シクラメンが枯れる手前で。

竹林 紺

サクラソウに水やりを。

 春の花びらが頬を撫でた。

 私には大好きな先輩がいる。

 優しくて、私が愛してやまない私の

 大好きで大好きで大好きでたまらない先輩。




 私が先輩を知ったのは、入学式の前に、廊下ですれ違った時だった。一目惚れだった。整った顔に高い鼻。歩く度に揺れるショートボブで栗色の澄んだ髪の毛。落ち着いた顔立ち。すれ違った瞬間に私の鼻腔をくすぐった柑橘系のシャンプーの香り。

 その日から、私は先輩のことがもっと知りたくなった。好きなことには異様に執着してしまう性格は、こんなところにまで及んでいたようで。ああ、こんな人が私の寮生活のルームメイトになってくれたらなって、思ってた。

 入学式の後、教師から寮の部屋の鍵を配られた。

「 皆が知っているとおり、ここ【都立三椏女学院】は、寮制だ。1年生は2年生との二人一部屋で生活するのが、ウチの伝統だ。もう一つ、この学園には。【シスター制度】というものが存在する。シスター制度とは、先輩1人と後輩1人がペアとなり、後輩の身なり、生活を指導する制度である。この二つの伝統が合わさったような伝統だ。すぐ慣れるように、いいな。」

 パートナーとなる先輩達は部屋で待っていると告げられ、鍵に書かれていた番号【205】号室へと向かった。

 「やぁ、君が僕の【妹】となる娘だね。よろしく。」

 声を聞くのは初めてだった。とても落ち着いた声で私の不安感を解きほぐしたのは、一目惚れしたあの人だった。

 「え、っと。よろしくおねがいします。」

 おずおずと頭を下げる。すると彼女は暖かく笑った。

 「ははは、そう緊張しなくってもいいよ。僕の名前は【平沢 葵(ひらさわ あおい)】だ。君は?」

 好きな人に出会えた気持ち、寮でルームメイトとなれた幸運に、一筋の運命を感じ、私は興奮と緊張で言葉をうまく紡げないでいた。

 「わ、たしは。【月見 楓(つきみ かえで)】です。よろしくおねがいします。お姉、さま。」

 ここでは、上のルームメイトをこう呼ぶ決まりになっているが、先輩は先輩だ。

 「決まりだけど、僕はあんまりすきじゃないんだよね、その呼び方。私の事は先輩か、名前でいいよ。」

 「はい、では先輩と呼びます、ね。」

 「うん、よろしく。楓ちゃん。」

 胸が高鳴るのはいつぶりだろうか、高揚感に襲われ今にでも卒倒しそうなのだ。先輩が私のものになるのは、運命なんじゃないか。きっとなるべくして、今日生きてきたのだと。そう確信せざるを得なかった。

 とりあえず、私は荷物をしまうべくクローゼットを開けて制服をしまおうとした。するとそこには弓道衣と、袴が入っていた。

 「先輩、これって。」

 「ああ、こう見えても僕は弓道部でね。君はどうかな。弓道部、きっと似合うと思うんだよね。弓道衣。」 

  流れで、私は弓道部に入部をすることに決めた。寮以外で先輩に近づく一番の方法だと思った。

 次の日の放課後、私は弓道部の新入部員として、弓道場へ来ていた。作厳正な日本の武道の作法は、凛々しい先輩を引き立たせる行為にすぎず。つい昨日までは軟らかな表情をしていた先輩も、矢を放つ時だけは引き締まった表情を見せる。言っていた通りだった。部活の時だけに見られるちょこんと揺れるポニーテール。紅潮する頬。どれをとっても私の中に仕舞い込んでしまいたい要素だった。

 部活の一日目が終了した。弓道というのは案外疲れるもので、寮に戻るとすぐに眠ってしまった。15分ほどたったであろうか、ドアの開閉音で目を覚ます。

 重い体を起こすと、そこには先輩がいた。

 「ただいま、楓ちゃん。もしかして

 起こしてしまったかな?」

 眠り眼を覗き込んでくる先輩の顔は、汗で照明の光を反射していた。

 「い、いえ。平気です。おかえりなさいませ。先輩。」

 「やだなぁ、そんなお硬いの僕はいやだな。次いう時は、【おかえりなさい】だ。いいね。」

 ああ、この人はなんて優しい人なんだろうか。それと同時に、目の前の先輩はこの優しさを他人にも振りまいているのかと考えると、頭の中がぐしゃぐしゃしてくる。3歳児の幼児が、黒のクレヨンで画用紙に描いたぐちゃぐちゃとしたようなものが私の脳内を埋め尽くした。それは嫉妬の心に火をつける着火剤となって私の中を焼け野原にした。先輩は私にだけその優しさをくれればいいんだ。そんなの、許せなさすぎる。

 ねぇ、先輩。私以外にそんなことしちゃやだよ。ねぇ先輩。

 

 先輩。

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シクラメンが枯れる手前で。 竹林 紺 @kOntYan

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