第1話 『惨劇 の バースデイ』
1.偽物の空、本物の日常
西暦2112年。
人類は月面に都市を築き生活していた。
造られた大地、偽物の空。
だけどそれでも、月で暮らすオレたちの日常は《本物》だった。
そう……この当たり前で、なんてことのない毎日がずっと続くと、オレは信じていた。
月皇のエグザリオン -EXARION of Gekkou-
第1話 『惨劇 の バースデイ』
◆ ◆ ◆
琥珀色のやわらかな夕日が、中等部の校舎を照らしていた。
辺りにはたくさんの桜の花びらが舞い散り、思い出の場所を白く染め上げていく。
春――それは別れの季節、そして旅立ちの季節。
たとえこの学園が地球から約38万㎞離れた月面にあったとしても、それは変わらない。
22世紀。人類が月面に築いた都市は、まさに地球上と変わらないような環境を人工的に生み出していた。
約1900㎢にも及ぶ広大な敷地に建てられた、ドーム型のコロニー。
その天井に張り巡らされた〝ダミースカイスクリーン〟には、本物と見まごうほどのリアルな空の映像が映し出され、都市に昼と夜とを作りだす。
ドーム内部にはたくさんのビルや家屋、木々や湖などが存在し、道路や鉄道の整備はもちろん、病院や学校などの地球上に見られるあらゆる施設が存在し、多くの人々が生活をしていた。
そしてここは、そんな月に建造された10基のコロニーの内の一つ、〝コロニーかぐや〟だ。
月の大地に造られた《日本の領土》であるこの都市には、およそ1000万人もの人々が暮らしていた。
そんな都市の一角にある、中高一貫・全寮制の学校〝至宝館学園〟では、この日、中等部の卒業式が行われていた。
式が終わって日も傾きかけてきたころ、学園にある屋外バスケットコートに目を向けると、そこには学生服を着た2人の少年の姿があった。
一対一でバスケの勝負をする彼らは、全く同じ顔をした双子の兄弟だった。
「どうした、ヤマト? それで終わりか?」
双子の兄が、バスケットボールを弟にパスしながら涼しげに言った。
やや茶色みを帯びた短髪、クールな瞳が印象的な賢そうな面立ち、体格はやや細身ながら、まくり上げたワイシャツの袖から見える腕はとてもよく鍛えられている。
その外見からは少年が何らかのスポーツ選手であることがありありと見て取れた。
「――っ! やるなミコト……っ!」
ボールを受け取った双子の弟は、肩を揺らして息を切らしながらそう答えた。
その姿は兄と全く同じ容姿と体格をしていて、まさにアスリートの身体だった。
しかし、クールで知的な印象を思わせる兄とは対照的に、弟はまさに《純粋で明朗快活》という雰囲気の少年だった。
そんな彼ら、ミコトとヤマトの兄弟は、全国的に有名な月面バスケットボールの選手だった。
地球育ちの彼らは、小学生の時にプロ月面バスケの試合を観戦したことをきっかけに、3年前、全寮制であるこの至宝館学園に入学し月面バスケを始めた。
そして今日、学園の中等部を卒業した兄弟は《中学生活、最後の勝負》を今まさにしている最中だった。
「行くぞ!!」
ボールを保持している弟ヤマトが、ドリブルしながら一直線にゴールへ向かって駆けて行く。
兄ミコトはそれを阻止せんと、弟の身体に張り付いてディフェンスしながら追随する。
そのまま互いに肩や視線でフェイントを入れ合い、高度な駆け引きが2人の間で繰り広げられていく。
そして次の瞬間、ヤマトがゴールに向かって大きく跳躍をした。
「うおおおおおぉぉぉぉぉ――ッ!!」
ヤマトの身体は地球の物より2倍の高さにあるバスケットゴールに向かって、勢いよく上昇していく。
そして瞬く間に5メートルほどの高さにまで到達する。
しかし、これは驚くべきことではない。
なぜならここは月面都市。地球に比べて
(行ける――ッ! このままダンクで、決めてやる――ッ!!)
