領主閣下の自慢の馬車#2
其の馬車倉に有る意思は4つ、
ストール辺境伯、其の息子テリオス。
其の赤子を嘗め回したくてなおこらえている馬と、
そして馬車。
馬車の御者台に腰掛けたムルジムはご機嫌であった。
長く家を空けていた彼が、ようやく抱くことのできた彼の子供。
十月十日の大部分を、従者と共に旅団を編成し、
新たにできる<冒険者の町>の査察であったとムルジムはいう。
「噂の大洞窟を中心に、ものすごい勢いで町が作られてゆくんだ。
其の地に住まおうとする人も多く集まっている。
<法国>の王室巫女達が揃って夢に見たお告げどおりに、
一つ目を運び出されているときに、第四層の中心付近で二つ目が発見された。
そうしたら、各国の調査団もいきり立ってそれがどのようなものか、
群がって調べ始めるんだ。
堅物そうな学者肌たちが、ものすごい活気だった。
本当なら、君たちと共に行きたかったのだが
どうしても足並みが揃わなくなりそうだからね」
右手を馬車に沿え、愛馬を眺めながら見てきた町を語るムルジム。
ここには、彼の宝物しかない。
三国の未開拓地から押し寄せた魔物討伐の折、
かの<武国>の戦士団に負けず劣らずの武勲を挙げた際に、
国から下賎された馬。
天にも響くと評判だった屈強な馬は、
乗り手をムルジムと定め、以来いくつもの戦場の渦中を共にかけた。
もとより神をあがめる事を定められた<教国>にして、
辺境を治めるムルジムの魔物に対する威力は誉れ高い。
そんな彼の愛馬、
国を問わずちょっとした伝説になっている。
そんな馬と共に国から送られたのが、かの馬車である。
戦馬に物を引かせるのか、と諸君は首をかしげるかもしれないが、
アレナロウズの地に住まう馬はとても賢い。
主にとって必要なものであるという認識ならば、
どんなことでもする忠義者なのである。
だが、その戦馬のなかでも規格外とされる
響天ぎょうてん号に引かせる馬車である。
国の職人がこぞって名乗りを上げ、作られた特製の馬車。
荷の積載量も乗り心地も別格で、
足回りは何よりどんな悪路にも負けぬ頑強さ。
だが、ムルジムの自慢はもちろんそれだけではない。
三国を震撼させた<光の舞い降りた日>に、
彼の馬車にも天から、細く小さな光が舞い降りた。
すると、おおなんということか!
輝くような白に色形を変えると、その馬車が意思を持ち、
人の言を話し始めたのである!
これはまだ馬車本人(本車?)にも伝えていないことであるが、
かの冒険者の地で見た聖櫃と同じ気配をかすかに感じている。
だが、重要なのはそんなことではない。
礼儀節度を持ち、深い知識と教養を持つこの馬車の人格(車格)を
ひとかどの物と知り。
三度言葉を交わすころには彼らはすっかり友となっていたのである。
「なあ君、この子がもう少し大きくなったら、首都に行こう。
<武国>の首都で流行の、騎士人形があると聞いて、
我が国でも商いをはじめるそうだ。
三国の男子なら誰もがほしがるほどに緻密で精細な出来、
そして其の人形たちは崇高な物語を持っていて、
街角で詩人が語る時は子供に限らず男たちは皆聞き入るそうだよ?」
『ムルジムよ
……メディアミックスの波はこんなところにも届いていたのか……』
「めでぃあ……なんだい?」
馬車は博識であるが、時折よくわからない事を言う。
まるで天か……超文明世界から訪れたかのような振る舞いである。
明り取りから漏れる光は、すっかり薄紅色だ。
きっともう、月も中天に近いころあいなのだろう。
「ああ、もうこんな時間か。
君たちと過ごすときは、本当に短くて困る。
わが子を夜風にさらすわけにもいかないし、執務もある」
ムルジムは後ろ髪を引かれる思いで、御者台から降りると出口に足を向けた。
「また近いうちに顔を出すよ、この子と一緒にね」
『…………ムルジム卿』
出てゆく寸前、硬い声音で馬車が彼を呼び止めた。
『私はお目にかかったことがないが、そこのテリオスの母親は
―――――君の御夫人には、変わったことはないか?』
息を呑んだ。
何か知っているならば問いただしたいという欲望が鎌首をもたげた。
しかし硬い呼吸を飲み下し、ムルジムはゆるゆると首を振り、
自慢の馬車に笑いかけるのだ。
「いやはや、相変わらずご機嫌斜めさ。
この子が生まれる前に長く家を空けたのが良くなかったんだろうね。
ただ癇癪も当然、仕事の入った僕の不手際なんだから、甘んじて受けるよ」
『そうではない、文字通り人が変わっていなかったか?
