It is DEFINITELY you

「どうかした?」


こちらに背を向けて座る夫を、廊下から気取られないように見つめていたつもりだったが、仕損じた。


こちらを振り返ったのは、以前とは変化したけれど、間違いなく彼のものである笑い顔。

それゆえに、心がざわついた。


「いえ… 」


そそくさと踵を返し、廊下を足早に歩く。

背を向けていてもなお、あの笑い顔がこちらから視線を逸らしていないのがありありとわかった。




彼は、ある日突然私の屋敷へとやってきた。

玄関に置かれていた足駄の陰から、大きな声で「一生懸命働はたらきますから、お屋敷でお使いなさってくださいませ」と頭を下げたのだと、父は言っていた。


その言葉に偽りはなく、彼は毎日毎日小さな体でかいがいしく働いた。

賢くて気も利いて、すぐに屋敷中の人達に気に入られた。


彼がそれほど皆に好かれた所以は、彼の内面的なものだけではなく、外面的なものにもあったのだと思う。

彼の、あのたった一寸しかない身の丈に。


私も例外ではなく、彼を愛くるしく思っていた。

年齢の近い者とあまり話したことがなかったので、一緒に話すのは楽しかった。

綱渡りだと言ってぴんと張った糸の上を歩いて見せてくれたのは、とても愉快だった。


彼が屋敷で働き始めてから、どれほどの年月が過ぎた頃だっただろうか。

私は彼と共にお宮参りに向かっていた。

道中、どこからともなく気味の悪いうなり声が聞こえてきた。

状況が飲み込めずに戸惑っていると、やがてそれは目前に現れた。


鬼だった。

大きく開かれたあかい口、刃物のように鋭い牙、何でも貫けそうなほど長く、とがった一本角。


恐怖におののいて動けなくなり、鬼に食べられそうになった私を、彼は勇敢にも救ってくれた。

慌てふためいた鬼は、逃げる際に、振ると何でも欲しいものを出せる小槌を落としていった。

何が欲しいかと尋ねた私に、彼は自分の背を伸ばして欲しいと答えた。

小槌を振りながら言われたとおりのことを願ったら、彼は一振りごとに大きくなり、やがては六尺ほどにもなった。

彼は、それを喜んでいた。


喜んでいた。




このところ、わからない。

私の夫となった人物が、本当にあの「彼」なのかどうかがわからない。


性格も口調も変わらない。

顔や表情だって、以前と同じだ。


でも、背丈が違う。

私の手のひらに乗れる大きさだったのに、今では私よりも背が高い。

私の肩に乗れる大きさだったのに、今では私が抱き上げられる。

もうあの糸の綱渡りも見せてはもらえないのだろう。


「彼」のことを好いていた。

けれど私にとっての「彼」は、あの小柄な姿だった。

長身になった彼を、「彼」と思えない。


間違いなく「彼」なのに。姿が少し変わっただけなのに。

ましてや、本人は今の姿を喜んでいるのに。

私だけが受け入れられない。

私だけが今までと同じようにできない。


「彼」を愛しているのなら、こうはならないはずなのに。

夫となった彼と幸福に暮らせるはずなのに。


私は、自分が彼のことを好きなんだと思っていたけれど、本当はそんなことはなかったのではないか?

ただ愛玩できる存在だとしか思っていなかったのではないか?

私は、そういった自分自身の心情さえ把握できない愚か者なのではないか?


― このようなことで悩むなど、彼のそばにいる資格はないのではないか? ―




もう、何もかもわけがわからなかった。




いつの間にか廊下の突き当たりまで来ていた。

足元で光る何かが見えた気がして、下を向いた。


一本の針だった。


何故このようなところにあるのだろう。きちんとしまっておかなくては…


屈んで、摘み上げようとした。


頭に浮かび上がってくる情景があった。

あの日、私を助けようと鬼に立ち向かった「彼」は、あっさりと鬼に呑まれた。

けれどどういうわけだろう。鬼はたちまち「痛い、痛い」と喚きだし、やがて「彼」を口から吐き出して逃げていった。

無事だったことを喜び、助けてくれたことを感謝しつつ、あなたは鬼に何をしたのかと尋ねた。


「彼」は答えた。


「刀でおなかの中を、あちこちつつき回ってやったんですよ」


「彼」の父が針で作ってくれたのだという刀の先端には、僅かにあかい液体が光っていた。




どうして今まで思い至らなかったのだろう。

解決できるかもしれない方法がこんなところにあったなんて。




鬼の体内を針で傷つけたら「彼」が出てきたように、夫の体内を針で傷つけたらあの時と何一つ変わらない「彼」が出てくるかもしれない。


いいや、出てくるに違いない。出てくるに決まっている。こんなにいい思いつきなのだから、間違っているはずがない。


「彼」に会える。こうすればまたあの、一寸の身の丈の「彼」に会えるんだ。


私には彼の体内に入るのは無理だ。

けれど、針を夫に呑ませるだけでもおなかの中は傷つけられるはず。


待てよ。一本だけでは不十分かもしれない。

あの鬼のように痛みにのたうち回るくらいでなくては駄目かもしれない。

もう十本、いや、もっと、もっと、たくさんの針を。


「彼」の名で呼びかけて、振り向いた夫の口に、一気に呑ませよう。

ああ、会いたい。会いたい。

小さな「彼」に、また会いたい。


私ははやる気持ちを抑え、千本ほどの針が収められた箱を抱えた。

そうして、夫のいる部屋へと廊下を駆けていった。

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