オレンジの味
一時たりとも目が退屈することはない荘厳華麗な装飾品の数々。
お城中に響き渡るにぎやかな音楽。
空腹感を刺激する香りを発するごちそう。
そんな華やかな空間の中でひときわ目立っていたのは、絵の中から抜け出て来たような綺麗な花嫁。
わたくし達の義妹だ。
「お前みたいな灰まみれの汚いのが行ってごらんよ。笑い者になるだけだから」
わたくし達の着替えを手伝いながら、義妹は自分も連れて行ってほしいと懇願した。姉とわたくしは、そんな彼女を嘲笑った。
料理に掃除に皿洗い、一日中ありとあらゆる家事を1人でこなし、夜は疲れ果てて灰の中で眠る。そんな汚い子に綺麗な服や靴が似合うわけがないし、ダンスができるわけがない。
めいっぱいのおしゃれをして母さんと姉と一緒に馬車に乗り込み、舞踏会が開かれるお城へと向かった。
道中は、皆どのようにしてお城の王子様の玉の輿に乗るのかということばかり話していて、義妹のことは思い出しもしなかった。
舞踏会は始まったけれど、王子様の周りには常に人がいて、なかなか一緒に踊らせていただけない。
姉と共にじれったく思っていたら、急に会場がしんと静まり返った。
何事かと振り向くと、この世の者とは思えない、美しい人がいた。
金や銀や宝石を散りばめたドレスに、ガラスでできた靴、輝く笑顔。
王子様は、その人のもとへ行かれ、手を取って踊り始められた。
他の人達が美しい人と踊りたがっても、
「この方は、僕とダンスをしているのです」
そうおっしゃって、譲らなかった。
わたくし達は半ば王子様を諦めかけていた。
王子様はあの人に夢中だし、わたくしたちがあの人にかなうわけがない…
姉とわたくしは、長椅子に座ってうなだれていた。
どのくらい経っただろうか、不意に頭上から声がした。
「あの」
見上げると、あの美しい人が立っていた。
「王子様にオレンジをいただいたんですが、良かったらいかがですか?」
美しい人は、お皿にのった宝石のような橙色をした果物を示してほほ笑んだ。
「まあまあ、こんな高価なものを… ご親切にありがとうございます」
この人に話しかけていただけたのがなんだか光栄で、わたくし達は丁寧にお礼を言ってオレンジをいただいた。
甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がった。
「本当に素敵な人だったのよ。王子様も、あれは絶対に恋に落ちてらっしゃったわね。残念ながら12時の鐘が鳴ったら慌ててお城を飛び出して行かれてしまったんだけどね。ガラスの靴を片方落として。でも、わたくし達もああいう人の目にとまるくらいには目立つのねえ」
家に帰り、自慢や嫌味を兼ねて義妹に今日のことを話したら、「本当に良かったですね。羨ましい限りです」という返事が返ってきた。
心なしか、浮かれているように見えた。
数日後、国中に御触れがあった。あの美しい人が落としたガラスの靴に足がぴったり合う人を、王子様の花嫁にするのだと言う。
まだ玉の輿に乗るチャンスはある。わたくしと姉ははしゃいだ。
靴は巡り巡って、遂にわたくし達の家にまでまわってきた。
姉もわたくしも、無理矢理にでも靴に足を押し込もうとしたけれど、どうしても無理だった。
すると、そばで見ていた義妹が申し出た。
「私も試してみていいですか?」
なんて図々しいことを。この子に履けるわけがないのに。
わたくし達は思わず吹き出したけれど、お城からの遣いの人は義妹にもどうぞ、とおっしゃった。
まるで義妹のためにつくられたかのように、彼女の足はすっと靴に収まった。
脳天から足元まで、全身の血液がすっと冷たくなったように感じた。
「考えてみたら、あたし達あの子をバカにしてばかりでまともに向かい合って話したこともなかったよね。あの子の顔すらちゃんと覚えてなかった。だからあの人があの子だって気付かなかったんだ」
新しい夫婦の誕生を祝う人で溢れる会場の片隅のテーブルで、姉は手元のフォークやナイフをいじりながら呟いた。
「それで、さんざんいじめたあたしらを恨んで牢屋に入れるとかならまだ分かるんだよ。
なのに、何、『あなたたちを許します』って? 普通に結婚式に招待してくれるしさあ…
あたしら、ますますかなわないじゃん。
あたし達が蔑み続けてたあの子は、あたし達にないものを持ってたんだよ…
そんな子に、あたし達はずっと…」
自嘲するような苦笑を浮かべながら姉は言った。
きっとわたくしも今、同じ表情をしているのだろう。
ふと、王子様と並んで座る義妹と目が合った。
義妹は、今までに見たことがない、いや、わたくし達が今まで見ようともしなかった素敵な笑顔でこちらに小さく手を振った。
今日は口にしていないはずのオレンジの味が、口いっぱいに広がった。
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