第6.5話 短編「浴衣の若人の夜」


「ぐぉあぁぁぁっ!」


 旅館の客室に響き渡るジェイカイザーの苦悶の声。

 声だけを聞くと一大事にも思えるが、別に彼が敵から攻撃を受けているわけではない。


「いやあ、ジェイカイザーの悲鳴を聞きながらパズルを解くのは気分がいいねえ」


 涼しい風の吹き抜ける客室の縁側に座りながら、幾何学的な形の木製パズルを弄りつつ裕太が微笑みを浮かべた。

 裕太の正面に座る浴衣姿のエリィは、少し心配そうな表情でジェイカイザーが唸り声をあげる携帯電話の方をチラチラと気にかけている。


「ねえ、もうあたしは気にしてないから、ジェイカイザーを許してあげてもいいんじゃない?」

「いいや、半端に許すとまた同じことを繰り返しかねん。しつけは徹底的にやらなきゃな」


 しつけ、と言うのは先程ジェイカイザーが行った温泉の覗き行為に対してである。

 サツキの原理不明のロケット目潰しサミングによって目を潰されたジェイカイザーは、携帯電話に戻った後、裕太の手によって仕置きを受けていた。


「しつけっていうか、拷問にしか見えないけれど……。一体何をジェイカイザーにしているのかしらぁ?」

「ン……。ネットで見つけた素人ボイスドラマ動画と、国産ゲイポルノ映像を延々ループ再生しているだけだけど」

「……ジェイカイザーの性癖が歪まないか心配だわぁ」


 ジェイカイザーを女好きにしたそもそもの元凶は、そう言いながら視線を窓の外に向けた。

 月明かりに照らされた、まるで一枚の絵画のような海の風景にうっとりと心奪われるエリィ。

 裕太はそんな彼女の姿をパズルを解くふりをしながら上目遣いでチラチラとさり気なく見ていた。

 着付けの甘いエリィの浴衣は彼女から少し浮いたようにその身体を不完全に包み、窓の隙間から流れる風を受けて揺れ動き、彼女の白く綺麗な胸元を艶めかしく見え隠れさせていた。

 裕太の視線に気づいたのか、あるいは自身の浴衣の状態を察したのか、エリィは裕太の方に顔を向けながらニンマリと色っぽい笑みを浮かべ、自らの浴衣の襟を指でそっと摘む。


「ねぇ、笠本くん。……見たい?」


 ゆっくりと浴衣をはだけさせながら、艶っぽい声でエリィが誘う。

 肩を露出させた彼女の姿に、裕太の心臓はドクンドクンと鼓動を激しくさせた。

 据え膳食わぬは男の恥、という言葉に乗っ取り行動を起こせたらどんなに楽だろうと、裕太は自分のヘタレさを大いに悔いた。

 自分の不埒な行動が、エリィを傷つけることになってしまうのではないか。いや、ここでなにもしないことこそ彼女の尊厳を踏みにじる行為なのではないか。

 熱くなる頭でぐるぐると考えながら、裕太の思考は無限ループに陥っていた。

 エリィも頬を紅潮させながら、ゆっくりと顔を裕太に近づけていく。

 裕太とエリィの顔が今にもくっつきそうなその時。


「ただいま戻りました~!」

「裕太~、菓子とジュース買ってきたぞー!」


 空気を読まない……いや、ある意味読んだとも言える進次郎とサツキの帰還の声に、ふたりは咄嗟にお互いから離れて明後日の方向を向いた。

 軽い足取りでスキップして、サツキがエリィに手に持ったリンゴジュースのペットボトルをはいと手渡した。


「あ、ありがとう金海さん」

「どうしたしましてー! ……あれ? エリィさん浴衣が崩れてますよ?」


 サツキに指摘され、「あ、暑かったからね!」と不自然に笑いながら慌てて浴衣を整えるエリィ。

 進次郎はその様子で何かを察したのか、ニヤついた嫌な笑顔で裕太の顔を覗き込んだ。


「さーてーは、何かあったな裕太クン!」

「くん付けで呼ぶなよ気持ち悪い。な、何も起こってねえよ!」

「この天才の目をごまかせると思うなよ。まったく、見てて恥ずかしいくらいのバカップルぶりだな貴様らは」


 呆れた様子で進次郎が手に持った袋から缶ジュースを取り出して裕太に投げ渡す。

 裕太は受け取った缶ジュースを手に持ち、ふてくされた表情で窓の外を見ているエリィの頬にくっつけた。


「ひゃっ!?」

「まあ、その……せっかくの旅行の夜なんだし、みんなで遊ぼうぜ?」


 裕太にそう言われたエリィは、キョトンとした顔でしばらく考え込み、そしてにっこりと微笑みながら自分のカバンの方へと小走りし始めた。


「そ、そうしましょうか。あたし、トランプ持ってきたのよぉ」

「トランプですか! 私、五目並べが特異なんですよ!」

「サツキちゃん、それ囲碁のやつ。トランプのは七並べだよ」

「よっしゃ、容赦しねえからな進次郎!」


 旅館の夜は、賑やかに過ぎていった。


「ぐぉぁぁぁぁぁっ!!」


 ……一方ジェイカイザーは裕太にその存在を忘れられ、夜が明ける頃には廃人(?)と化していたという。



……続く

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