第3話
砂利のやけに多い平地へと降り立ったぼくらは、何をするでもなく各々周りのグループと談笑をしていた。まるで、これから行くであろうあの屋敷について、何も知らん顔であるかの如く他人事だった。ぼくはというと、間抜けな事にさっきの相川との絡みで完全に泥酔していた。
光や正人は先頭に立ち、地図を片手に山の入り口へと皆を誘導する。入り口は無造作に生えた草木の大群で覆われていたため最初小さく見えたが、いくらか進むとそれは全くの勘違いである事に気付く。道は途端に広くなり、地面は階段のようにして木が積まれ登りやすくなっている。だがそれは見るからにボロ臭く所々にヒビや傷、また腐敗してその真っ黒な肌をこちらに汚らしく覗かせているものさえあった。ぼくらは慎重にその階段を登り、くねくねと曲がり曲がった林道を二列縦隊で歩いた。
その間も会話が止むことはない、熊除けにはもってこいの大合唱だ。
ぼくは最後尾を任された。誰か脱落者が出ないかを見てくれと言われていたため、西園寺とともに最後尾からのんびりと皆の後を追う。
西園寺のことも桜から頼まれていた。彼女は相川と隣になりたいと言って迫る男子を無理やり押しのけ、一つしかないファーストクラスを独り占めにした。
どうもこの人は苦手だ。嫌いではない。苦手なのだ。昨日車で話した他に、何か会話が生まれたわけではないのだから、話しかけようにも話題が見つからない。田舎の学校と言えど、中学から既に東京へ行っていたわけで、子供の頃から付き合いのめんどくさがりな上そこに人見知り属性まで付け加えたぼくには死角しか無い。
すると、車での相川についての記憶が蘇る。
そう言えば、西園寺だけはぼくの持つ違和感に反応していた……。少しはぼくと同じ感じ方をしたのかもしれない。だが、それだけでは無い、昨日は2回目があった。よくよく考えてみれば相川が一階にいて、西園寺とぼくとが二階で鉢合わせ。しかも彼女の体は夏であるにも関わらず震えていた。
彼女らの仲に何かあったのだろうか……。
だが物事の白黒を付けるにはまだ、余りにも情報が少なすぎる、西園寺は桜と一緒の中学高校と進んだが、桜から相川との交流の話は一切聞かない。それに相川自身西園寺のような奴の事を悪く思う性格でも無い。なので彼女2人の間に何かいざこざがあったとは考えにくいのだ。それに西園寺は濡れていた。先に風呂場に行っていたのだろうか。しかし服もびしょ濡れになっていたにも関わらず、学校にいた時と同じ服装のままだ。
謎が謎を呼ぶ、そんな思いだった。当の西園寺は列の前方だけを見ている。すると、彼女のその山岳用リュックのショルダーハーネスに押し出された服の胸元から、淡いうすだいだい色をしたブラジャーがこちらを覗いているいる事に気がついた。彼女はこちらの視線に気づいていない。ゴクリと唾を飲み込む。当たり前だ、二十歳を超えていると言ってもまだ大学生。残念な事に中高一貫の男子校で、なにを間違えたのか理系の、それも工学系へ進学してしまったため、女子というものは言わば聖母マリアよりも神聖な存在なのだ。いくら小学校の頃の知り合いとはいえど、ほとんど話したことが無いので、慣れというものが無い。
これは非常に困るのだ。
そう言えば、昨日の西園寺を階段でこちらの体に寄せた時、髪の毛からいい匂いが漂ってきてたな。なんで女の子ってあんないい匂いがするのだろう。
「ハッ……」
西園寺がこちらを見ている。完全に妄想の世界へと浸っていた。バレただろうか、いやこの際何か適当な言い訳を作って誤魔化せるんじゃ……
「ねえ」
ビクッ、
流石にびびる。
「あの後、相川さんに会った?」
何のことかと思えば相川のことか、ぼくはてっきり覗き見のことかと。まぁ、それは今どうでもいい。せっかく彼女から話しかけてくれたのだ。簡単に切ってしまうわけにはいかないだろう。
「会ったよ」
「そう……」
…………終わった。
それから一度の会話もなく、相手の機嫌を伺いながら、互いに関わり合う事を避けた。いや、無駄に気にかけていたのはぼくだけだったかもしれない。