一年近く家を空けたら、別人のように冷たく、
恐ろしい性格になったりはしていなかったか?』
「確かに、ちょっといま、家には居づらいかもしれないね」
『きっと、君の嫁はその子を守った』
わが子を抱く手に力が入る、いつの間にか目を覚ましていたテリオスが、不思議そうな目で馬車を眺めていた。
『嫁への愛を忘れるなムルジム卿、彼女はきっと命を賭して、
其の子を産んだのだ。
君の子供だからだ。
たとえ世界中が君の細君をとがめようとも、
彼女は君を思い、戦って、勝ったのだ。
君が嫁への愛を忘れる事なければ、
後はきっと巨神がうまく事を運んでくれる』
「馬車よ、君は……」
『すまなかった、ムルジム卿。
私は、君の子供になれなかった。
巨悪を倒す力もなかった、
今君を襲う苦しみを分かち合う資格もないのだ。
なんといっても、手も足も出ない馬車の身だ
――――本来は口を出すのもおこがましいものだ』
うそだ。
ムルジムは馬車の声色から、優しさを感じている。
転がり落ちるように悪くなってゆく、
彼の身辺に打ち込まれた歯止め。
それを感じえぬほど、愚鈍ではない。
『だがあえて言おう、ムルジム。
私がモテることはもうないが、
君の息子は幸福になる未来を"持て"る、
私がしかと見届けた』
※
そしてさらにいくつかの月を跨ぎ、
どこからともなく
辛気臭いを超え、切迫した状況を伝えるばかりだ。
地方領における不作から来る税収の低下、それに伴う領主の横暴。
相次ぐ領民の餓死、変死。
すでに報紙はマスメディアの客観性を放棄し、
内乱への正当性を声高に訴えるだけの役目しか果たさなくなっている。
そして何よりも、其の紙が幾度も伝える諸悪の根源。
横暴を重ねる地方領主達をまとめる、
辺境伯ムルジム・ストール領の名前である。
響天ぎょうてん号はぐしゃりと報紙を丸め、
飼葉の上に放り出すとその場に胡坐をかいた。
瞳を閉じ、どこかひりひりする空気を其の肌で感じ取っている。
彼はけして、この馬車倉付近で感じることはないだろう、
そう思っていた雰囲気であった。
『
転生者の言葉にうなづく
馬車は覚悟を決めた、もうすぐこの屋敷に向けて内乱がやってくる。
国軍かも知れぬ、あるいは領内の<魔物討伐軍>かもしれぬ。
あるいは、怒りに身を任せた領民か――――――。
転生者は領の運営などわからない。
ただ、獅子身中の虫を飼ったままうまく事を運べるはずもない事はわかる。
ゆえに、ムルジムが自身と話す間もないほどに領の仕事に取り組もうとも。
焼け石に水であったということなのだろう。
明り取りから漏れる月光はまるで、血のように赤く、
いやおうなく不吉を感じさせる。
やがて近づいてくる喧騒に険しい顔をした響天ぎょうてん号は、
馬具を背負い、壁にかけていた中折れ帽を目深にかぶった。
おお、戦争が近いのだ。
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