バスケットリングを見下ろすほどの高さにまで跳躍したヤマトは、そのままボールをゴールに叩き込もうとした。
しかし――。
「甘い――ッ!!」
遅れて跳躍してきたミコトによって、ヤマトのボールは横からはたかれてしまった。
「くっそぉ! またか……っ!」
決着。
兄ミコトにブロックされ、弟ヤマトの攻撃は失敗に終わった。
その後、空中から6分の1の速度でゆっくりと落下して来た兄弟は、長時間の運動による疲労に耐えかね、ついに地面に倒れ込んでしまった。
ぜえぜえと息を切らし、その場で休むミコトとヤマト。
「あああああ! 疲れたッ! なあミコトッ! これで今日の対戦成績はどうなったっけ!?」
「どうもこうもあるか! 15戦15引き分け、どっちが攻めても全くゴールにならないな」
「……だよなぁ! あーもう! いつになったら決着がつくんだよコレ!!」
「なんならそろそろ負けてくれてもいいんだぞ、ヤマト」
「へっ、嫌だね! 勝つまで絶対あきらめるもんか!」
「ふっ、ならしょうがないな……」
「ああ……決着がつくまで――」
「「何度でもやってやる!!」」
兄弟が立ち上がり同時にその言葉を発した、その時だった――。
バスケットコートのフェンスの外側から、少女の柔らかい声が届いてきた。
「あー! 2人ともやっぱりここにいた!」
その言葉を言い終わるや否や、少女は兄弟の元へと駆け寄って行った。
「もーダメじゃない! 卒業式が終わったらすぐに生徒会室に集合って、
ボレロタイプの女子用制服を着た金髪碧眼のその少女は、まるで絵本に出てくる天使のように可愛らしい少女だった。
絹糸のように柔らかな金の長髪は、丁寧に真ん中で分けられてサラサラと風に揺れている。
サファイアのような青い瞳、雪の白さを写し取ったかのような白い肌が印象的なその顔立ちは、兄弟と同い年ながらやや幼い印象だった。
「ああ、すまないマルカ、ちょっとした野暮用でさ」
ミコトのその返事に、少女――マルカ・ラジェンスカヤは不機嫌そうに眉をひそめた。
「野暮用~? なに言ってるの。どうせ中学卒業前に決着をつけるーとか言って、2人でずっとバスケしてただけでしょ?」
「おお、さすがマルカ! よく分かってる! 超能力者みたいだ!」
ヤマトは楽しそうに笑った。
小学生のころから兄弟と親しくしていた幼馴染であるマルカにとって、ミコトとヤマトの考えることは大抵お見通しなのだ。
「もう、バカなこと言ってないで早く行こ! せっかく彩乃先輩が私たちのために卒業パーティーを開いてくれるって言ってるのに、待たせちゃ悪いでしょ」
その言葉を受けた兄弟は、やれやれといった表情で互いに顔を見合わせた。
「……仕方がない。あの会長を怒らせたら、何をされるかわかったもんじゃないからな。勝負は高校入学まで持ち越しだ」
「ああ。今日のところは引き分けだけど、次は絶対負けないからな、ミコト!」
「ふっ、いいだろう。望むところだ」
そんな兄弟の様子を見て、マルカは微笑ましそうに息をついた。
「それじゃ行こ、ミコト、ヤマト。みんなもう待ってるよ!」
「うっし! んじゃまあ、行きますか!」
そう言ったあと、マルカとヤマトは校舎の方へと歩いて行った。
そんな2人に少し遅れてついて行きながら、
視線の先に見えるのは、ダミースカイスクリーンに投影された鮮やかな夕焼けだ。
擬似的な太陽と雲が浮かんで見えるその空には、一羽の鳥すら飛んではいない。
そんな景色をしばらく眺めながら、都市の気温調節システムによってもたらされた暖かな陽気を感じ、一つ笑みをこぼしたあと、再びミコトは歩き出した。
その時――この当たり前の日常がずっと続いていくことを、神凪ミコトは信じて疑わなかった。
しかし、彼の平和が崩れ去る瞬間は刻一刻と迫って来ている。
西暦2112年、3月17日。
少年はまだ、己の運命を知らない――。
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