こうして無駄に重く長い時間が過ぎて行き、とうとう砂利と雑草の敷き詰められた広場へと着いた。丁度20分ほどだ。辺りに遠くを見渡せる開けた場所はなく、木々が周りを囲んでいるのみだ。先頭の方で休憩の掛け声がかかり、僕らはまたその閉まらない口をより一層パクパクして熊除けをした。なぜだか他の人に混ざる気になれない。
すると、こちらに歩み寄る2人の影が、地面に映し出される。チビとノッポこと、狭間と烏間の2人組は何やら不満げな表情をしている。
「どうかしたのか?」
「苗木の奴、すげームカつくんだよ。ちょっと顔がいいからって女近くに寄せて帰りてーだなんてぬかしてきやがる。言い出しっぺはあいつのくせによぉ」
狭間の言葉に烏間はうんうんと相槌を打つ。なるほど、やけに熊除けの音がうるさかったのもあいつのせいか。
「しかも、よりにもよってあの工藤さんと今喧嘩してんの。ぼくら彼女の近くだからいつ殴り合いが始まるかヒヤッヒヤで。どうにかならんかなぁ〜、なあ、誠くん」
「俺に相談されても、あいつは昔からそういう奴だから。ほっとけほっとけ、どうせ無理やり取り巻いてる女子たちに自分の大学とかの自慢話でもしてうざがられてるから、賛同してる人なんていないよ」
苗木は今やあの名門私立W大学に通っているらしいが、実は高校の先生から貰った内申を使った推薦らしい。実力が合わなく、ついには留年しそうだとも聞いている。なぜ来たのだろうか。2人はなかなか休憩が終わらないのをいい事に、苗木へのたっぷり憎悪のこもった愚痴を延々と語った。ぼくは彼の余りの嫌われっぷりに少し同情しながら、できるだけ聞き流した。隊は一向に進む余地を見せない。辺りは次第に暑さを増し、これまで日向にいたものも日陰へと避難して行った。
ぼくは2人の言葉を丁寧に沈めると、少し不安になって、光の方へ様子を見に行った。するとそこには、正人と光だけでなく、苗木、工藤、【天野 亮治】、【渡辺 真紀】の6人がごちゃごちゃと言い争っている。正確には苗木が未だに進まない光と正人へのヘイトを、工藤がその苗木への注意を、その工藤の注意に天野と渡辺が反論をと、本当に状況の入り込んだ場面であった。
ぼくは余計に思いながらも、光と正人の2人のところへ寄った。
「大丈夫か、何かあった?」
2人は困ったようにしてその大きく広げた地図をこちらにも見えるように向けた。
「さっき出てきたのがあそこだ」
そう言って正人は太陽から予測して北の方角に空いた空間を指差す。
「で、この地図によると丁度ここから北北西の場所に抜け道があるはずなんだが……」
ぼくは彼の言った方向を向くと、確かにそこには入り口らしき空間や、その跡のようなものは見当たらない。もちろん、正人の言ったさっきぼくらが登ってきた箇所以外に道らしき場所など無さそうだ。
「見て貰ったから分かると思うけど、無いんだ。見に行きはしたがここら一体はどうにも木や草が生え過ぎてて、遠くまで見通せないから道の探索のしようがない」
2人とも随分疲れ切っている様子だ。それは道を探しているからではないのだろう。
すぐ右隣では工藤が3人に鬼のような形相をして憤怒していた。3人も負けてはいない、頭の質で劣るなら数で勝負と言わんばかりに工藤を、論点とは全く見当違いの箇所で攻め立てる。
これじゃあみんなも嫌がるわけか。
小学校の頃の〈苗木 充〉しか知らないぼくにとって、彼らが言い争っているのを見るのはいささか気分が良くない。
彼は正人に劣るが、それをバネにしていつも頑張っていた。人一倍なんて薄っぺらいもんじゃない。正人が本当の天才だとすると、苗木のそれは言わば努力の天才と言ったところだ。どこでねじ曲がってしまったのか、今ではもう見る影もないが。
こうしてぼくらはたかが20分程度登った平地で、かれこれ30分も立ち往生していたのだ。他の人はスマートフォンをいじったり、そこら辺の石ころかなんかで遊び始めていた。このままでは観光どころか、午前をすっかり潰してしまう事になる。おそらく苗木はそのヘイトを食らいたくないのであろう。
