑顔を見せざるを得ない!

ちょっと引きつっているけれども!!


 やがて中折れ帽のへりを蹄でしゅっと擦る響天ぎょうてん号とともに、

門をくぐる自慢の馬車を、そこにいるものたちはただ見守っていた。



 馬と赤子と、よくわからない何者か。

 彼らの、冒険の第一歩を。






 今はまだ、転生者の望みは赤い月しか知る術があるまい。

 だがしかし、近く諸君の前に、転生者の望みが形になって現れることだろう。


『テリオス、君の父が望んでいた、騎士人形に私はなろう。

 君が望むままに知識を与えよう、外敵を討つ剣になろう。



 そして喜べ、必ずや。

 ――――君を"モテモテ"に育て上げてやるぞ!!』




 舞台はこの夜から14年後。

 三国の中心位置、冒険者の町から始まる。

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