ぼくらがこうしてあーだこーだ言っているうちに、相川が突如としてやっきた。何か言いたいことがあるのだろうか。
その澄み切った顔はどこか遠くを向いている。すると、突然ぼくの腕を掴み何もない草むらの方へと進んで行く。その手に触れられた部分は、そこだけが真冬の風に当てつけられたかのようにひんやりとしていて、思わず体を震わせる。
「相川さん、どうしたの?」
さっきまで話してたらしい男たちがこちらに群がってきた。数人は相川とぼくとの表面積の少ない接点に誤解の色を隠すまでもなく睨みつけた。
「一体どうした?」
相川は構わずぼくを林の向こうへと連れて行く。ついには彼女の足がその土色の異世界へと踏み込む。
「待って!!」
咄嗟に相川の掴んでいない右腕を2人の手によって縛られた。それは真帆と桜の2人だった。
「相川、あんたどうかしたの?合わない間に随分と謎めいた女の子になっちゃったじゃん」
相川は桜の問いに答えず、あっち、と言った。
指を指した先は、やはり見える限り林である。
「取り敢えず行って見ないか?」と、このまままた何もせずに後悔したくないと思ったぼくは、つい口を滑らせた。真帆の顔はわずかにだが困惑の表情を隠せないでいる。
「分かった、ただし俺が先頭を行く。相川さんは行く方向を指示してくれ。いいかな」
うん、と頷くと、相川の指示のもと慎重に林をかき分けた。光は残らせる事にした。ここからはぼくと正人と相川、おまけに苗木で行動する事になる。
5分ほど相川の言う通り歩き続けると、そこには確かに道らしき一本の筋がある。ここに元々人が行き来していたのだろうか、それは分からないが、確かにその後も一列で歩けるほどの太さの道が続いているため、一旦引き返し状況を報告する事にした。
まだ20分しか歩いていない田舎育ちには少々冒険が少なすぎたのか、正人が状況を説明した時には皆目を輝かせていた。ただ1人、西園寺を除いては。
こうしてぼくらは先程発見した山道らしきところを一列に規則正しく並んで再び歩行を開始した。それから先は意外と短かった。ぐんぐん登っていき、枝分かれもなく迷いようのない林道をぐいぐいと掻き分けて進むと、そこにはぼくらのイメージ通りの古びた洋式の屋敷が見えた。屋敷の周りは伸びきった木や、その生い茂る雑草によって見る影もないほどに劣化しているところから、本当に人が住んでいないのだと分かる。
ぼくらは興奮し屋敷のもっと見える位置まで近づくと、そこには巨大な門がまるでぼくらのような人間を拒むかのように構えていた。
〈立入禁止〉
そう、門に付けられたプレートに書き殴られていた。だが、人間とは不思議なもので、やめろと言われるとやりたくなってしまう性があるのだ。
しかも、固く閉ざされていると思われた門は、都合よく開いている。その隙間からは、アンコウの疑似餌漁のようにわざとらしく口を開けている何者かの罠が簡単に感じ取れるが、それに気づいた者は何人いるだろうか。いや、いない。
ぼくらは皆、この屋敷に吸い込まれたかのように中に入って行く、正人に続き光。負けじと苗木。そして真帆に桜までもが……。こうして次々と人が暗闇へと消えて行った。
相川は未だ入っていないようだ。ぼくは残った西園寺と相川とで、一緒に門の奥に行こうと促した。西園寺はすでにその細い足を生まれたての子鹿のようにガクガクと震わせ、ぼくの服の肩の部分をがっしりと掴み離さない。
「相川、取り敢えず行こうよ」
相川は何も答えず、ぼくの手の触れる前に門の奥へと入って行った。ぼくは西園寺とともに、こちら側の世界にたった2人で残されてしまったかのように虚しく感じた。空は次第に雲を帯び、これから起こることへの未来予知をしているかのようだ。
ぼくは再び〈立入禁止〉の文字を見ると、西園寺の震える肩を支え、その口の中へと入って行く。
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